4 / 28
第三話 発覚③
病院を出られたのは、すっかり空が暗くなってからだった。
一月の身を斬るような冷たい風が強く吹き荒んでいた。おまけにまた雪が降り出していて、これはきっと積もるだろうなと思った。
「ごめんな、こんな時間まで付き合わせて」
もう昼飯の時間もとっくに過ぎてしまったのに、有澤はずっと付き添っていてくれた。大学もサボらせてしまって申し訳ない。
大きな借りができたなぁ、なんて思った。もしひとりだったらと考えると恐ろしい。
「いいよ、これくらい。なんて事ないよ」
「そっか、ありがとな。そういや合コンいつもの時間だよな…今から行けば間に合いそうだな。俺はキャンセルするけど、有澤は行くだろ?」
外来受付の終わった人気のない病院の正面玄関で、仕方ないからタクシーで帰ろうかと考えてながら尋ねる。
有澤は、さっきからずっと黙ったままだった。
「おーい、有澤?早く行かないと、っても雪降ってるけどさ、遅れちゃうよ?」
振り返って顔を見た。
なんで、泣いてんの?
泣きたいのは俺の方だよ。
「律……行けないよ、俺」
「なんで?」
「だって、律のこと、放って行けない」
有澤は端正な顔をぐちゃぐちゃに歪めて、ボロボロと涙をこぼしていた。俺よりも幾分も高い位置にある顔を見上げて、その涙をどうしようかと考える。
有澤と違って、俺はハンカチを持ち歩いたりするような男じゃない。まあ、有澤のハンカチは下心の道具なんだけど。
「合コンなんてクソみたいな遊びよりお前の方が大事だ」
「クソって……」
「俺に何かできる事ない?なんでもする。お前のためにならなんだってする!!」
とてもありがたい話だ。有澤は友達としては、本当にいい奴だ。
「じゃあ、代わってくれる?」
「え」
そんな有澤に、俺はなんて酷いことを言っているんだろう。
「代わってくれるんなら、俺のこと抱いていいよ」
天罰だなぁと思った。
今まで何も真剣になった事がなかった。
自分に甘くて、妥協ばっかりして生きてきた。
どうせ長い人生なんだから、楽な方を選んだっていいや。恥ずかしくない。機会があったら、次こそ頑張ればいいんだから。
そう思って生きていた。
それがどうだ?
思ってたより、俺の人生は短く終わるそうだ。
「律……」
「なあ、俺いつ死ぬのかな?本当に歩けなくなるのかな?手も動かせなくなって、そのうちご飯も食べられなくなって、自分で呼吸もできなくなって……」
まだ確定診断ではない、と医者は言った。
可能性の話だと。だからあんまり悲嘆しないでと。
でも万が一そうだったら、俺は近々死ぬらしい。
「知ってた?この病気のこと……俺は初めて聞いた。難しい名前だよな。なんだったっけ?」
なんて、ふざけたことを言う。本当は頭の中で、「筋萎縮性側索硬化症」と、ぐるぐる回っているくせに。
「律、ごめんな。俺はお前にはなってやれない。代わってやれない……」
「わかってるよ。俺も変なこと言ってごめん。とりあえず帰ろ。寒いし」
ちょうど目の前に止まったタクシーに乗り込む。有澤と一緒に。有澤は俺の実家のすぐ近くのアパートに一人暮らしをしている。タクシー代が割り勘なのは有難い。
ひとりで帰ることにならなくて良かった。有澤は、本当にいい友達だ。
実家の前でタクシーを降りた。代金を支払って、去っていく車体を見送る。
有澤に改めて礼を言った。それから、絶対に誰にも言うなと念を押す。誰かに伝えるたびに、本当のことになりそうで怖かったからだ。
有澤はまだ涙に濡れた目で小さく頷いた。ジッと見つめてくる瞳には、なんとも言えない悲しい色が見えた。
そんな顔すんなよと言いたかった。
少なくとも俺はまだ死なない。
ってか何かの間違いかもしれないじゃん。ただの疲労とか、そういうのかもしれない。まだ、決まったわけじゃないんだから。
でも言葉は出なかった。
もう何も考えたくなかった。
じゃあ、と手を振って玄関へ向かう。
有澤は俺が中へ入るまで、ずっと見守ってくれていた。
ともだちにシェアしよう!