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第19話
ベッドサイドのテーブルにとんとコップが置かれて、堂嶋はうとうとしていたことにそこではじめて気が付いた。ぼすっと近くに重みが乗って、ベッドのパワーバランスが崩れるのが分かった。目を擦りながら上半身を起こすと、鹿野目が堂嶋から少し離れたところに座って、コップを傾けていた。多分中身は炭酸のジュースだろうと思った。鹿野目の部屋に行くことが増えて、鹿野目のことは少しだけ分かるようになってきた。鹿野目は家でお酒は飲まないようで、冷蔵庫の中には飲み物はお茶と炭酸のジュースしか入っていない。とすればこのコップもジュースかと思いながら取り上げると、中身は水だった。
「鹿野くん、何で俺は水なの」
「あ、悟さん起きたんですか」
光るテレビを見ていたらしい鹿野目が振り返って、今気付いたみたいにこちらに寄って来た。堂嶋は黙ったまま鹿野目の腕を引くと、コップの中を見やった。透明な液体の中を炭酸の泡が泳いでいる。やっぱりコップの中は炭酸のジュースだった。
「俺もこっちが良い」
「分かりました、変えてきます」
水の入ったコップを持って、鹿野目はベッドから降りた。堂嶋はそれをややぼんやりした頭で見送る。すると鹿野目が寝室の出口で急に振り返って堂嶋のほうを見やった。
「悟さん、いつまでも裸でいたら風邪ひきますよ、服着てください」
「どうせ君が脱がせるんだから二度手間だろう、面倒臭い」
「・・・アンタの順応性どうなってるんだ」
「なんてー?」
「いいです、もう。飲んだら風呂入ってくださいね」
面倒臭い、またベッドに臥せって堂嶋は考えながら、瞬きをした。鹿野目の目や手は、堂嶋が拒絶や拒否の姿勢を取らなければ優しくて気持ちが良くて、心地が良かった。こんなこといつまでも続けられないと、この間思っていたところだったのに、鹿野目に抱きすくめられるとそんなことを思案するのは次で良いかという気持ちになってしまって、ずるずると問題を先延ばしにしている、先延ばしにしている自覚は一応堂嶋にもあった。ベッドサイドのテーブルにはマルボロの赤箱とライター、それから鹿野目の携帯電話が置いてある。そっとそれに手を伸ばして、堂嶋はロック画面をじっと睨んだ。後で調べて判明した鹿野目の誕生日を入力してみても、勿論エラーで跳ね返ってくる。マンションの部屋番号、電話番号もエラー表示にしかならない。堂嶋はそれに顔を寄せて、考えた。後、一体彼がロック番号に使いそうな番号は何だろう。
「悟さん」
「うわっ」
頭上から声がして、堂嶋は慌てて鹿野目の携帯から手を離した。大きい手のひらがそれを拾い上げて自分のパンツのポケットに捻じ込む。そしてベッドサイドのテーブルにとんと音がしてカップが置かれる。ちらりと鹿野目の様子を見やると鹿野目はこちらを見ていなかった。
「あ、ありがとう・・・」
「まだ諦めてなかったんですね」
「いや・・・別にもういいんだけど・・・いや良くないか・・・」
「どっちですか、どっちにしろ、悟さんには絶対にロックナンバーは分からないですよ」
「そんなのやってみなきゃ分からないじゃないか」
冷えたジュースは堂嶋の熱くなった内臓をすっと冷やしてくれた。ずっと前にこんなやりとりをしたような気がすると思いながら、堂嶋はその時一体何を言い合っていたのだろうと思った。詳細までは思い出せない。ふっと鹿野目がこちらに目を向けた。相変わらず無表情だった。
「あと12枚残ってます」
「・・・あー・・・半分切ってる」
俯いて笑うと鹿野目の手が伸びてきて、ゆるりと頬を撫でられた。鹿野目の親指が唇に引っかかって、ぐっと中に入ってきた。噛んだらどうするのだと思いながら、堂嶋はわざと緩慢に上下の歯の間に隙間を作って、鹿野目の指を中まで入れる。
「舐めて、悟さん」
眉間に皺を寄せて、鹿野目が呟く。唾液を飲み込まないようにして、わざと音を立てて鹿野目の指を舐めて、吸う。何の味もしない、肉の塊だった。それを見ている鹿野目の顔は無表情だ。もう少し可愛げがあってもいいのにと思いながら、堂嶋はベッドサイドのテーブルに貰ったばかりのコップを置いた。鹿野目の腕を掴んで唇から指を取り出す。ずるりと唾液が糸を引いた。
「鹿野くん、脱ぎなよ、もっといいところ、舐めてあげる」
「・・・悟さん」
「舐めた後、セックスしたら4枚でしょ、そしたら後ヒトケタだ」
「こんなことももう終わりですね」
鹿野目は動かないままコップを傾けてジュースを飲んだ。
「大丈夫ですよ、悟さん、無理してそんなに焦らなくても」
「別に焦ってるわけじゃ・・・」
「俺、貴方が結婚したら、こんなことちゃんと止めますから」
またゆるゆると頬を撫でられて、堂嶋は黙ってしまった。鹿野目は嘘は言わないから、きっとそれも本当の事だろう。ならば結婚するまで鹿野目との関係はこのままでいいのだろうか、考えていると唇にキスをされてそのまま鹿野目に押し倒された。
「んっ・・・だから、鹿野くん・・・俺、するって・・・」
「もうちょっとこのままにしておいてください」
耳元で囁かれて、体がびくんと跳ねる。鹿野目の目は堂嶋を射抜いてはいないけれど、きっと本気なのだろう。どうやっても鹿野目のことを選ぶことが出来ない堂嶋は、幾ら鹿野目に同情してもそれを形にすることが出来ない。鹿野目はそれが分かっていて、それに気付いていて、だから心まではいらないと無表情で呟くのだ。鹿野目の頭を撫でて、堂嶋は天井を仰いだ。すっかり見慣れたものとなった鹿野目の寝室の天井を、その日は少しだけ寂しい気持ちで仰いだ。こんな風にくっついているのに、堂嶋の力では鹿野目の震顫を止めることが出来ない。鹿野目が真っ直ぐ愛しているのが堂嶋だからこそ、堂嶋にはその力がない。
(このままでいいの、本当に、鹿野くん)
(でも、こんなこと、俺に言う権利はないのかな)
その後鹿野目はどうするのだろう。震えるみたいに苦しいくらいに好きなのに、その手を取られることを鼻から期待しないで、そのくせ献身的で暴力的な愛だけは捧げて、そしてその後鹿野目はどうするのだろう。この部屋に戻ってきてこのベッドの中でひとりで丸まって泣くのだろうか。堂嶋と抱き合った日のことを思いながら泣くのだろうか。胸がずきずき痛んでも、堂嶋にはそれをどうすることも出来ないで、ただ苦しむだろう鹿野目の肩に手をやって、同情みたいな言葉を呟くことしかできない。
(このままじゃ、駄目だよ、鹿野くん)
分かっていたけれど、他にどうしたらいいのか分からなかった、ふたりとも。
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