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第23話
それは翌日のことだった。
「堂嶋、ちょっと」
険しい顔をして、柴田が遠くから堂嶋のことを呼んだ。びくりと反射的に肩が震える。柴田は事務所の奥、会議室が並ぶ廊下の奥を指さし、それだけでそちらに来るように促すとくるりと背を向けて先にさっさと行ってしまった。何か不味いことでもあったのだろうか、青ざめたまま堂嶋は立ち上がって、慌てて柴田の後を追いかけた。柴田に怒られるのは今に始まったことではないし、慣れたと言えば慣れたのだが、それでも毎回心臓がぎゅっと縮むような気持がして、勿論いい気分ではない。今日は堂嶋のチームはがらんとしており、朝から皆外に出かけているようだった。唯一残っていた佐竹だけが、しょっぱいような表情をして堂嶋に同情するみたいに手を上げた。それに眉を顰めて、堂嶋は会議室に消えてしまった柴田の背中を追いかけた。
「・・・なんですか、柴さん」
「まぁちょっと、そこ座って」
締め切られたせいでややムッとしている空気の中、柴田はもうすぐ夏が来るというのにまだカーディガンを羽織っていた。言われるままに柴田の目の前の椅子を引いて座る。柴田の表情は険しかったけれど、何処か少しだけ迷っているような曖昧なものだった。
「柴さん?」
「あのな、お前、やっぱり鹿野と上手くいってねぇんだろ」
「・・・え?」
眉間に皺を寄せて目の下を黒くした柴田の口から出てきたのが鹿野目の名前で、堂嶋は反射的に聞き返していた。柴田がそれにふっと息を吐く。
「昨日、鹿野が俺のとこに来たよ、話があるっていうから何かと思ったけど」
「・・・あ・・・あぁ・・・」
「アイツ、ここ辞めたいってさ」
「・・・は?」
昨日、そういえば確かに鹿野目が柴田のところまでわざわざ話をしに行っていたのを、何となく目の端で捉えていた。しかし後でその真意を尋ねると、彼は確かにデュエットがどうとか、と言っていたはずだ。辞めるとか辞めたいとか、そんな話は聞いていない。口を開いて呆然とする堂嶋を見ながら、柴田はふうと深く溜め息を吐いた。そして目の前で組んだ指の形をゆっくり変える。
「はっきりお前がどうのってことは聞いても言わなかったけど、結局そうなんだろ?今まで鹿野そんなこと一度も言ったことねぇし」
「・・・そん、やめるって、そんな・・・」
「お前も聞いてないみたいだしな、やっぱそうか」
柴田の納得している何が『そう』なのか分からずに、堂嶋は空いた口を手で覆った。
「なぁ、堂嶋。お前分かってんの?」
「え・・・?」
「鹿野はちゃんと仕事出来るやつだよ、真中さんだって期待してる。それをお前、お前の不手際でどっかの事務所に移ることになってんだぞ。お前それ、お前は自分の責任分かってんの。自分で責任とれると思ってんの?」
「・・・―――」
「ちゃんと鹿野の言うこと聞いてやってたの、なんであいつがお前じゃなくてそれを一番に俺に相談しに来てるんだよ、それをお前、どういうことかちゃんと分かってんの?」
とんとんと柴田が目の前の机を指で叩いた。柴田の言っていることは正論だと思ったが、堂嶋にはひとつも正しくは響かなかった。鹿野目がここを辞めると言ったことも、それを柴田に一番に相談したことも、多分柴田の想像していることでないだろうことを、堂嶋は知っているからだ。そういえば今日は一度も鹿野目の姿を事務所で見ていない。徳井と一緒に外に出ているのだろうか、柴田がまだ目の前で何か言っていたが、堂嶋はもう半分以上聞いていなかった。ふっと柴田の声が途切れたところで、ふらっと立ち上がる。
「オイ、堂嶋」
「すいません、柴さん、俺ちょっと、鹿野くんと話をしてきます」
「・・・あー・・・アイツの意志は固そうに見えたけど」
苦い顔をした柴田が、そう呟いたのを背中で聞いていた。会議室を飛び出して、堂嶋は自分のデスクまで戻ってくるとメンバーの予定が書かれたホワイトボードを確認する。朝も確か確認したが、何も覚えていなかった。一番の新人の鹿野目の名前は一番下にあり、空白になっている。
「外に出てるんじゃないのか・・・」
「堂嶋さん、早かったっすね、柴さん怒ってました?」
後ろから暢気な声で佐竹が話しかけてくる。勢いよく振り返ると、佐竹も堂嶋が血の気の引いた顔をしているのが分かったようで、ぴくっと頬の筋肉を引き攣らせた。
「佐竹くん、鹿野くん今日、何してるか知ってる?」
「鹿野ですか、鹿野は・・・あぁ、確か今日、休みっすよ」
「休み?昨日そんなこと言ってなかったのに・・・」
「へ?堂嶋さん、鹿野がどうかしたんですか?」
首を傾げるようにして佐竹が聞いてくるのに、彼にも分かるように説明している暇はなかった。何度も行っているので鹿野目の自宅は分かっている。休みだというだけで自宅にいるかどうか勿論分からなかったが、堂嶋は何を根拠にしてか自分でもよく分からなかったが、鹿野目が家にいることを確信していた。堂嶋は自分の鞄と机の上に放り出された携帯電話を掴んで、携帯電話をパンツのポケットに突っ込むと、それをぼんやりと見やっている佐竹に向かって手を上げた。
「ごめん、俺、ちょっと出てくる!」
「え?堂嶋さん?」
佐竹の声に振り返ることなく、堂嶋は走って事務所を出て行ってしまった。残された佐竹は堂嶋が先刻まで見ていたホワイトボードの前に立ち、少し考えて鹿野目の空欄に休みと赤で書いて、堂嶋の午後の会議の予定を指で消し、出張のマグネットを張り付けておいた。
「会議飛ばしたらまた柴さんに怒られるのに、馬鹿だなー・・・」
「佐竹」
ホワイトボード相手にぼそぼそ独り言を呟いていると、不意に名前を呼ばれて振り返る。そこに眉間に皺を寄せた柴田が立っていた。
「あ、柴さん、どうしたんですか」
「堂嶋は」
「あー・・・今出て行きましたよ、何か午後から出張みたいで」
「お前が工作するの、見てたけど」
「あちゃー・・・ははは」
不機嫌そうに眉を顰めた柴田相手に、少しおどけてみたけれど、柴田は眉間の皺を深くすることしかしなかった。佐竹は乾いた笑いを立てて、堂嶋の無事を祈ることしかもうできない。
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