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第八話 自覚②
病院へは週に一度通っている。
頻繁に外出することが億劫ではあるが、この病気の特性上、常に今出ている症状を把握しておくことが重要となる。
難病に指定されているだけあって、発症からの経過過程は、本当に人それぞれなのだそうだ。
金曜日の午後、いつも通り診察室へ入ると、その日は先生だけじゃなくて他にも人がいた。その人は、リハビリの担当者だと言った。
名前は羽山さん。俺より五つ年上の男の人だ。爽やかな笑顔と、シュッとしたユニフォームが似合っている。
「今日からリハビリも進めていこうと思うんだけど、いいかな?」
「はい」
診察のあと、羽山さんに連れられて病院一階奥のリハビリ室へ向かった。
スポーツジムみたいな器具や、なんだかよくわからない道具が所狭しとならんだリハビリ室では、寝巻き姿の患者がせっせとリハビリを行っている。
「良かったね、薬効いてるみたいで」
羽山さんは俺を個室に案内して、丸椅子を二つ置いた。ひとうに腰をかけるように促し、向かい合うように羽山さんも座る。
この病気の進行を抑えるために、俺は今リルゾールという内服薬を一日二回飲んでいる。それがどうやって作用しているかは、何度説明されてもわからないが、そのお陰で病気の進行は緩やかなのだそうだ。
「本当に効いているんですかね」
いくら緩やかだからと言っても、進んでいることに変わりはない。
だからそんなふうに思ってしまう。
「君にとっては、辛い話かもしれないけど……僕は君以外のALSの患者さんを受け持ったことがある。その方は、君よりもっと高齢だったけど、発症から半年で全身動かなくなってしまったよ。一ヶ月目には車椅子で移動するしかなくてね、どんどん筋力も低下して、あれほど自分を無力だと思ったことはなかった。何のためにか関わって、リハビリをしているのかわからなくなったよ」
羽山さんが、ふぅとひとつ息を吐いた。
俺はなんて言ったらいいのかわからなかった。
その患者さんはどうなったの?とか、知りたいと思っても、知るのが怖かった。
「君はまだ自分の足で立って、歩いて、自分の手でご飯も食べられるし、大学にも行けるだろう?そんな力を持っているんだから、僕はできるだけ長く、それが続けられるようにお手伝いしたい。きっととても辛くて怖くて、悲しくなるときもあると思う。僕は全部理解してあげることはできないから、だから君の気持ちを聞かせて欲しい。そして一緒にリハビリの内容も考えていこう」
「はい……」
俺はこの時、家族以外にも俺のことを真剣に考えてくれる人がいることを知った。
有澤も、冬夜も、羽山さんも、俺のことを知った上で、俺から逃げずに向き合ってくれる。
だから俺が逃げていてはダメなんだ。
「俺、料理がしたいんです」
「料理か。それは、どうして?」
「えっと、辛い時に支えてくれた人に、稲荷寿司を作ってあげたくて…そんな理由で頑張るのもアリですか?」
恐る恐る聞いてみた。羽山さんは、顔いっぱいに笑顔を浮かべて頷く。
「もちろんアリだよ!人はね、誰かのためにこうしたいと思う時が一番力がでるんだよ」
そうか、なんかわかる気がする。出来ないことが増える自分を見つめているより、みんなのために出来ることをしようと思う方が強くなれる気がする。
「もしかして彼女?」
「え"!?違いますよ!!」
ニヤニヤと笑う羽山さんを睨む。なんだか遊ばれているようだ。
「ホントに違います!ただ、ちょっと、」
セックスしただけで……
「顔赤いよ?」
完全に墓穴だ!!
「違う、違います!!」
「いいんじゃない?君だってまだ二十歳でしょ?好きな子くらいいるよね」
「いません、違います」
顔から火が出そうなくらい熱かった。羽山さんは意地悪で、それからしばらく彼女ネタで揶揄われることになった。
その日のリハビリは、手足の筋力低下を抑えるための運動をいくつか習って解散となった。
それと、料理をするのは手のリハビリにもいいと言っていた。家でやるなら、つまらない運動より身になることのほうが良いよ、とも言っていた。
何かをやってみたい、なんて思ったのはいつぶりだろう?
それを人に話したのも、小学生以来なんじゃないかとすら思う。
病院を出ると、大学終わりの有澤が待っていた。
有澤は飽きもせず俺のお守りをしてくれている。今日も別に必要ないと言ったのに、しっかり迎えにくるあたり、いい旦那になりそうだ。
稲荷寿司をたくさん作ったら、有澤にも分けてやろう。コイツは一人暮らしで、年中手料理に飢えているだろうから。
そんで、いっぱいありがとうを言うのだ。
俺のそばにいてくれて、ありがとうと、生きているうちにたくさん伝えるのだ。
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