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第8話
睨もうと目を向けたところで、顎を掴まれてそのままキスをされた。唾液と唾液の交わるいやらしい水音が、耳の傍でしている。赤くなるなと言われても、そんな風に真っ直ぐ好きだと言われれば、意識もするし赤くもなる。堂嶋の人生はもっと緩やかで平坦で、ドラマチックなことはドラマの中でしか起こらないから安心で安全で、そういう日常を堂嶋は愛していたし他のことなんて一度も望んだことなんてなかった。鹿野目の唇がすっと堂嶋のそれから離れる。足りない酸素のせいで、頭がぼんやりしてくる。ぼんやりしていても自分に馬乗りになっているのは、年下の部下で男だと言うことは分かっている。
「なんか、やだな」
「・・・な、ん・・・だって?」
「なんか悟さんって、情に脆くて流されやすいから、このまま押し切ったら俺と付き合ってくれそうって、なんかそういうありもしないこと妄想してしまう。そういうの空しくて嫌なんで、もっと俺のこと嫌がってくださいよ」
「い、嫌だって言ってるだろう!早く退いてくれよ!」
「ちゃんと目、開いてるんですか、キスしてるの俺ですよ。ぽーっとしないでください」
「し、てない、だろ!」
「はぁ」
無表情で鹿野目が溜め息とも返事ともつかない音を出すと、急にがばっと堂嶋の方に倒れ込んできてその手首をぎゅっと握った。目を白黒させている堂嶋の耳を噛んで、するりと右手で堂嶋の股間を撫でる。吃驚してびくりとソファーの上で体が跳ねた。
「勃ってますよ、悟さん」
「・・・は、・・・なん・・・」
「彼女とちゃんとしてるんですか。男にキスされて勃ててるなんて、ほんと」
「だ、そん、なの、生理現象だろ!仕方ないじゃないか!君がそんな」
「また俺のせいですか、もういいですけど」
呆れたように息を吐いて、鹿野目はそのまま堂嶋のベルトを外し、チャックを下ろして、下着の中に手を入れた。そこまでの動作に全く躊躇も迷いもなくて、堂嶋は愕然とした。冷たい手が直接触れる。堂嶋は背筋がゾクゾクと波打つのを感じて、思わず鹿野目の肩を掴んだ。ふっと鹿野目の口から息が漏れるのを聞いて、もしかして今、笑ったのかなと堂嶋は思った。
「悟さん、ほんとに、アンタってひとは」
「な、に・・・?・・・んっ」
「彼女も馬鹿だな、一緒に住んでるのに、何にもしないなんて」
ゆるゆると鹿野目の手が動いて、堂嶋はそれをどうして良いのかもう分からなかった。止めなければいけないのは分かっている、頭の端っこでは、時間が経つにつれて、鹿野目が良いように動くにつれて、どんどん自分の立場が悪くなっているのは理解しているつもりだった。けれど頭の先から足の指までびりびり痺れて、どうしようもないくらい気持ちが良くて、今まで考えていたこととか、目の前にあるどうにかしなくてはいけないこととかが、どんどん遠ざかって行く気がする。
「あっ・・・うぅ・・・や、はぁ、ん」
「俺なら、毎晩意識飛ぶまでやり倒すのに」
「なに、言って、あぁっ・・・や、かの、く・・・んんっ」
「一応、俺が抜いてるっていうの、分かってるんですね、悟さん」
俯いたまま鹿野目が言って、またふっと息を吐いた。笑った気配がしたけれど、またしてもそれは堂嶋の視界から外れたところにある。当たり前だろうと思ったけれど、当たり前だったのだろうか。年下の男の部下にいいようにされていることが、当たり前で良かったのだろうか。堂嶋は考えようとしたけれど、鹿野目の指が丁度よく堂嶋のそれを甚振るので結局何も考えられない。
「あぁ・・・っ、か、の、くん、も、やめ・・・っ」
「イきそうですか、いいですよ、このまま出してください」
「や、なん・・・あっ、はぁ」
「善がってる時の顔も、イク時の顔も、俺ちゃんと見てますから」
本当に意地が悪い。堂嶋は考えるのを止めて、鹿野目の肩にしがみ付いた。
(・・・ほんとに・・・今日は厄日だ・・・)
精液のついた指を、鹿野目が舐めるのを見ながら、堂嶋は顔を手で覆った。何かとんでもないことに足を半分突っ込んでいるような気がする。足を半分、いや両足とも突っ込んで、ともすれば腰辺りまでその水は上がってきている気がする。このまま溺れる、のか。堂嶋はどうしてこうなっているのか考えようとしたけれど、頭の中が熱くて熱くて何も考えることが出来ない。
「か、のくん、もう、いいだろ」
「はぁ」
「十分、だろ、もう帰らせて、くれ」
「彼女のところにですか。自分だけ気持ち良くなって?随分分の悪い取引ですね」
「そん・・・だって」
「後ろ向いてください」
ひくりと頬の筋肉が動くのが分かった。鹿野目は全くの無表情を崩さずに、堂嶋のことを見下ろしている。何か苛々している、ような気がする、と堂嶋は思ったけれど、この言葉の分かり合えない年下の部下の言いなりになることはできなかった。今まで散々言いなりになって良いようにされはしたものの、考えながら堂嶋はぎゅっとソファーの端っこを握った。
「・・・いやだ・・・」
「抵抗したら痛いですよ、俺はあなたのことが好きだから、できれば気持ち良くさせてあげたいけど、でもそんな優しさ出したら悟さん俺のこと本当は良い奴だとか、そんな風に勘違いして結局自分が苦しいだけかな」
「・・・何言ってるの、か、分からない、けど」
「いっそ酷くして手酷く嫌われたほうが良いのかな。でも俺そういう肉体的なSMは好きじゃない・・・」
「ほんとに何言ってるの、鹿野くん!」
手を伸ばして鹿野目の手首を掴むと、鹿野目ははっとしたように堂嶋の方を見た。
「す、好きって、そういうことじゃないだろ、君は、間違ってる」
「・・・そういうことなんですよ、俺にとっては。だって悟さんは絶対、俺のこと好きにはならないし」
「なんでそんな、決めつけて」
「いいでしょ、心までくれって言ってないんだ、体くらいちょっと触らせてくれたって」
「ちょっとじゃないだろ・・・何で君は、そんな」
「もう時間がないのに」
低く鹿野目が呟くその意味が、やっぱり堂嶋には分からなかった。
「だからぽーっとするのやめてください」
「し、てない!」
「あぁ、はいはい。分かりました。もう勝手にしますので」
「やだ、鹿野くん・・・ひっ!」
腕を取られてそのまま強引に向きを変えられる。うつ伏せの姿勢にされて、半分脱げているチノパンと下着を全部降ろされた。堂嶋は慌てて後ろを振り返ると、鹿野目は無表情で何かのボトルを握っていた。それを傾けるとどろっとした液体が鹿野目の手の上に落ちていく。
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