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第21話

会議室をようやく脱出して、堂嶋は資料を握りしめたまま事務所に戻ってきた。ばたばたと今日も忙しそうに所員が走り回っている。デスクには鹿野目の姿はなく、そこには戻っていないようだった。一体どこに行ったのだろう、何と声をかけるつもりなのか分からないまま、堂嶋はそっと事務所を抜け出した。エレベーターホールを過って、ベランダに続く扉についた窓から外の様子を伺うと、紺色のジャケットが見えた。外は少し風があるのか、鹿野目の色の抜けた髪の毛をふわっと浮かせていく。その下の剃り上げられた部分を見るたびに、堂嶋はどうしようもなく彼がまだ若いことを自覚したりしている。何を言えばいいのか分からないけれど、そのままにしておくのも苦しくて、堂嶋はベランダに続く扉を回して開けた。 「おー、堂嶋、どうした」 「あ・・・」 てっきり鹿野目ひとりかと思っていたが、そこには柴田も一緒におり、何となくまた調子を狂わせられているような気がする。柴田の口にくわえられた煙草から、薄く煙が立ち上っているのを見ながら、堂嶋はそれに何と答えるべきか考えていた。まさか鹿野目を追いかけてきたと馬鹿正直に言うわけにもいかない。困った堂嶋は鹿野目をちらりと見やると、鹿野目はそこで何でもないような顔をして、咥えていた煙草を設置された灰皿にとんとんと叩いて灰を落としていた。 「お前、煙草吸ったっけ?吸わないよな」 「あー・・・はい、吸いません」 「だよな、じゃあなに、あ、鹿野?」 にこっと柴田が笑って、今日は比較的機嫌が良い日で良かったと堂嶋は思った。それに曖昧に頷くと、柴田は煙草を灰皿に押し当てて火を消した。 「じゃ、俺はもう戻るわ、ごゆっくり」 ぽんと去り際に肩を叩かれて、きっと柴田にとってはそれ以上の意味はなかったのだろうが、妙に意味深にそう言われて、堂嶋の背中で扉が閉まる。ふっと温度の高い空気が動いて堂嶋の前髪を揺らした。視線を戻すと鹿野目はこちらに背を向けて残りの煙草の煙を吐き出していた。 「鹿野くん」 「なんですか」 相変わらず冷たい物言いと表情だと思いながら、堂嶋は鹿野目の隣の柵に両手を預けて体を揺らした。何と言うべきなのか分からないまま追いかけてきた。顔でも見たら少しは言葉が浮かぶかと思ったけれど、頭の中は空っぽのままだった。 「あの、ええーと・・・」 「別にいいんです、堂嶋さんが罪悪感なんて覚えなくても」 「・・・あー・・・」 「俺が勝手に拗ねてるだけなんで。だから機嫌なんか取りに来なくてもいいですよ」 ちらりと隣に立つ鹿野目を見やるとその視線は宙に投げられたままだった。堂嶋は柵に体を預けたまま、ふうと溜め息を吐いた。 「そんな悲しいこと言わないでよ、機嫌くらい取らせてくれ」 「・・・デリカシーというものに欠けています、堂嶋さんは」 「分かってるよ!けどどうしたらいいのか、俺だってわかんな・・・」 「別にどうもしなくていいんじゃないですか」 視線を宙に投げたまま、鹿野目がポツリと呟く。それにはっとして、堂嶋は鹿野目の切れ長の目尻を見ていた。鹿野目はもう最近、射抜くようにこちらを見ることは少なくなった。いつも目を伏せているか、反らされているような気がする。それを追いかけてしまうのも、何となく筋違いだと思いながら、止めることができないでいる。そんな時に鹿野目が涼しい顔をしていると、どうして自分ばかりがこんなに苦しい思いをしなければいけないのだ、なんてお門違いのことを考えてしまうのだ。 「堂嶋さんは今までの計画通り、カノジョと結婚して幸せになったらいいんですよ」 「・・・それで、君はどうするの」 「俺の事なんて別にいいでしょう」 「良くないだろ!俺だって一応、君に踏み込んだ責任とか、色々、あると思ってるんだ」 鹿野目の視線がゆっくり動いて、隣に立つ堂嶋を正面から捉えた。震える。鹿野目の視線はいつも射抜くみたいに強くて鋭いから、それに正面から見られると足が竦むような思いがする。堂嶋は無意識のうちに震える両手をぎゅっと握りしめていた。 「優しいなぁ、堂嶋さんは」 「・・・からかっているのか、君は」 「別に。優しいけど、そんなの結局俺のためなんかじゃなくて、自分の罪悪感を慰めるためでしょ」 「・・・―――っ」 「図星、結局貴方ってそういうひとなんだ。まぁそういう人間的に甘いところも好きなんですけど」 すっと視線がそれて、堂嶋は少しだけほっとした。睨んでも鹿野目はもう何も言わないことは分かっていた。唇に咥えられた赤のマルボロが、煙を吐き出し続けている。堂嶋はゆっくり手を伸ばして鹿野目の二の腕を掴んだ。ふっと鹿野目がこちらを見やるのに合わせて、煙の形が変わる。 「分かってるならいいじゃないか、それで」 「堂嶋さん」 「機嫌くらい取らせてくれよ、俺が君相手に罪悪感を覚えなくても良いように」 「・・・サイテーだな、堂嶋さん」 無表情で鹿野目が呟く。唇から短くなった煙草を取って、先ほど柴田が消していった灰皿目がけて放った。それは綺麗な放物線を描いて中に消えていく。 「君は俺がサイテーでも好きなんだろう」 「・・・はは、そうだな、そうですよ」 鹿野目が口を開くと、そこからマルボロの匂いがする。その匂いももう覚えてしまった。抱き締めると肩口から香る香水の匂いも、多分忘れないだろう。街で擦れ違ったらきっと匂いだけでも気付くに決まっている。堂嶋は鹿野目の腕を引いて、その唇に下から噛みつくみたいにキスをした。だらりと垂直に落ちた二本の腕は、堂嶋の体を抱き締めたりはしない。 「前に、鹿野くんが彼女とするようにキスしろって言ったことがあったけど」 「・・・あぁ」 「俺は君としかこういうキスはしないよ、本当に」 「・・・―――」 ふっと鹿野目が空を仰ぐように顔を上げて、堂嶋の肩をとんと手で押して距離を作った。 「鹿野くん?」 「ほんとに、デリカシーがない、堂嶋さん」 だらりと落ちていく手を捕まえて、堂嶋はその指先に唇をつけた。びくっと鹿野目が震えてやっとこちらを見たのと視線が交錯した。それを見ながら、きっと多分、もっとこんな風に震えるくらい真っ直ぐに、見て欲しかったのだと堂嶋は思った。

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