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第14話

漆黒の扉が目の前で開いて、その向こうに鹿野目が立っていた。職場で着ていたジャケットは脱いでいて、白いカットソーだけになっている。堂嶋はそれを見上げながら、どうして自分はこの部下に言われるままここを訪れているのだろうともう一度深く考えた。先刻彼女にちょっと後輩の家に寄って帰るから遅くなると電話すると、電話の向こうの彼女は全く警戒心のない様子で、じゃあ先に寝てるねと言っただけだった。後輩が男か女かすら確認されなかったが、これが女の子だったらどうするつもりなのかと、堂嶋は思った。自分もそうだが、彼女も脇も詰めも甘い。そんなことだからふたりで大した喧嘩もせずに、仲良くやって来られたのかもしれないが。堂嶋は考えながら、鹿野目の無表情をじっと見上げていた。すると不意に鹿野目に二の腕を引っ張られて、よろけるように部屋の中に入る。相変わらずこちらの焦燥と鹿野目は無関係だ。 「鹿野くん・・・引っ張るの止めてくれないか」 「今、帰ろうとしたでしょう」 「してないよ、なんでそんな」 「俺、悟さんの考えていること大体分かるので」 「・・・俺は君の考えていることが全く分からないよ」 そうですか、と鹿野目は冷たく呟いた。はぁと小さく堂嶋は溜め息を吐いて、革靴を脱いだ。ふと顔を上げると監視するみたいに鹿野目がじっとこちらを見ていて、強引に呼びつけておきながらそんな風にいちいち不安で仕方ないなんて、可哀想なのは一体どちらなのだろうと堂嶋は思って、少しだけ鹿野目のことが不憫に思えた。いつ鹿野目が自分の事なんか好きになったのか分からないが、こんな風にしなくても、もっと別のやり方があっただろう、もっと別のやり方をきっと鹿野目は選ぶべきだった。こんな最悪な方法じゃなくても、きっと思いを伝える方法は幾らでもあったはずだった。 (この敷居を跨ぐと俺はさとりさんになるんだな、で職場で会えば堂嶋さんで、鹿野くんの中では一応線引きがあるんだな・・・) 廊下を歩きながら堂嶋は考えた。さっき確かにさとりさんと彼は自分のことを呼んだと思う。堂嶋さんと職場で呼ばれた時、少しだけ寂しかった気持ちがふわっと蘇ってきて、自分はこの部下に対して一体何を考えているのだろうと思ったら、今更恥ずかしくなってきて堂嶋は慌てた。 「なんで赤くなっているんですか、悟さん。まだ何もしていません」 「・・・うるさいな、君は。放っておいてくれ・・・」 「はぁ、コーヒーでも飲みますか」 「・・・淹れてくれるのか・・・」 「何驚いているんですか、俺は一応あなたの部下のはずですけど」 「部下は上司を脅したりしないものだよ、鹿野くん」 呆れたようにキッチンに向かう鹿野目の背中に声をかける。常識があるのかないのか分からない、鹿野目のことは本当に何も分からない。話せば話すほど分からなくなってくる。堂嶋はテレビの前に置いてあるガラスのテーブルの前に座って、鹿野目の背中を見ていた。ふと見れば開いた雑誌の近くに、携帯電話がぞんざいに置いてある。堂嶋は手を伸ばしてそれを掴んだ。ちらっと鹿野目を見やると、まだこちらに背を向けている。電源を入れると案の定ロックがかかっている。4ケタの数字を携帯電話は無情に要求してくる。鹿野目の誕生日は、と思ったが、堂嶋は鹿野目の誕生日を知らなかった。 (情報が・・・なにも・・・ない・・・) 「何やっているんですか、悟さん」 堂嶋が携帯を握りしめたまま、がっくりと打ちひしがれていると、鹿野目の声がしてはっと顔を上げると、カップをふたつ持った鹿野目が堂嶋を見下ろしている。いつの間にここにと口には出さずに思って、堂嶋はぱっと携帯から手を離した。 「・・・何やっているんですか、人の携帯握りしめて」 「いや、ちょっと・・・なにもしてないよ、うん。あぁコーヒー、ありがとう」 「消そうとしても無駄ですよ、どうせロックナンバー分からないんだし」 「うっ・・・まぁそうなん、だけど」 自分の方が悪いことをしているみたいな気持ちになってきて、堂嶋は鹿野目から視線を反らしてぼそぼそと呟いた。熱いコーヒーの湯気さえ、肌に突き刺さるみたいに痛い。そうやってふたりで黙っていると、ずっと昔からこんな風にしているような気がして不思議だった。鹿野目の部屋に訪れるのは2回目だったけれど、必要なもの以外何もない部屋の中が、意外に居心地が良くて、堂嶋はすっかり馴染みかけている自分にまた慌てた。こんなことだからやっぱり脇が甘いと言われるのだ、もう反論しようもない。 「悟さん」 「あ、なに?」 ぼんやり考えていると、急に鹿野目にそう呼びかけられて、ふっと視線を戻したところで、唇を塞がれて、堂嶋はあぁそういえばそういうことをするために自分はこの部屋に来たのだと思い出した。ふっと鹿野目の唇が離れる。堂嶋はそれを無意識で視線で追いかけて、相変わらず鹿野目は性急で何を考えているのか分からないと思った。手の中のカップはまだ温かい。 「服、全部脱いでください」 「・・・鹿野くんちょっと、ま・・・」 声が震えている。自分のことながら情けないと思った。しかし鹿野目は全く聞いていないのか、それとも聞く気がそもそもないのか分からないが、また勝手にばさりと着ていた白のカットソーを脱いだ。はっとして堂嶋は、慌ててそれから目を反らした。何故女の子の裸でもないのに、自分がこんなに照れなければいけないのか分からない。鹿野目も分からないだろうが、堂嶋だって何故なのか分からない。見ていると勝手に顔が赤くなってくるので、仕方なく目を反らしているのだ。 「悟さん、今日彼女になんて言って来たんですか」 「え、あ・・・ええーと・・・後輩の家に寄るって」 「そのまんまですね、彼女は何にも言わなかったんですか」 「あぁ、うん。それじゃ先に寝てるねって、それだけ」 「・・・ふーん」 それで一応納得したのか、鹿野目は何も言わなくなった。ちらりと視線を鹿野目に向けると、鹿野目は全く視線を反らすことなく、また射抜くみたいに堂嶋を見ている。そんな目でいつも、一体何を見ているのだろう、怖くて聞くことなんてできない。 「悟さん」 「え、あ」 腕を急にとられて、堂嶋は反射的に顔を上げる。鹿野目は上半身裸のまま、いつの間にか立ち上がって堂嶋の腕を掴んでいる。 「な、なに・・・」 「隣の部屋に行きましょう、ベッドもあるんで」 「あ、そういう・・・はは」 「なに笑ってるんですか」 「いや、ごめん」 堂嶋は謝ったが、自分が何に対して謝っているのか分からなかった。

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