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第十四話 束の間のひととき③

 水族館は、平日ということもあって空いていた。  そのおかげで、車椅子の俺でもゆっくり見て回ることができた。  大きな水槽に、色とりどりの魚が優雅に泳ぐ様を、綺麗だなぁと素直に感動する自分と、お前らは気楽でいいよなと妬む自分がいた。  小さな水槽が並ぶエリアには、世界各地の熱帯魚や、貝や蟹、海老なんかもいたりして、それらを興味深そうに見つめる冬夜の真剣な顔のほうが面白かった。  深海魚やクラゲのコーナーは、全体的に真っ暗で、光るクラゲに照らされながら、冬夜はいつも以上に情熱的なキスをしてくれた。恥ずかしかったけれど、そんな羞恥心はもはや二の次だ。時間のない俺は、いつどこでだって冬夜に触れていたい。  昼食は館内のレストランを利用した。でもやっぱり、俺の食べられそうなものは少なかった。冬夜はオムライスを頼んで、上の柔らかい卵だけを俺に食べさせてくれたり、甘いアイスクリームを半分こしたりで、けっこう満足できた。  幸せだ。まさか、こうして本当にデートができるなんて思っていなかったから。  冬夜は俺をぬいぐるみか子どもみたいに軽々抱き上げては、本当に愛おしいものを扱うみたいに頬を寄せてくれる。そうやって同じ目線で、同じものを見て笑い合えることが嬉しかった。  帰り道、次はどこへ行こうかと話し合うのも楽しくて、こんな時間がずっと続けばいいのにと思ってしまった。  実家に着いてしばらく、俺は帰りたくないと駄々をこねた。でもそれも、ただやってみたかったというだけで、本当に冬夜を困らせたいわけじゃない。  冬夜はそれをわかっていて、俺に付き合ってくれた。  甘くて激しいキスのを、俺が満足するまでしてくて、父親の車の中で何をしているんだと思わないこともなかった。  こんな感じで、俺は冬夜に色々なところへ連れて行ってもらった。  身体が動かないことの不安より、冬夜がそばにいてくれることの安心感が強かった。  今までしなかったこと、これからしたかったことを、できるだけやり残しのないように、冬夜は俺の願いをひとつひとつ叶えてくれた。  そうだ、お花見もやったんだ。  冬夜の背中に、亀の甲羅みたいにくっついて、俺たちの初めて出会った御堂で、のんびり桜を見た。  有澤と冬夜の初めての邂逅も面白かった。  俺が冬夜といつもみたくゴロゴロしているところに、有澤が見舞いにやってきて、一言言ったんだ。 「お前ら付き合ってるだろ!!」って。  これには俺だけじゃなくて、冬夜も驚いた。でも残念ながら、俺たちは付き合ってない。セックスは何度もしちゃったけど、なんてことは、有澤にいう気は無い。  それから何度も、有澤と冬夜の三人で外を出歩いた。冬夜が俺を抱っこして、有澤が空っぽの車椅子を押す。当然有澤は文句を垂れ流すけれど、俺も冬夜もそれが面白くて仕方なかった。  こんな時間が永遠に続けばいいのに。  俺がそう思うたびに、冬夜は苦しそうな顔をした。  俺の心の中がわかる冬夜は、俺よりきっと何倍も辛い思いをしているんだろうと思った。  俺は案外図太くて、俺が死んだ後、悲しくて涙が出るくらいにはなって欲しいと、冬夜のことを想い続けたけれど、俺の欲しい言葉を、冬夜がくれることはなかった。  家族との関係は、正直言って微妙だった。  外食の件があってから、あからさまに愛香は俺を避けるようになった。  直接言われなくたって、俺には愛香の気持ちがわかった。  お兄がそんなんだから、お父さんもお母さんも悪く言われるんだ。  そう思っていることが、悲しいけどわかってしまった。  どうしたってどうにもならないことはある。それが悲しい。謝ることしかできないことが悔しい。  でも俺は絶対に謝ったりしない。  だって俺だって、好きで病気になったわけじゃない。理不尽を強いられているのは俺の方だ。だから、絶対に謝ったりしない。  これは俺の意地だ。  俺は今、これまでのどんな時よりも幸せだ。  誰かに謝って、自分を卑下することは、今の俺を大切にしてくれる冬夜に失礼だと思っている。  ありがとうはたくさん言う。  この声が、まだ届くうちに、ちゃんとありがとうは言う。  でも、謝るのは最期だけだ。そう決めている。  そうして俺は、こんな身体なりに楽しく日々を過ごしていた。  だけど六月、俺の体調がまた悪化して、兄が長期休暇を取って家に帰ってきてから自体は急変してしまうのだ。

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