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第六話 出逢い②
ふわりと頬を掠めるくすぐったい感触で目が覚めた。
疲れ切った俺はいつのまにか気絶してしまったようだ。あまりの刺激に、正直記憶があやふやだったけれど、喉の掠れ具合と股関節と腰と尻の痛みで、これが現実なんだと理解した。
理解した上で、どうしても理解できないことがあった。
「んー?」
「お、起きたか。体調はどうだ?平気か?」
少し薄暗くなった空が見えた。お堂の入り口が開け放たれ、まだ火照って熱い頬に冷たい外気が心地良かった。
身も凍るほどの寒さのはずなのに、俺は今とっても暖かいもので包まれている。フサフサの、獣っぽい何か。
「ん…平気」
「そうか、ならよかった」
冬夜は縁側にあぐらをかいて座っていた。俺はその膝の上に頭を乗せて寝ていたらしかった。
そんで、俺の体を包み込むようにして、そのフサフサはあった。あったかい。俺の普段使っている布団より余程心地いい……
「くすぐったいんだが」
「え?」
「だから、お前がさっきから握っているのは、オレの尻尾だ」
尻尾?
「何、尻尾って?」
「お前は尻尾も知らんのか?オレの高貴な毛並みを散々弄っておいて、まさか尻尾フェチじゃないのか?」
尻尾フェチ?なんだそれ?
「ちょっと、待って……これ何?」
俺はそのモフモフをもう一度握った。分厚い毛並みの中心に、しっかりした芯のようなものがあった。
それがビクビクと震える。しかもあったかい。
「だからオレの尻尾だと言っている。お前、天狐の尾を触るなんて普通はできないんだからな」
「天狐…?」
ガバリと飛び起きた。腰と尻が痛んだが、それどころじゃない!!
「ちょ、え?天狐?」
俺もそれなりに思春期というか、闇に落ちた時期があった。厨二病というアレだ。
今となっては恥ずかしい記憶だけれど、それが今まさに役に立とうとしている。
「そう、天狐。オレは、」
「マジで千年も生きた狐なの?」
「おおう?」
冬夜の着物の襟を掴んで詰め寄る。天狐というのは確か、千年生きて神格を得た狐のことを言う筈だ。
「正確に数えたわけではないから、どれほどの時を生きているかはわからんが、尾が四つになったから、」
「千年は生きてるんだ!?スゲェ!!」
狐は千年生きると天狐になる。尾が四つの狐だ。そんで、三千年生きると仙狐になって、尾は無くなってしまうのだそうだ。
そうして生きた年月で、だんだんと神に近付いていく。そんな神格化した狐を、総称して善狐という。
正確にはもう憶えていないけれど、中国だかの話にそんなのがあった。
「ばあちゃんが言ってたんだ。この廃寺にはすごい神様が祀られていたって」
「すごい神様かどうかはわからんが、一応オレがここの神様をやっている」
なんでもないことのように言って、冬夜はなんだか少し寂しそうな顔をした。それは一瞬のことで、すぐに見えなくなった。
というかぶっちゃけ、冬夜の物憂げな表情よりも、その白銀の髪の天辺にちょこんと存在する、ケモ耳の方に気を取られた。
「耳だ……」
ピクピクと神経質そうに時々弾む白い毛の狐耳。俺には聞こえない、僅かな音でも拾っているのだろうか。
「今更なんだ?さっきまでオレの頭にしがみついていただろう?」
「ちょ、ヤメテ」
冬夜の言う通り、快感でよくわからないままに、必死に縋り付いていたことをなんとなく思い出す。
「そんなことより、帰らなくて平気か?」
「え?」
辺りを見やると、目が覚めたときよりも暗くなっていた。冬場の太陽はあっという間に消えてしまう。長く寝過ぎたようだ。
まあ、あんな激しい行為の後なのだから仕方ないか。
「帰ります」
呟くように言って、脱ぎ散らかしたままの衣服を身につける。ダウンのポケットに入れたままのスマホを取り出し、画面を確認すると時刻は十七時半で、新着通知欄には有澤からの着信が十件以上入っていた。
「はぁ…」
有澤からの不在着信通知を見るたびに溜息が溢れる。酷いことを言ったのに、あの気のいい友人は俺のことを心配している。
「どうした?溜息を吐くと幸せが逃げるぞ」
「俺にはもともと幸せなんてないんだ。だから、溜息つき放題なんだよ」
「……幸せは誰だって持っているものだ。それを自身の幸せと認識しなければ、ずっと不幸なままだ」
じゃあ俺の持ってる幸せって何?
いつも妥協して、甘えて、適当に生きてきて、友人との関係も壊して、あげくにもうすぐ死んでしまう俺の幸せって何?
こんな俺には、幸せなんてない。ただ有り余るくらいの不幸しかない。
「不幸以外に何もないんだ。俺は、もうすぐ死ぬから」
突然出逢って、よくわからないままに抱かれて、挙句に自分のことをツラツラと話して。一体俺は、この神様だという男に、何を求めているんだろう?
「知ってる。お前の中を見た。お前はもって後一年の命だ。その後の事を、お前が生きていると言えるのならもう少し長いが」
「一年…?」
「ああ、一年だ」
それが長いのか、短いのか、今の俺には判断がつかなかった。
一年後の今、俺はもう自力で何もできなくなっているということだよな?
大学はどうなるんだろう?
有澤とは、家族とはどうなるんだろう?
怖い。とてつもなく怖い。
それ以上に、この事実を人に、家族に知られることが怖かった。
その時、冬夜が立ち上がって俺の傍へ寄ってきた。フワリと包み込むように抱きしめてくる。
甘い花の匂いがした。神様の匂いは、俺のささくれだった心を少しずつ落ち着けてくれる。
「人はひとりでは生きられない。多かれ少なかれ誰かの世話になって生きている。心を理解するには、自分の心を見せなければならない。お前はここに何をしに来た?セックスしたかっただけか?」
ボッと頬が熱くなった。確かにセックスしたいとは言ったけど、だって聞かれてると思わなかったし。
でもそうだな、本当は違うことを考えてここに来た。
そうだ、殴ってやろうと思っていたんだ。
神様が本当にいるのなら、こんな理不尽な運命を押し付ける神様を、一発殴ってやろうと思った。殴って、気が済んだらちゃんと病気と向き合おうと思っていた。
憂さ晴らしをする相手は家族でも友達でもないけれど、でも俺だって何かに八つ当たりしたい気分にもなる。
「おいで、律。神は決して万能じゃない。お前の思いを、受けてやることしかできない」
ニコリと笑う冬夜。でも、やっぱり少し寂しげな影がある気がする。
俺は本気で拳を握った。ギリギリと音がしそうなほど握りしめて、でも振り抜くことはできなかった。
「なんで俺なんだよ!?もっと他に死んでもいいヤツなんていくらでもいるだろ!!犯罪者でもなんでも、死んだ方がいいヤツなんて他にいるだろ!!なんで俺なんだよぉ…イヤだイヤだイヤだ!!死にたくない、怖いよ……」
拳を振る代わりに、叫んでいた。俺にこんな熱いところがあったなんて知らなかった。
自分が病気であることを知ってから、どこかふわふわとした気分だった。これは夢で、今にも目が覚めていつも通りの朝が来る。
どこかでそう信じていた。信じたかった。
夢ならばなんて悪夢だ。でも、夢なんだから大丈夫。そう思っていた。
逃げていたんだとわかっている。命に期限ができたからって、それを直視する勇気は俺には無い。
初めて涙が出た。自分の心に沸いた鬱憤を外に出した。涙と一緒に。
狐の耳と尾を持つ、神様にぶつけた。
こんなに泣いたのはいつぶりだろう?
俺はいつも妥協して甘えて、だから悔しさとか悲しさなんて感じなかった。感じないようにするために、妥協して甘えていた。
でも今からは妥協できない。残り少ない命なんだから、自分で自分のことができる間に、やりたいことをやらなければ。
もう後悔をしている暇はないんだ。
「はぁ、はぁ、グスッ……」
どれだけの時間、冬夜に縋り付いて泣いていたのかわからない。気付いた時には、辺りはもう真っ暗で、お堂の中だけ青白い光に照らされていた。
その幻想的な光は、冬夜のよくわからない力で出した狐火だということを、もうすこし後に知った。
「落ち着いたか?」
大きな手で俺の頭を優しく撫でながら冬夜は言った。
「ん…」
散々泣き腫らした目は腫れぼったくなっているだろう。こんな顔で帰ったら、きっと家族に不審に思われる。
ならいっそ、もう話してしまおう。いつまでもひとりで抱えていられる問題じゃないのだ。
「そろそろ帰った方がいい。送ってやる」
そう言うと冬夜は、俺を抱えて立ち上がった。
これ、あれだ。お姫様抱っこってやつだ!!
「ちょ、あの、せめておんぶにして……」
「何故だ?こういうの好きじゃないのか?」
「俺ほら、一応男だから、な?」
ムスッと顔を顰めた冬夜が、一度俺を下ろしてから膝をついた。乗れと言うことらしい。
お言葉に甘えることにする。だって俺は、この神様の甘い匂いが気に入ってしまったから。
「冬夜は優しい匂いがする。ばあちゃんと同じ匂いだ」
俺の呟きを、冬夜がちゃんと聞いていたかは知らない。だけど、その背中が少し揺れたから、笑ったのかなと思った。
冬夜はゆっくり足を進め、俺の家までの道のりを歩いた。山を降りた辺りで、暖かい尻尾と可愛らしく動く耳を消した。そうすると、ちょっとファンキーな髪色の和服のお兄さんになる。神様って不思議だなあと思っている間に、実家が見えてきた。
「律、またおいで。辛くなったら、オレが慰めてやる。また泣いてもいい。なんならセックスしてやろうか?」
「うるさいな!」
「お前、すぐ赤くなるな。可愛い」
「可愛いとかいうな!!」
この野郎、と悪態をつく。そんなやりとりがとても楽しくて、自然と笑みが溢れた。
「じゃあな。あったかくして寝ろよ」
「俺はガキじゃない!」
ヒラヒラと手を振って去っていく後ろ姿を眺め、見えなくなるまで待ってから玄関を開けて中に入る。
今からちゃんと話そう。
俺のことを、家族に。
前向きにそうやって考えることができたのは冬夜のおかげだ。
次に会いにいく時は、何かお礼を持っていこう。お稲荷さんとか喜んでくれるかな?
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