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第五話 出逢い①
雪はコンコンと降り積り、年明けで一番の積雪量を記録した。
とは言え、足首まで埋まるくらいの雪だ。
どこか地方の豪雪地帯ほど、生活に困ることなんてない。
ただこの寒さだけはどうしようもない。雪が積もることよりも、芯まで凍えるような寒さの方が苦手だ。
俺はザクザクと雪を踏みしめて、ひたすら道を歩いていた。
寒気が入り込まないように上まで締めたダウンに厚手のマフラー。デニムの裾はブーツに突っ込んで。
ザクザク、ザクザク。
葉のない木々の下を、上へ上へと歩いていた。
家から程近い小さな山の上には、打ち捨てられた廃寺がある。廃寺といっても、小さなお堂程度のものだけど、昔は偉大な神様が祀られていたと言われている。
そんな眉唾な話を俺に吹き込んだのは、何年か前に死んだ祖母だった。
祖母はとても優しい人で、俺が何か失敗するたびに、「りっちゃんはよく頑張ったねぇ。失敗したって、悩むことないんだよ。人と比べちゃだめなんだよ」と慰めてくれた。
俺はその言葉に甘えに甘え、いつしか免罪符のように思っていた。
人と比べない。悩まない。俺は頑張ったから。
そうやって、祖母の優しさを勝手に塗り替えてきた。
その天罰が今まさに降ったのだ。
神様は俺をよく見ている。
これは仕方のないことだ。
でも、ひとこと文句を言ってもいいだろう?
神様、そこにいるのなら、どうか、どうか一発殴らせてくれ。
そしたら受け入れるから。
これからのこと、ちゃんと考えるから。
家族にもちゃんと話して、俺の想いを伝えて、最期を迎えるから。
「はあ、はあ」
昔はもっと近く感じたそのお堂は、相変わらず寂れてボロボロで、だけど記憶にあるより小さかった。
「つっかれたぁ!!」
雨漏りしそうなお堂の軒下に座り込む。足がふらふらしていた。たった三十分の山道を登っただけだったのに、とんでもない疲労感だった。
やっぱり弱ってるんだなぁ。
全然見た目にはわからないけど、俺の体はしっかり弱っている。
有澤に怒鳴り散らしたあの日から、大学へは一度も行っていないまま二週間が経った。
その間に病院へは四回行って、追加の検査とこれからのことについての説明と、処方箋を貰った。
脳神経内科の先生は、はやく家族をつれて来なさいと言う。
でも俺はまだ、覚悟ができていなかった。
きっとたくさん迷惑をかけるだろう。いずれ自力で何もできなくなる俺を面倒見なければならないのだから、なるべく早くに打ち明けるべきなんだろうけど、なかなかできないでいる。
俺は病気です。もうすぐ介護が必要になります。そんでそのうち死にます。
なんて言えねぇよ……
「あーあ…こんなことになるんだったら、一回くらいセックスがしたかったなぁ」
人間は欲深い。今の俺は、有澤にしとけば良かったとさえ考えている。
もとよりゲイで普通の恋愛なんて望みが薄いし、完治しない難病ときた。
いつ歩けなくなるかもわからないのに、今から相手を探すなんて不可能だ。
いやちょっと待て。
いつ死ぬかも分からないのに、俺はなんてこと考えているんだ……
「はあ……」
こんなところまで何しに来たんだろ。虚しい。
不思議と、まだ全然現実感がなかった。
だってまだ歩けるし。生活で困ることも無いし。ひとりでこうやって、出歩くこともできるし。
……いつまでできるんだろう?いつまで、この体は動くのだろう?いつまでこの体は、俺のものなのだろう?
「ヤベッ」
涙を出したら負けだ。一体誰と何を闘っているのかわからないけど、泣いたら俺の負けなような気がする。
最近はずっとこうだ。
あれしとけば良かった、これしとけば良かったと考えて、いつまで自由でいられるのかと悩み、怖くなって涙が出そうになるのを堪える。
それの繰り返しだ。とことんくだらないのが俺の人生だ。
「はー、もういっそ今死んじゃうのもアリか」
そしたら悩まない。嫌な現実を味わうことなく、元気なうちに終われる。
あと数年生きられたとしても、突然特効薬ができるなんて保証もない。誤診でした、なんてことは、もっとなさそう。
だったら死んでもいいよな。俺の命なんだから、俺がどうしようがとやかく言われる筋合いはないのだ。
「そうか。なら、オレが最期にいい想いをさせてやろうか」
ところで俺はお堂の入り口で、閉ざされた引き戸を背にして座っていた。凍える体を抱えるようにして、ブルブル震えながら、歩いて来た自分の足跡を見ていた。小さな鳥居と、左右の狛犬は苔だらけで見窄らしい。
視線の先には、俺の歩いて来た足跡しかない。雪は止んでいて、むしろ少し日が照ってきてすらいる。
だから背後からした声に、俺は一瞬呼吸を忘れるくらいには驚いた。
「ヒッ!?」
振り返る前に身体が動かなくなる。俺が最近毎日感じている得体の知れない恐怖ではなく、もっと明確な恐怖感がゾワゾワと背中を駆け上がってきた。
何度も言うが足跡は俺のだけ。
じゃあ今後ろにいる人は、一体どうやってここまで来たのか。そもそも、俺の気付かない間にどうやってお堂に入ったのか。もしかして昨夜からここにいるのか?
「そう怖がるな。オレは別に悪いものじゃない」
「あ?あの、えぇ!?」
ズルズルズルズル
ものすごい強引だった。強引に、俺をお堂の中へと引き摺り込む。
パン、と引き戸が閉じて、視界は一転、薄暗いお堂の内部へと変わる。何故かとても暖かい。外はあんなに寒いのに。
「ちょ、なにすんだよ!?」
ジタバタと手足を振って暴れる。その俺の上にのしかかっているのは、雪よりも輝く白銀の髪の、浮世離れした端正な顔の男だった。
その人は切れ長の灰色の目を細め、薄い唇をニヤリと歪ませていた。
あ、まつ毛めっちゃ長ぇ。つか、有澤よりも整った顔の男初めて見た、なんてことを思った。
「セックスしたいって言っただろ?オレがしてやろうか」
「はぁ!?」
「オレの名前は冬夜 。お前は?」
冬夜と名乗った男は、ふしくれだった男らしい指を俺の指に絡ませて、ザラザラした木の床に押し付ける。身動きが取れない。怖い。
恐怖でガタガタと歯がなった。顎が震えて声が出ない。
「名前は?言わないなら無理矢理覗いてもいいんだぞ」
「ゥヒッ!?」
ヌルリとした熱が首筋を這う。いつのまにか首まで締めていたダウンのジッパーは下されていた。マフラーもどこにいったのかわからない。
「ぁ、やぁっ、りつ!律!!」
「そうか、律というのか。いい名前だな」
「んんっ、ふ、ぅ……」
ファーストキスが!!と抵抗する間もなかった。
「は、ぁ…ん、んんっ」
クチュ、ヌチュ、と熱い舌が口腔内を犯す。初めての感覚に、だらしなく口を開けて受け入れてしまっている自分が信じられなかった。
めちゃくちゃ気持ちよかった。人肌の温もりや、優しく労るような愛撫。男に口腔を犯される背徳的な快感。
いつしか体から力が抜けて、ぐったりと男に身を任せていた。
ジュルジュルと舌を吸われても気にならなかった。むしろもっとして欲しい、なんて欲までかいた。
「抵抗はやめたのか?」
「ん…気持ちよかった……」
蕩けてボーッとした頭では、今自分が何をされているのかも、これから何をされるのかも理解はできていない。それくらい気持ちよかった。
「じゃあ遠慮なく」
「アゥ!?」
情けなくも叫んだ。冬夜が本当に遠慮なくデニムを下げて俺のを直接掴んだからだ。
「や、やぁ!んん、ちょ、やめっ」
なんせ人に触られたことがないのだ。自分でも驚くくらい早かった。
「んんんっ!!……は、はぁ…」
「フフ、早いな。全然抜いてなかったのか?」
はぁはぁと肩で息を吐いていると、冬夜が耳元で言った。軽くあたる吐息に、体がビクビクと反応してしまう。
「だ、だって、最近そんな気分になんてなれなくて……」
「ふうん。でも今は違うんだ?」
「アアッ」
ヌルヌルしたものがお尻に触れた。ガッチリと足を開脚させられて、身動きが取れなかった。
刺された!と思った。お尻の穴に指を入れられたとわかるまでに時間がかかった。
「ぃ、ああ…や、んっ」
「ふう。そうか、初めてなのか…だからあんなこと言ってたんだな」
冬夜はふむふむとひとり納得したような声をあげ、実に楽しそうに指を動かした。指が行ったり来たりするたびに、なんとも言えない感覚が下半身を駆け回る。
「ゔぁ、ヒッ!?」
「ここか」
出入りしていた指が、ある一点に触れた途端、電気のような刺激が全身を走り抜けた。
なんだ、これ?
ヤバいヤツじゃん。
そうは思うけれど、もっともっとと心の中は正直だった。
「そんなに気持ちいい?勝手に腰振って、初めてのわりに積極的だな」
「は、ぁ、イく、イくッ」
「待て待て、もう少し我慢しろ」
薄暗いお堂の中で、僅かに差し込んだ陽の光が冬夜の灰色の瞳を照らす。キラキラとそれは、雪みたいに輝いた。
「泣くな。痛くはしない。すぐに良くなる」
ヒィヒィ息を吐く俺を優しい声で宥めて、冬夜はついに自身の熱く激ったものを取り出した。それが散々指で慣らされた尻にあてがわれ、俺は無意識に体を強張らせる。
冬夜は俺の反応を見越していたようで、再び優しくて激しいキスを落として来た。
「ん"ん"ん"っ」
入った…スゲェ……
なんて冷静に思う自分と、想像していたよりキツい圧迫感に死にそうだと思う自分がいる。
「っ、ぁ、ぅぐ、苦し、い」
「大丈夫だ。すぐ良くなるから」
ウソだ。良くなんてなりそうにない。こんな、苦しいのは嫌だ。
冬夜が一度身を引いた。ズルズルと抜ける感覚は、独特の快感があった。
「ぃ、ヒァッ!?」
ズン、と奥まで一気に割り込まれる。無理矢理こじ開けるように捩じ込まれて、弓形に背を逸らして息を吐く。
また頭がボーッとしてきた。思考を放棄した方が楽になりそうだ。
「アア、や、いっ、ぅああっ」
「なんも考えんな。せめて今だけは、余計なこと考えなくてもいいんだ」
「ぁ、ああ、な?んんん、イく、も、もうムリッ!!」
それから何度イったのか、というかイかされたのか覚えていない。
はしたなく涎を垂れ流し、恥ずかしげもなく求める言葉を何度も言う俺に、冬夜は全部応えてくれた。
誰かと交わることがこんなに温かくて心満たされるなんて知らなかった。
良かった。
これが最後になるかもしれないけれど、でも、一度でも満たされることができて良かった。
ひとつ、後悔せずに済みそうだ。
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