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第6話

手首から鹿野目の手が剥がれない。マウントポジションからこちらを見下ろしてくる目は、いつものように鋭く尖っている。何かを確かめるように鹿野目がそう呟くのを、堂嶋は聞きながらそれに見られているのに段々耐えられなくなってきて、すっと視線を反らした。 「・・・ノー・・・に決まって」 「じゃあ、あの写真、会社にばらまきますけどそれでいいんですね」 「・・・いや、それは・・・」 「ついでに悟さんの家まで配達しようかな。彼女、それ見たらどんな気持ちでしょうね」 「鹿野くん、君は、俺に何の恨みがあって、そんな」 「恨みじゃありません。貴方のことが好きって言っているんですよ、悟さん」 「・・・すき・・・?」 「だから俺の言うこと聞いてください」 鹿野目が堂嶋の目を射抜くみたいに真っ直ぐ見ながら低く呟く。掴まれた手首が痛い。堂嶋は思った。昔からそんなに沢山の人間に好意を向けられたことがあったわけではないけれど、多分それは違うと思った。鹿野目が堂嶋から全く視線を反らさずに顔色ひとつ変えずに天気や仕事の話をする延長みたいに呟くそれが、人間的な好意のそれとは全然違うと思った。そんな無機質で全く温度がないものが、好きという感情であるはずがない。好きな気持ちは多分、こんなに痛いものではないはずだ。 「好きって、本気で」 「冗談は言いません、俺」 「なんで、俺、なんか」 「好きになるのに理由が要りますか」 余りにも曇りのない瞳で真っ直ぐ見つめられて、その時堂嶋はこの鹿野目の言葉に嘘はないと思った。何となく本質的には間違っているような気がするけれど、けれど鹿野目はそれを好意だと思っていて、兎に角鹿野目はそう信じるみたいに思っていて、それを余りにも分かりやすくぶつけてきているのだと理解した。理解したら今まで痛かっただけの手首が、急にじわっと熱を持っているような気がした。それは自分の熱だったのか、それとも好きだと呟いた鹿野目の熱だったのか、堂嶋には分からない。 「・・・好きって・・・」 「止めてくれませんか、悟さん」 「え?は?なにを、やめるって・・・」 「そうやって顔赤くしたり、しないでください。俺相手に」 「え!あ!」 握られていない左手で、慌てて頬を触る。気のせいだったのかもしれないが、触れたそこがじわりと熱いような気がした。鹿野目は確かに本人がそう言うように、冗談も嘘も言わないのだから、おそらく本当に自分はこんな時に赤くなっているのだろうと思った。こんな時にと思ったけれど、こんな時だったから赤くなったのかもしれない。だってそんな風に真っ直ぐ、誰かに好きだなんて言われたことがなかった。そんな風に目を反らさないで、誰かにそんな風に熱の籠った目で見られたことなんて、堂嶋の人生でそんなことは今まで一度もなかった。それに頬を染めることも許してくれないなんてと思ったが、確かに今の可笑しな状況で、鹿野目のそれに照れている場合ではないのだろう、けれど、だって。 (だって、そんな風に、真っ直ぐ、君が見るから) ふっと鹿野目が溜め息を吐くみたいに、堂嶋の頭上で息を零す。堂嶋はそれを聞きながら、どうして鹿野目は呆れたみたいに溜め息を吐いているのか分からなかった。そして片手で顔覆った堂嶋の視界で、鹿野目は無表情のままきゅっと眉間に皺を寄せた。 「どうせ、俺には何もくれないのに」 鹿野目が悲痛に呟くそれを、その日確かに堂嶋は半分の視界で聞いていた。何もくれないというのは一体どういう意味だろう。唇を開くと、鹿野目がその続きを嫌がるみたいに、堂嶋の口を手のひらで塞ごうとした。慌てて堂嶋は体を捻ってそれから逃れようとする。自分から吐き出したそれに振り回されて、強引なやり方しか選ぶことが出来ない鹿野目は、時々酷く子ども染みていると思った。 「分かった、君の言いたいことは概ね分かった」 「そうですか」 「それで俺は、どうすればいいの。どうしたら写真は消してくれるの」 「してくれる気になったんですか、嬉しいです」 全くの無表情で鹿野目が呟くので、堂嶋は本当に彼が嬉しいと思っているのかどうか、すごく怪しいと思った。そこでようやく鹿野目は堂嶋の上から退くと、握っていた手首を引いて堂嶋を起こした。そしてゆっくり、まだ何かを疑っているような動作で堂嶋の手首を離した。長い間きつく握られた手首が、赤く染まっている。堂嶋はゆっくりその手を引いて、やっとそれを自分だけの所有に戻した。 「じゃあ手始めにキスでもしてもらおうかな」 「・・・さっきしただろ、鹿野くんが、一方的に」 「悟さんからしてください」 「はぁ。君は何て言うか・・・その、あれだな」 「何ですか」 何でもないようにそう言いながら鹿野目が立ち上がって、そのままぼすっとソファーに座って足を組む。そうやっていると、この部屋の中に随分馴染んで見えるから、やはり彼はここに住んでいるのだとぼんやり堂嶋は思った。後頭部に手をやると、ぴりっと痛みが走って、やっぱり思ったよりかなり強く打ち付けたらしいということが分かった。ちらりと鹿野目を見ると、あれだけ散々こちらを見ていたくせに、ソファーに腰掛けた彼は堂嶋ではなく全く違う方向をぼんやりと見ていた。それに腹の中がざわざわしながら、ゆっくりと堂嶋は立ち上がって仕方なくその鹿野目の隣に腰を据えた。 「鹿野くん、こっち向いてくれないか」 「はい、悟さん」 呼ぶと自棄に素直に返事をして、鹿野目はソファーの上で体を少し動かして、堂嶋の方に向き直るように座った。それにソファーの上をずるずる移動して距離を詰める。肩に手をかけると鹿野目は切れ長の鋭い瞳を動かして、堂嶋の手を見やった。 「君は一応・・・その、喜んだりしてるの」 「はい、俺は悟さんが好きなので、夢のようです」 「安っぽい夢を見るんだな」 相変わらず真顔で言うので、性質が悪いと堂嶋は思った。また少し顔が赤くなったような気がしたが、堂嶋はもう半分くらいはやけくそな気持ちで鹿野目の肩を掴んだ。そしてそれを引き寄せて、唇に触れる。鹿野目の唇は少し冷たくて、思ったより柔らかかった。鹿野目がこちらに手を伸ばしてきたので、ヤバいと思って慌てて距離を取ると、目の前を鹿野目の手が空ぶった。 「・・・これでいいの?満足?」 「悟さんはいつも彼女にそういうキスをしているんですか」 「え?なんで」 「彼女にやるみたいにもう一回やってください」 「え、やだよ、そんな」 「やってください。言っておきますけど悟さんに拒否権はないので」

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