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第十八話 意志④
冬夜が怒った日から、俺の家族は、俺のことをよく見るようになった。
必要以上にそばに来たり、一方的に話しかけたり、手を握ったりしてくるようになった。
そうしていると不思議なことに、案外視線でいろいろ伝わることがわかった。
目で話す、なんて超能力みたいだと思うだろうけど、本当に的確に、伝わることがある。
今までどれだけ、人の目を見てこなかったのかがわかった。言葉にできる、表情を見ればわかる、なんて言うけれど、実際のところいくつかのコミュニケーション手段を封じてみなければ、本当の気持ちが通じているかなんてわからない。
母さんは人の顔色ばかりを伺う弱い人間だと思っていたけど、人の顔を見られるのは、相手のことをちゃんと考えているからだということがわかった。
父さんは長く考えすぎるクセがあるけれど、それは相手の本当に言いたいこと、欲しい言葉を考えているからだ。
兄は人の話を聞かないと思っていたけど、真面目な性格は他者にとっても誠実で、はっきり自分の意見を言った上で、他の意見も考えることができる柔軟な思考の持ち主だった。
そして残念なことに、関わろうとしてくれない愛香のことは、わからない。
寂しいと思いはしても、怒ったり恨んだりする気はなかった。それより積極的に関わりを持ってくれる人を大切にしようと思った。
別に愛香を嫌いになったわけではない。無関心でいられることは、罵られるよりもいい。そう思っただけだ。
俺の周りに、束の間の平和が訪れた。
でもそのかわり、減っていったものもあった。
家族が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれると、反対に冬夜との時間が減っていく。
七月に入って、母さんはパートを辞めた。
家にやってくる介護士や看護師に、積極的に色々聞いて学んで、俺のことをなんでもやってくれるようになった。
それまで冬夜が食べさせてくれた食事も、鼻からチューブを入れたことで、その必要がなくなった。
時々体勢を変えたりするのも、母さんがやってくれるし、なんでか夜は父さんが来ることもあった。
兄は土日によく帰ってくるようになって、俺のそばに居座り、仕事の話や昔話をしてくれた。
兄と俺は、性格が正反対だったけれど、別に仲が悪かったわけじゃない。小さい頃は、よく一緒に遊んだ。近所の川、冬夜のいた御堂、わりと近くに住んでいた祖母の家。
俺は兄にくっついて、どこにでも行った。
「ばあちゃんが亡くなった時、憶えてる?」
ある時兄は、数年前に死んだ祖母の話をし出した。小山の廃寺に偉大な神様がいたんだと話してくれた祖母だ。
「ばあちゃんな、結構ひどい認知症だっただろ?俺さ、実はばあちゃんが怖くなって、できるだけ会わないようにしてたんだ」
兄の告白は、なんとなくわかっていたことだった。
祖母の認知症は、俺もビックリするくらい進行が早くて、あっという間に別人みたいになってしまった。家族の顔と名前が一致しない。今いる場所がわからない。突然奇声を上げて家を飛び出し、行方不明になったこともあった。
「そん時、もうちょっと頑張ってさ、最後までちゃんと関わっとけば良かったなって、今では後悔してる。お前のことも、勝手なこと言って悪かったって、思ってる」
少ない言葉のうちに込められた想いは、俺にも十分わかった。
祖母のことは俺だって後悔していることがあった。
両親は俺たちには理解できない行動ばかりする祖母を、施設に入れるべきか、家で面倒を見るべきか、とても迷っていた。
俺は高校生だったことを理由に、全部両親や兄に任せて逃げていた。関わりたくない、面倒だなとすら思っていた。
冬のある日、祖母はまた勝手に家から飛び出して、そのまま亡くなった。転倒による頭部損傷だったらしい。その日はとても寒く、雨上がりのアスファルトが凍っていたとか、そんな理由だった。
「ばあちゃん、俺たちにめちゃくちゃ優しかったのになぁ。薄情な孫だよ。あの時の後悔があったから、お前のこともムキになっていたんだよ。ばあちゃんと違って、お前にはちゃんと意識があって、話が出来て、自分の考えだってあるのにな」
それからしばらく、亡くなった祖母との思い出話をした。
話すことが出来ていたら、俺も声を出して笑っていたに違いない。
さらに嬉しかったのは、兄の話を聞きながら、冬夜も笑顔を浮かべていたことだった。
兄と冬夜は、今ではすっかり和解している。俺のためだとわかっているけれど、大好きな人と家族が仲良くしている姿を見るのは単純に嬉しい。
そしてその大好きな人が、一緒に笑ってくれることが、嬉しい。
ばあちゃんは廃寺には、偉大な神様がいると言った。
でも間違ってるよ、と俺は言いたい。
偉大で、優しくて、カッコいい神様だったよと、あの世で再会したら訂正する必要がある。
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