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第12話
結局柴田が食べないかけそばを、残すのがもったいないと主張すると、じゃあ食べればと柴田がトレーごと渡してきたので、堂嶋は食べることになった。もうお腹は一杯になっていたが、半分くらいやけくそになって、堂嶋はかけそばを啜った。
「そんな・・・やっぱり鹿野くんのことは良く分からない、そんなこと平気で言うなんて・・・馬鹿か・・・」
「いいじゃん別に。嬉しいことだろ、真中さんも喜んでたぞ」
「嬉しくない・・・まったく!全然!嬉しくないです!」
「あーそう。俺だったら嬉しいけど」
背もたれにもたれて、柴田が低く呟く。堂嶋はそれを見上げながら、それ以上言えなくて口惜しくて下唇を噛んだ。あんなことをされても同じことが言えるのかと、柴田に聞いてみたいような気がしたが、まさかそれを言えるほど図太くは出来ていなかった。その上、寄りにも寄って真中まで知っているとは、そんなことは全く考えていなかった。堂嶋は俯いてそばを啜りながら、ますます事務所に帰りたくなくなってしまった。真中がバイセクシャルであることは、何となく噂で知っていたから、多分鹿野目もそれをどこかで聞いて、だから真中には正直に言ったのだろう。それにしてもそれを嬉々として柴田に話す真中の気も知れないと思って、堂嶋は一体誰に怒りを向けたらいいのか分からなくなっていた。
「だってさ、考えてみろよ堂嶋。仕事ぶりに惚れて、一緒に仕事したいですって、最大の賛辞じゃない?俺も言われてみたいよ、そんなこと」
「・・・ん?」
柴田がふふっと笑いながら、こちらを見ている。堂嶋は意味が分からなくて、それにぱちくりと瞬きをした。食べることを止めた柴田は、煙草を吸うのを諦めたらしく、そこで酷く暇そうにしている。堂嶋は意味が分からなくて、もう一度瞬きをした。
「し、柴さん、今なんて」
「だから、好きって要はそういうことだろ?お前のいつどこの仕事をアイツが見てたのかしらねェけど」
「・・・そ、そういうこと・・・か・・・!」
「いや、お前なんだと思ってたの。それ以外に何かある?」
首を傾げる柴田に慌ててないないと手を振って、堂嶋は残りのそばを勢いよく啜った。確かにどう考えてもそういう結論になる。彼の好意が柴田の言う尊敬や憧れなんかではないことを、堂嶋は嫌というほどよく分かってはいたが。お腹は一杯だったが、少しだけ気分が高揚していて、今なら全部食べられそうな気がした。
「柴さん、俺」
「なに。堂嶋、早く食べて。俺、煙草吸いたい」
「俺、柴さんの仕事ぶりにはいつも惚れてますよ!」
「・・・あーそう。嬉しいわ、早く食べて」
「はい」
にこにこ笑って堂嶋が頷くのに、柴田はふうと溜め息を吐いた。
そば屋にいたのは結局40分ほどだった。ほとんど何も食べなかった柴田と一緒に事務所に帰ってくると、煙草を吸うと言って柴田はこのフロアにある唯一の喫煙スペースであるベランダの方に行ってしまった。堂嶋は煙草を吸わなかったが、何となくひとりでいるのも嫌だなと思って柴田の後を追うと、ベランダから丁度鹿野目が出てくるところと鉢合わせになってしまった。徳井と帰ってくるのはきっと午後だろうと思っていたから、鹿野目がそこから出てきたのは全くの計算外だった。あからさまに動揺して堂嶋は足を止める。そんなことに全く気付かない様子の柴田は、にこやかに鹿野目に近づくと、その肩をぽんぽん叩いて何やら楽しげに喋っている。柴田は真中やリーダー連中には厳しい人であったが、若手には妙に優しいところがあり、その様子を見ていると何だか堂嶋はそんな権利は自分にはないことは分かっているのだが、時々口惜しくなる。しかし鹿野目は相変わらずの無表情で、柴田が何やら色々言っているのに対して、短く頷いて返事をしているだけであった。
「あ、そうだ、鹿野。お前、堂嶋が心配してたぞ」
「ちょ、柴さん!」
「心配・・・?」
「まぁまぁ、折角念願かなって異動になったわけだしさ、もうちょっと仲良くやれよ、ふたりとも」
「・・・仲良く・・・ですか」
はははと無責任に笑うと、柴田は手をひらひら振ってベランダの方に歩いて行った。そこに堂嶋とともに残された鹿野目は、暫く柴田の痩せた背中を見ていたが、ふっと堂嶋の方に目を戻した。その真っ直ぐな視線に射抜かれて、反射的にびくりと体が跳ねる。鹿野目が手に持っていたマルボロの箱を、邪魔くさそうにパンツのポケットに仕舞い込むのが見えた。
「堂嶋さん」
「あ、う・・・」
呼びかけられて思わず左手でガードを作って、足を後退させる。昨日と違うと、少し思って堂嶋は考えたが、何が違うのか分からなかった。
「すみません、昨日は」
「え・・・ん・・・?」
鹿野目がその時、余りにもあっさりと謝ったので、堂嶋はガードの為に上げていた腕を、拍子抜けして下ろした。昨日の余りの強引さとは別人みたいだった。鹿野目が堂嶋の目の前で、深々と頭を下げている。じくりと良心が痛んで、堂嶋はふっと息を吐いた。
「いいよ、顔上げて、鹿野くん」
「すみません、俺も流石に、やりすぎました」
「あー・・・うん、反省してるのなら・・・」
それで許していいものかと考えながら、堂嶋はその鹿野目の視線から逃れたくて、すっと顔を背けた。良心と何故か堂嶋の心に芽生えた罪悪感がじくじくと痛んだ。やはり自分は誰かを従えたり命令したりするのは苦手だと思った。だから詰めが甘いとかなんとか、言われるのだろう。管理職には向いていないと、この間柴田にも眉間に皺を寄せて言われたばかりだった。全く柴田も鹿野目もオブラードに言葉を包むことをしないので、それを受け止める側の自分は胃が痛くなるばかりだった。もっとも、その時堂嶋の胃がきりきりしていたのは、先程2人前そばを食べたせいかもしれなかったが。
「でも、俺、嘘はひとつも言っていないので」
「・・・う・・・君は・・・懲りてないな・・・」
「どうせ、もうちょっとの間だし、仲良くしてください、堂嶋さん」
「もうちょっと・・・?」
そう言えば、あんまり思い出したくないし、実際のところ都合よくあんまり覚えていないのだが、昨日も時間がないとか何とか、そんなことを言っていたような気がする。それは一体どういう意味なのだろう。意味の分からない堂嶋が首を傾げると、鹿野目はその話は終わりだと言いたげに、珍しくふっと視線を反らした。その視線の先を追いかけて、ふと堂嶋は思い出した。違和感の正体は、きっと彼が自分のことを、『堂嶋さん』と呼んだからだ。昨日は名前で『悟さん』と呼んでいたから、何か違うような気がしたのだ。堂嶋が視線を戻して鹿野目を見ると、鹿野目は黙ったまままだ斜め下の床をじっと見ていた。その表情はいつものように静かに凪いでいて、彼の本心はそれを幾ら眺めたところで分からないのではないだろうかと思って、堂嶋は少しだけ寂しくなった。そんなことを言っては、また鹿野目が眉を顰めるに決まっているのだろうけれど。
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