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第13話

それから数日が何事もなく、余りにも穏やかに過ぎていた。移ったばかりの鹿野目も段々とチームの空気感に馴染んできているようだった。最近は徳井と二人で仕事をしていることが多い。徳井からの報告を聞いているだけでは、特に気になることもなく、やはり柴田がいつか言ったように、鹿野目は誰かの手を煩わせなくとも、自分のことはある程度自分で処理できるくらいの能力は持っているようだった。何か指導したり、管理したりするのが、性格的にあまり得意ではない堂嶋は、徳井からそういう報告が上がるたびにホッとしていた。堂嶋は自分でも能天気だと思っていたが、体の痛みが引いていくみたいに、頭の中から鹿野目とそんなことがあったことも、段々と消えていっていた。事務所で日常的に顔を合わせているのも一つの要因なのかもしれないが。春から夏に季節が変わりかけて、給湯室には半分くらい用がなくなったけれど、堂嶋は時々コーヒーが飲みたくなって、そこを訪れていた。電気ポットにはお湯が沸いていなかったので、やかんに水をかけてそれが沸騰するのを待っていると、誰かが入ってくる気配がして堂嶋は振り返った。この時期でもまだ温かい飲み物を飲んでいるのは、柴田くらいだからてっきり柴田だろうと思ったけれど、そこから顔を覗かせたのは鹿野目だった。 「あー、鹿野くん、おつかれ」 「お疲れ様です」 だから堂嶋はその時鹿野目に対して、何の身構えもなしにそう挨拶をした。鹿野目はいつも通り無表情なので、一体何を考えているのか読めないが、それもいつものことだと大分と慣れてしまった。佐竹が慣れればかわいいやつですよと笑いながら言っていたのに、賛同することはまだできそうにないが、多分その内そうだねなんて言って、皆で笑ったりするのだろう。 「堂嶋さん」 「ん?」 「体、もう大丈夫ですか」 「え、あ」 能天気に構えていたところで、不意に鹿野目が現実に引き摺り戻してきて、堂嶋は慌てた。ばっと振り返ると思ったより鹿野目は堂嶋の近くに立っていた。狭い給湯室でふたりきりでいるのも、急に何だか怖くなって、堂嶋は2,3歩足を後退させて、何の役にも立たないことは分かっていたが、腕を目線の高さまで引き上げて、それで一応ガードしているつもりだった。 「・・・だ、だいじょうぶだよ・・・急に・・・はは、どうしたの・・・」 「いえ、そろそろ大丈夫な頃合いかと思いまして」 「あぁ・・・お気遣いどうもありがとう」 唇の端から渇いた笑いが漏れて、そろそろと視線と意識が奥の扉に集中する。そこまで歩いて何歩かだというのに、その時堂嶋はそこまでが遥か遠い距離に思えた。すると堂嶋が自棄に身構えているのが分かったのか、鹿野目はふっと呆れたように溜め息を吐いた。堂嶋の視線が反射的に扉から離れて、傍に立つ鹿野目にぶつかる。背が高い分仕方がないと思ったが、そんな風に人を見下すのは止めて欲しかった。真っ直ぐ見られるのにやっぱり慣れなくて、堂嶋はすっと視線を反らす。 「そんなに警戒しなくても、職場で盛ったりしません」 「あ、そう・・・そりゃ・・・結構なことだ・・・」 「代わりと言ってはなんですけど、堂嶋さん今日、俺の家まで来てください」 「え、は?」 ぱっと顔を上げると、堂嶋がパンツのポケットからするりと携帯電話を取り出した。その動作には見覚えがある。ヒヤッとした汗が背中を伝って、堂嶋は逃げるところなんてないのにまた足を後退させようとして、狭い空間の中で必死にもがいた。鹿野目は黙ったまま、携帯電話の液晶を堂嶋の方に向ける。沈黙した携帯電話は黒いままだが、その意味は堂嶋にも理解できた。 「君、消したんじゃ、ないのか」 「一枚、消しましたよ、ちゃんと」 「・・・いちまい・・・?」 「あぁ、じゃあこれはどうですか」 それをささっと操作して、鹿野目はもう一度、液晶画面を堂嶋の方に向けた。画面はぶれたような格好で止まっているが、全面肌色で何となく嫌な予感がした。今度は写真ではないようだ。画面の中央に右向きの三角形が、表示されている。 「再生」 鹿野目が短く言って、画面の真ん中に触れた。 『あっ、やだ・・・か、の、く・・・んっ』 ばっと耳まで熱が上がって、堂嶋は思わず手を伸ばして鹿野目の腕を取った。鹿野目は携帯電話が奪われないように、それをさっと堂嶋には届かない高い位置に掲げる。天井から堂嶋の喘ぎ声が降ってくる。耳を塞ぎたいくらい鮮明に、それが聞こえる。 「君は、なにを・・・して・・・」 「いや、あんまりにも堂嶋さんが気持ちよさそうだったので、記念に撮ってみました」 「なんのだよ!馬鹿なのか!すぐ消してくれ!」 「はぁ、じゃあ俺の家に来てください」 「行くわけないだろ!馬鹿か!」 「じゃあこれ、柴田さんにでも見てもらおうかな。仲良くしろって言ってたし」 無表情で呟くと、鹿野目はささっと操作して動画を停止させると、またそれをするりとポケットの中に入れた。そしてするりと半身になると、自棄にあっさりと踵を返した。そのまますたすたと堂嶋がいつか遥か先だと思った扉の所まで歩いていって、そのまま給湯室から出て行こうとした。堂嶋は慌ててその背中を追いかけて、鹿野目の紺色のジャケットの裾を掴んだ。 「か、のくん」 「・・・なんですか」 鹿野目はこちらに背を向けたまま答えた。 「行くよ、分かった・・・行けばいいんだろ」 「了解してもらっておいてなんですが、来てもらったらまた同じことをして貰いますけど良いんですか」 「言いも悪いもないだろ!ただしそれはもう消してくれ、前の写真も全部!」 「全部?」 「全部だ!」 ゆっくり振り返って、鹿野目はふうと息を吐いた。少しだけ煙草の匂いがする。さっきまで煙草を吸っていたのだろうか。 「割に合わないなぁ。全部消したら俺、もう堂嶋さんとセックスできなくなるじゃないですか」 「・・・もう・・・どこからどう突っ込んだらいいのか分からないけど・・・鹿野くん、君は、頭が可笑しい」 「はぁ、堂嶋さん、俺に突っ込みたいとか物好きですね」 「ちがう!ばか!」 泣きそうな声で抗議をすると、鹿野目はふっと鼻で堂嶋のことを笑った。鹿野目が笑ったのをはじめて間近で見たような気がするが、余りにも可愛げが足りていなくて、堂嶋は頭が痛いと思った。

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