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第十七話 意志③

 翌日の朝から、俺のまわりは騒がしかった。  寝ているのかそうでないのかよくわからない感覚から覚醒すると、開け放たれた襖の向こうで、兄さんが怒鳴り声をあげていた。 「アンタはあんな状態の律を連れ回していたんだって!?信じられん!他人のクセに、律に何かあったらどうするんだよ!?」  怒鳴られているのは、間違いなく冬夜だ。その他にも、心ない言葉が飛び交っていることに、少し前から気付いていた。 「優!いい加減にして!」  昨日とは打って変わって、初めて母さんが声を上げた。 「冬夜くんは、私たちの代わりに律の面倒を見てくれているのよ!!もう、何ヶ月も毎日来て、律のこと見ててくれるの!!怖気付いて、遠巻きにしてしまっていた私たちより余程、余程冬夜くんの方が律のことを見ていてくれるのよ!!」  ワッ、とまるでダムが決壊したみたいに、母さんは泣き崩れた。  それでも、一度溢れた言葉は止まることなく飛び出していく。 「逃げていたのよ!私たちは、だんだん動けなくなる律を見ているのが怖くて、目を逸らしていたのよ!!本当はたくさん、してあげたいことがあるのに、何もしないまま、今まで…もう、こんな状態になってからでは遅いってわかってるのに……」  みんな勘違いしている、というかすぐに忘れてしまうようだけど、俺は別に、体が動かない、話せないと言うだけで、耳も目もちゃんと機能している。  だからさ、全部聞こえてるんだ。  聞こえた上で、黙っていることしかできないんだ。 「やめろ。律はちゃんと聞いてるぞ。後悔があるなら今からでも遅くないだろう。律は、自身の後悔がないようにと今だって頑張っているんだ。それをお前たちがとやかく言う権利はない。律はまだ生きている。全身で感じ取ることができる。それを忘れるな」  俺の思いは、いつも冬夜に筒抜けで、そして冬夜は俺の言いたいことを代わりに言ってくれる。  俺は病気にはなったけれど、とても恵まれている。  自分に甘かった。妥協ばかりしていた。  でもそれが許されていたのは、家族が支えてくれていたからだ。  今だって俺がこうしてここにいられるのは、家族が受け入れてくれたからだ。俺のことを考えてくれたからだ。  そんな家族の辛い顔を、見ていたいわけがない。 「律はいつも言っている。家族に迷惑をかけないようにするにはどうしたらいいかと、オレに問うてくる。世話されるばかりの自分には、何が出来るのかと考えている。なのに、お前たちは律のことを考えているか?本当に、律の心を考えているか?」  いつのまにか、兄さんは怒るのをやめていた。母さんは泣くのをやめていた。  冬夜は、俺のそばに来ると、襖をパンっと音が鳴るくらい強く閉めた。 「全く、人間とは愚かな生き物だ。すぐに自分以外の人間が存在する事を忘れてしまう」  そんなこと言わないで。二人とも、俺のことを考えているから、ああして感情的にもなるんだよ。 「お前は優しいな。もっと甘えてもいいんだぞ」  そんなことないよ。俺はもう、十分甘えて来たからさ。せめて、俺が死んだ後みんなが幸せになれるなら、それ以上は望まないよ。 「神の前で謙虚であることは美徳だ。ただし、不埒な妄想をしていては、その美徳も薄れてしまうが……」    ニヤリと笑う冬夜。  俺は昨晩見た夢をまだ名残惜しく思い返していたから、どうやらそれが伝わってしまったようだ。  冬夜にはどうしたって隠すことはできないから、俺は開き直って言った。  だって、冬夜に触れていたい。抱き合いたい。  他のことだったらいくらでも我慢するけど、冬夜のことだけは、我慢できそうにないからさ。  これは俺の、最期のわがままだよ。 「律。オレはお前も幸せにしてやりたい。神格を得たからと言っても、本当に叶えたい願いは叶わないな」  それは俺が初めてみる、冬夜の暗い表情だった。  冬夜にも後悔していることがあるんだ。 「当然だ。千年も生きていて、オレは結果に満足したことはない。いつだって後悔はついて回る。オレは今度こそ後悔したくないんだ。だから律、お前はオレには、わがままを言うんだぞ」  俺が後悔しないようになのか、はたまた冬夜自身が後悔しないようになのか。  あるいはそのどちらもか。  それはわからないけど、別にどっちでもいいやと思った。  八月、絶対に花火が見たい。冬夜と、ふたりで。  なんとなく予感がしていた。きっと、俺が外に出られるのは、八月が限界だ。

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