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第11話

家に帰った後、余り眠ることが出来なかった。あんなに眠かったのが嘘みたいだった。土気色の顔をして、堂嶋は家を出た。余りに気分が悪そうにしていたのが分かったのか、「飲みすぎなんじゃないの」と彼女が笑っていた。笑っていたのを見てほっとしていた。まさか、部下とあんなことがあったなどと、口が裂けても言えそうになかった。事務所に着くとチームのメンバーは、半分くらいしか揃っていなかった。佐竹の横の机をちらりと見やると、鹿野目はまだ来ていないようだった。 「おはようございます、堂嶋さん」 「あ・・・あぁ、おはよう、佐竹くん」 「今日、鹿野は徳井さんと現場行ってますよ」 「え・・・?」 佐竹がタイミングよくそんなことを言ってくるので、何故今、と思ったが、佐竹は頭の上にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げる。 「あれ、今、鹿野の机の方見てましたよね?」 「・・・あ、あぁ、うん。今日は帰ってこない、かな?」 「いや、午後から帰ってくるんじゃないすかねぇ、なんか用事ですか」 「あ、うん・・・引継ぎとか・・・そういうのもう大丈夫、かなと思って」 チームの1週間の大体の予定が書かれたホワイトボードを見ながら、佐竹が言う。確かに午前中は緑の外出中のマークが張られており、その下に現場の場所が書いてある。見れば徳井と同じになっている。しかし今日の右半分は白く、おそらく鹿野目は内勤の予定なのだろう。だとすれば、午後には帰って来るのか。顔を合わすのは、流石の堂嶋も気まずいと思った。このまま永遠に合わせないわけにはいかないかもしれないが、流石に昨日の今日で向かい合って仕事など平常心でできるわけがなかった。堂嶋はすっと視線を上げて、ホワイトボードの一番上の列を見やった。リーダーの堂嶋の名前は一番上に書いてある。今日の予定は真っ白だった。午後は会議があるものの、柴田とだからほとんど進捗状況の報告くらいできっと長引かない。それを見ながら、堂嶋は青ざめた。何か今からでも用事を作って外に出るしかない。 「堂嶋さん、鹿野のこと心配してるんですか?」 「え、あ・・・心配・・・?いや自分の心配・・・?」 「大丈夫ですよ、徳井も言ってましたけど鹿野、ちゃんと仕事は出来るやつですよ。まぁちょっと見た目はあれだし、愛想はないですけど」 「あー・・・柴さんと同じこと言うなぁ・・・」 「え?柴さんと?光栄だなぁ」 へらへら笑う佐竹を見ながら、堂嶋は溜め息を吐いた。 昼休みになるまで、鹿野目も徳井も帰ってこなかった。よしと胸中でガッツポーズを決め、堂嶋は鞄を持つとそそくさとデスクを後にした。事務所に残っている所員は、連れ立って昼食のために外に出かけている。佐竹も別のチームの所員と一緒に出掛けたようだった。堂嶋はチームで机が集められている島をふたつ過ぎたところにある、所長室の手前まで来ていた。 「柴さん」 所長室の隣に柴田のデスクがある。柴田はこの春から副所長という肩書きがついたものの、余り実情に変化はなく、もともと忙しかったのが、真中の事務処理を回されて最近は酷く忙しそうにしている。呼びかけると目の下にクマを作った柴田が顔を上げる。 「おぉ、堂嶋」 「柴さん、お昼、行かないんですか」 「あー・・・行く?」 忙しいと食事をとらなくなるらしい柴田は、薄っぺらくていつも寒そうにしている。誘うとついてきてくれるので、堂嶋は時々困ったことがあると柴田のところに行って相談するようにしている。しっかりストールを撒きつけて、鞄を持って柴田が立ち上がった。 放って置くと平気で何日も食事を取らなくなるのは、どうも柴田が過度の偏食であるせいらしい。通りでいつも顔色が優れないせいだ。今日ばかりは、柴田よりも酷い顔色をしている堂嶋は思った。好き嫌いの範疇を超えて、柴田は何でも食べられるわけではないらしい。事務所の周りには無数にお店があって、所員たちは昼食を食べるのをそれはそれで楽しみにしているようだったが、柴田だけは例外であった。食に興味はないらしいが、流石に食べずにいられるわけではないので、その無数のお店の中から、自分が食べられるものが置いてある店を、ちゃんと柴田はリサーチしている。だから柴田とご飯に行く時はいつも、柴田が食べたいものを決めて、堂嶋はそれについて行くことになっていた。今日は余りお腹が減っていないようで、そばにするというので一緒に蕎麦屋に入った。柴田は店の中で一番シンプルなかけそばを頼み、堂嶋は天ぷらそばを頼んだ。柴田は油で揚げたものは食べたくないと言って、堂嶋が天ぷらそばを食べるのを、どこか不思議そうに見ていた。 「柴さん、ちょっと相談があるんですけど」 「ん、相談?なに」 「あの・・・鹿野くんのことなんですけど」 「鹿野?どうした、上手くいってねェの?」 柴田は運ばれてきたかけそばをふたくちほど食べて、もう興味がなくなったのか、お茶を飲んだきり、箸を置きっ放しにしている。堂嶋はそれに口を出したほうが良いのかどうか、考えながら自分の箸を進めた。柴田とご飯を食べるといつもこうだ。 「いや・・・んー・・・なんかちょっと・・・俺には手に負えないって言うか・・・」 「へぇ、まぁお前のチーム、なんかどいつもこいつも勝手に仕事するタイプだからあんまり面倒とか見たことないもんな、お前」 「はぁ、そうですね・・・」 「鹿野ってさ、波多野さんとこにいたんだけど、去年度、真中さんに直談判したらしいよ。お前のチームに移りたいって」 「え・・・?」 柴田がまたお茶を飲んで、コップだけが空になっていく。狭い事務所の中で、元々異動は珍しいことだったけれど、チームの総力のバランスを保つために、それは時々行われていた。堂嶋にはよく分からないが、真中はそういうことが兎角気になる人らしく、人間関係だったり得意不得意のバランスだったりを見ながら、色々気を回しているようだった。だから鹿野目の異動もてっきり、何となくまたそういう類の事かと思っていた。驚いて目を丸くする堂嶋を、柴田はどこか楽しそうに見ていた。 「そう、俺も吃驚したけど、真中さんが嬉しそうに、鹿野が堂嶋さんが好きだから同じチームにしてくださいって言ってきたって・・・―――」 「す、きだから!?」 「え?何お前、聞いてないの?」 「ま、真中さんに、言った、んですか、それ・・・!」 言いながら堂嶋は顔が熱くなる気配がして、慌てて手のひらで頬を覆った。目の前の柴田がどうして平然としているのか、堂嶋には全く分からない。 「あぁ、うん。だって俺、真中さんから聞いたし。なぁ、堂嶋、煙草吸って良い?ここ禁煙かな?」 「真中さん・・・に・・・柴さんにも・・・」 「灰皿ないってことは禁煙かな・・・」

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