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第一話 発覚①

 それは成人式の日から起こった。  朝も早く母親に叩き起こされ、「成人式の日くらい自分で起きなさい!!」と怒鳴られ、のそのそと起き上がって自室を出た。  二十歳を過ぎて何ヶ月かたっているけれど、俺は未だに実家に住んでいる。自分に甘い俺は、まだ実家を出るなんてこと考えもしていなかった。  楽だから。自炊しなくていいし、洗濯も掃除も、やってもらえるから。  あと、バイトで稼ぐ金も全部遊びに使えるから。我ながら最低だ。  2階の自室から1階の洗面所へ向かう。築三十年ほどの一軒家には、両親と俺と妹が住んでいる。兄もいるけれど、今は立派に働いて一人暮らしをしている。  俺と違って、と思いはしても卑屈にはならない。だって兄と俺は別の人間だ。優秀な兄とダラシのない俺。だからなんだと思うわけだ。  冷たいフローリングの床は、あっという間に俺の足の感覚を奪っていく。 「寒っ」  そう誰にともなくつぶやいた時だ。  ガクッと足の力が抜けた。一瞬のことで、何が何だかわからないまま、俺は廊下で転んでいた。洗面所は目と鼻の先だった。 「何?どうしたの?」  歯ブラシを咥えたまま、洗面所から妹である愛香(あいか)が顔を出す。不審気に眉根を寄せている。兄の心配なんてまったくしていないうだ。 「転けた」 「バッカじゃない」 「うるさいよ…」  強かに打ちつけた腰をさすりながら立ち上がった。よかった、別にどこもおかしなところはなさそうだ。ちょっと足の着き方でも悪かったんだろう。 「成人なのに、鈍臭いのは治らないのね」 「うるさいって」  俺は妹の頭を軽く叩き、睨まれながら隣で歯を磨く。世間的に大人と認められるからといって、別に体が進化したりするわけじゃない。従って俺の鈍臭さが治ることなんてない。諦めろ妹。 「今日、お昼には帰るよね?」 「ん」 「みんなで食事しようって、お父さんが言ってたよ。久しぶりに外食だって。お兄ちゃんも呼んで」 「ふーん」  気のない返事を返すと、愛香はムスッとして洗面所を出ていった。  家族で外食。確かに久しぶりだった。  でも嬉しいかと聞かれたら、別にどうでもいいや、というのが本音だ。家族が集まっても俺にいいことなんてない。  名目上俺の成人祝いだけど、きっとなかなか実家に帰れない優秀な兄の話で盛り上がって、それで俺には誰も何も言わない。  楽ではあるけれど、面白いわけでもない。でも別にいいんだ。俺にはその程度の扱いがちょうど良いのだ。  なんて、やっぱりちょっと卑屈になりながら、成人式の準備を済ませる。スーツに革靴、アホみたいな面に似合わない、上品な柄のネクタイ。  母親になんだか小言を(馬子に衣装ねとか、今日くらいシャキッとした顔しなさいとか)言われながら家を出て、父親に会場まで車で送って貰った。 「律、本当におめでとう」  車を降りる時、父親が改まった口調で言った。フレームの細いメガネの向こうの父親の眼は、本当に嬉しそうだった。 「ん、ありがとう。じゃあ、また後で」  父親はニッコリ微笑んできた道を戻る。  会場のロータリーは、前日に薄く積もった雪と、朝から降っている小雨のせいでドロドロだった。おろしたての革靴の心配をしながら入り口へと向かう。  受付で葉書を出して、濃いピンクのコサージュを付けられたり、案内の書いた紙をもらったりしていると、中高の同級生が来て合流。  式自体は、なんのビックリもなく進んだ。  誰かが悪ふざけで壇上に上がったりだとか、そんなこともなくて。ただボーッとしている間に、いつのまにか終了していた。  同級生たちとは、それなりに何か話したりもしたけれど、覚えていないくらいどうでもいい話だった。彼女はできたかとか、大学は楽しいかとか、そんなもの。  みんなとの別れ際、また、俺は何もないところで転んだ。べちゃべちゃのロータリーで尻餅をついた俺を、みんな笑いながら助け起こしてくれる。  せっかくのスーツが台無しだと俺も笑った。 「ホント、律って鈍臭いよな、昔から」  全くその通りだ。  じんわり冷たさの残るケツに、やれやれとため息がもれる。  多分母親はキレるな。汚してしまったんだから。でもま、今日くらい許してくれるだろう。というか、雪なんか降るのがいけない。  なんてことを考えていると、父親がまた迎えに来て、そのまま予定していた外食となった。  いつにも増して豪華な食事だったけど、予想していた通り話題の中心は兄で、俺はせっせと食事をして、帰るまでの間ひたすらスマホでパズルゲームをして過ごした。  俺の扱いなんてこんなもんだ。昔から変わらない。  そんなことより、今日は二度も転んでしまった。我ながら不運な日だ。これからは気をつけよう。  なんて思いながら、俺の成人式は無事に終わった。

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