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第十一話 自覚⑤
「じゃあ、俺もう歩かない方がいいってことですか」
翌日の昼、わざわざ仕事を休んで、両親がやってきた。
残念なことに、俺は一時入院ということになっていた。目が覚めたとき、そこが病院だったからとても驚いた。
病室は四人部屋で、俺のベッドは窓際だった。カーテンで仕切られた狭い空間に、どうしたって目を引いてしまう車椅子の無骨さが、イヤでも現実を突きつけてくる。
「律くん、歩くのがダメだと言っているわけじゃないんだよ。ただ、車椅子の使い方も知っておいて欲しい」
主治医の先生は、四十代前半のとても優しい話し方をする人だ。いつも俺を気遣ってくれる。何度だって説明してくれるし、絶対にイヤな顔をしない。
「俺には、お前はもう歩くなと言われているようにしか思えない。どうせ車椅子の使い方がわかっても、そのうち手も動かなくなるんだから、そんなのやったってムダだ!!だったら、這いずってでも歩いていた方がマシだッ!!」
誰も、何も言わなかった。だた啜り泣く俺の声だけが、シーンとした病室に響いていた。ボタボタと勝手に溢れ出す涙は一向に止まる気配もなく、まず母さんが顔を覆って去って行った。その後を追うように、父さんも出て行ってしまう。
さらには、また来るよと言って先生とリハビリの羽山さんも行ってしまった。
俺はひとり。
取り残された気分だった。
悲しかった。惨めだった。昨日まで、俺はちゃんと歩けていたのに。
誰ももう一度歩けるようになるとは言わなかった。
「ふう、グスッ、ぅ……」
なんで俺ばっかりこんな目に遭うんだ?
俺が一体何したっていうんだ?
もうやめたい。
生きていたく無い。
これからもっと、もっと辛いことがあるんだ。
次はどこだろう?
手が動かなくなったら、その次は?
話せなくなる?
どこもかしこも動かなくなる?
それで、息ができなくなって、どうなる?
「律、律。泣くな」
優しい声。顔を上げる。冬夜の灰色に煌めく瞳が傍にあった。吸い込まれそうなその瞳を見つめていると、どうしたことかいつのまにか涙が止まった。
「少し外の空気でも吸いに行こうか」
「勝手に出て行ったらダメだと思う」
「なぜだ?」
「だって……」
俺はもう歩けないんだ。
それを自分の口で言うことが、まるで拷問みたいに感じた。熱した鉄を腹に流し込まれるみたいに、ジクジクとイヤな痛みさえ感じる。
「バカだな。お前が歩かないなら、オレが代わりに歩いてやる。どうせ歩けたってオレの背中が好きなくせに、しょうもない意地を張るな」
「別に、意地張ってるわけじゃない!」
「お前は威勢のいい子だったな、昔は」
「へ?」
どう言う意味だろうと首を傾げると、冬夜はニヤリと微笑んだ。それからベッドに腰掛けて、早くしろとばかりに俺を見る。
仕方ない。冬夜はいつも強引で、俺にはどうしたって逆らえない。
それに嬉しかったのもあった。病院へ運んでくれたこと、きっとそのままずっと手を握っていてくれたこと、そして今日も、傍にいてくれたこと。
全部が嬉しくて、だから俺は、冬夜には逆らえない。
冬夜の首に腕を回し、大きな背中に身を寄せた。冬夜はゆっくり注意を払いながら、俺の尻の下に腕を回して持ち上げる。
おんぶされるのは何度目だろう。
冬夜のいうように、俺はこうされるのが好きだった。御堂からの帰りは、疲れただのなんだの理由をつけて、毎回おんぶしてもらっている。
出来るだけ揺れないように気を使ってくれているのがわかる。
そのまま廊下に出て、まっすぐエレベーターへ向かって行く。一階についてすぐ、どうしても我慢できないくらいお腹が鳴った。密着しているから、当然冬夜にはバレバレだ。
「クッフフ、さっきまでビービー泣いていた奴が、今度は腹の虫とは笑える。何か買ってやろうか」
「うるさいなぁ…つか、お金あんの?」
「多少はな」
神様だからお賽銭か?だったらなんか悪い気もする。今度また何か作って返そう。そう考えて、ふと気付いた。
さっきまで落ち込んでいたのに、俺はまた、次は何をしようかと考えることができていた。冬夜に何か作ってあげる自分を想像した。
死にたいと思っているのも事実だけど、同じくらい生きたいとも思っている。ただ少し、目の前の現実が受け入れられないだけで。
院内の売店へ入り、狭い通路をおんぶされたまま進む。
「冬夜、何か食べたいものある?」
「ん?」
「退院したら、また作りたいなって思って。何がいい?」
「稲荷寿司がいい。それよりお前、早く選べ」
「わかった。あ、俺肉まんがいい。まだ外寒いし」
「何?あんまんにしろ。そして半分こだ」
「え?ケチくさ!…まあいいけど」
俺をおんぶしたまま、冬夜は器用にお金を払ってあんまんを受け取る。
熱い湯気に甘い匂いが混じっていて、またお腹が鳴った。
病院の外には、小さな中庭がある。
手入れの行き届いた花壇と、ベンチがいくつか置かれている。
そのひとつに腰掛けて、ふたり、半分こしたあんまんを食べた。
「本当に歩けないのかな」
信じられない。だから確かめたい。
もしあのまま病室にひとりだったら、きっと立ってみようとは思わなかっただろう。
「オレが支えてやる」
「うん」
病室からそのまま出てきたから裸足だったけど、そんなこと気にしている余裕はなかった。
冬夜の手を掴んで、ひと思いに立ってみる。
「あっ」
ガクリと膝が折れた。冬夜の手が咄嗟に腰を支え、そのまま膝の上に引き寄せられる。そのおかげで、無様に地べたにへたり込まずに済んだ。
「なんか、めちゃくちゃ不思議だ。感覚はあるのに、自分の足じゃないみたいだ」
「アホ。どうなっても、自分の体は自分のものだ。大事にしてやれ」
「うん」
冬夜の手が愛おしげに膝を撫でる。
「お前が行きたいところには、オレも行ってやる。したいことがあれば言えよ。律はひとりじゃない」
「ん」
どうしてこんなに優しくしてくれるのだろう?
神様からしたら、俺なんてただの人間の一人なのに。
聞いてみたいけれど、聞かない方がいい気もする。
だから、取っておくことにした。
最期まで取っておく。
それが俺の、最期の楽しみだ。
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