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第十二話 束の間のひととき①

 三月の終わり、俺は家に戻ってきた。  大学は三年に上がる前に辞めた。思っていたより未練は無かった。  それもまた冬夜のお陰だった。 「律ー!冬夜くん、来てくれたわよ」 「んー」  母さんの声に適当に返事をして、俺は出来るだけ高鳴る胸を落ち着けた。  なんでも無いフリを装う。内心の落ち着きのなさが、どうか漏れ出しませんようにと願う。  だって、好きな人が来てくれたら、誰だってそわそわしてしまうだろ?  俺は今まさにそんな感じなのだ。 「律、体調はどうだ?」  一階のリビングの隣にある和室が、今の俺の部屋だ。二階の自室から必要なものとベッドをおろしてもらって、なんとか生活できている。  そこに冬夜が顔を出して、俺はツーンと気の無いフリをする。 「別に。いつも通り」 「そうか、オレが来て嬉しい顔を必死に隠しているのもいつも通りだな」 「ちょ、そんなことないし!!」  バレてる!! 「大学も辞めて退屈しているだろうと毎日来てやっているのに、嬉しく無いならもう来ないぞ」 「もー!!イジワルだ!!」 「フハハ」  冬夜が俺の隣に座る。というか、ごろんと隣に寝転がる。そのまま上半身に腕を回して抱き締め、いつもみたく唇を合わせてくる。  蕩けるような濃厚なキスに、思わずうっとりと目を閉じてそれを味わう。 「んっ、ふ…ぁ」  しばらくそうしてお互いを確かめるようにキスをする。これが、なんだかんだ日々の日課になっていた。  もちろん母さんは知らない。全ての犯行は親の目の無いところで行われている!! 「律、入るわよ」  襖の向こうで母さんの声がして、俺は慌てて冬夜を押し除けた。冬夜は面白がった顔のまま、だけどちゃんと離れてくれる。 「いいよ」  答えると、母さんがお盆にお茶とお菓子を乗せて持ってきた。それをテーブルに置く。 「パートに行くけど、冬夜くんがいれば大丈夫ね」 「冬夜がいなくても大丈夫だよ」 「あんたはちゃんと冬夜くんに感謝なさい」 「わかってるよ!いってらっしゃい!」  半ば追い出すように言うと、母さんは呆れたため息を吐きつつ部屋を出て行く。  この前の入院の時、冬夜が俺を運んで付き添っていたことから、両親と面識ができた。  そのあとの約一か月の入院期間中も、毎日来てくれた冬夜に両親はすっかり気を許していて、家に戻った今でもこうして、気さくな関係が続いている。  冬夜のことは、近所に住む友達だということになっている。あながち間違いじゃ無いし。両親がそれで納得しているのは、多分冬夜といるほうが俺の調子がいいからだ。  もうひとつ、実際に言われたわけでは無いけれど、気付いていることもある。  もうそんなに長く無い自由な時間を、俺の好きなようにさせてくれている。  多分、こっちの方の理由がでかい。 「今日はどうする?どこか行きたいところはあるか?」 「んー、特にないかな……一緒にいてくれるだけでいいよ」  そういうと、冬夜は柔らかい笑みを浮かべて、俺の隣に再び潜り込んでくる。同時に、フワリと肌に触れる四つの尾が俺の体を包み込んだ。 「冬夜にこうされると、ものすごく眠くなるんだよなぁ」 「最近寝られていないのか?」 「ん、ちょっと痛みが酷くて。あと、寝付くと息苦しさが増すんだ」  確定診断からもうすぐ三ヶ月。  俺の症状はまたさらに悪化していて、歩くことはおろか、両手にもだんだんと力が入らなくなっていた。  さらに呼吸筋の筋力低下が著しく、寝ているときの呼吸が苦しい。日中は起きているならマシだけど。  それと、球麻痺という症状が出始めていて、物を飲み込むこと、話すことが難しいときがあった。これは日によってまちまちだ。  そのせいで食事の量が減ってしまい、体重がみるみる減った。入院している間にいろいろ対処療法をした。リハビリの強度を上げて筋力低下を防ごうとしたけど、そうすると今度は呼吸がうまくできなくて苦しかった。それに、リハビリをいくら頑張っても、取れる栄養には限度があった。  こっちはどうだ、あっちはどうだ、とやっているうちに、正直疲れてしまって、こうして家に帰ることになったのだ。 「冬夜…ごめんな、せっかく誘ってくれるのに」  ほとんど寝たきりといってもいい今の俺に、冬夜は毎日、「行きたいところはないか?」と聞いてくれる。  嬉しいのに、本当は、二人で行きたいところが沢山あるのに、とても行けそうにない自分が悔しかった。 「オレはお前のそばにいられればそれでいい」  冬夜の言葉を、うとうとしながら聞いた。  どうしてか、もっと沢山話したいことがあるのに、冬夜がそばにいると眠くなってしまう。  暖かい尾に包まれていると、まるで春の陽だまりにいるような気分になって、いつのまにかグッスリ眠ってしまうのだ。  明日は絶対にどこかへ連れて行ってもらおう。  普通にデートしたい。いや、付き合ってるわけじゃないんだけどさ。  でも普通に生きていたらしていたであろうことは、一通りやってみたい。  水族館とか遊園地でデートしたり、美味しいものを食べに行ったり、春には花見をして、夏には海に行って。夏祭りだって楽しみだ。二人で花火を見ることができたらきっといい思い出になる。  秋は、そうだな、俺は栗が好きだから、栗拾いがしたい。自分でとった栗で栗ご飯もいいな。それまでにちゃんとレシピを勉強して、自分で作ったのを冬夜に食べてもらいたい。  冬はまた、あの山で冬夜と過ごすのだ。月に照らされた輝く雪を見ながら、酒でも飲めたら最高だ。  無理だろうなぁ。  次の冬は、きっと俺には来ない。  ああ、ダメだ。こんなことを考えていたら、涙が出てしまう。  もう寝てしまおう。どうせ夜は寝られないんだから。  頬を、冬夜の暖かい手が撫でていく感触がした。やっぱり涙でも流していたんだろうかと気になったけれど、確認する前に寝てしまった。

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