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第二十一話 願い②

 花火大会当日は、とても暑かった。  こんな姿になって、夏の嫌なところをものすごく実感している。  寝たきりの俺は、汗をかいても自分で拭くことができないし、汗ばんだ皮膚がとても不快だった。  でもそんな些細なことが気にならないくらい、今日という日を楽しみにしていた。 「冬夜くん、律に付き合ってくれて、本当にありがとう」  父さんが今にも泣きそうな顔で言う。冬夜は、いつもみたいに平然とした顔をしていた。 「礼を言うのはこちらの方だ。こうして出かけることを許してくれたのだから」 「律は本当に良い友達をもったなぁ」  俺のような全介助が必要な人専用の、大袈裟すぎる車椅子。街中で見ると、きっととても恥ずかしくなるのに、冬夜はそれを平然と押してくれる。 「律、楽しんできてね」  母さんが俺の頬を撫でて言った。俺はそれに、瞼を一度閉じて応えた。  両親が見送る中、俺は冬夜に押されながら、花火大会の会場へ向かう。冬夜は歩きながら、時々俺の顔を見てにっこり微笑んだ。  まだ薄明るい路地を抜けて、徐々に人の増える中を、まるで俺たちしかいないみたいに颯爽と進んでいく。  花火は大きな川から上がるので、河原側はすでに人でごった返していた。屋台の美味しそうな匂いがあたりに広がっている。イカ焼き、たこ焼き、広島焼き。香ばしい胡椒の香りは、きっと串焼きだ。  甘い匂いのクレープも、バカ高いかき氷も、もう食べることはできないけれど、俺はこの空気を味わえるだけで満足だった。  だって、大好きな人と二人でいられるのだから。  たとえ俺に、普通のカップルみたいなことが出来なくたって、それでも今こうして、俺は冬夜とここにいるのだから。 「律は、どうして花火が見たかったんだ?」  会場から少し離れた人気のない場所を選んで立ち止まる。  俺は少し考えて、そして自分の考えを伝えようとした。  祖母が好きだったのだ。  花火を見るのがとても好きだった。祖母の家はもうないけど、この河原に程近いところにあった。そこの縁側から、毎年花火を見るのが恒例となっていた。  花火大会の日は、祖母の家に泊まって一緒に見た。だから俺はこの花火大会が好きだった。ただ、それだけの理由だ。  中学三年くらいになると、クラスの友人たちと屋台を楽しむ事のほうを優先してしまって、祖母と花火を見ることはなくなった。 「そうか。お前の祖母は、たしかに快活でうるさくて、花火のような人だったな……」  え?と、問い返す前に、ヒューッと甲高い音が河原いっぱいに鳴り響いた。一発目の打ち上げ花火は、真っ暗な空をまっすぐ飛んで、天高く花ひらいた。  間近で見る花火の音は、心臓がぶるぶる震えるくらいの迫力があって、懐かしいその感覚にしばし思考が停止する。  次々上がる花火の色彩は色とりどりで、ばあちゃんと見たものとも、中高の同級生と見たものとも、有澤と見たものとも、どれとも違って見えた。  それは多分、隣に大好きな人がいるからだ。  この世に愛しい人がいて、そのそばにいられて、共に見るものすべが、今まで以上の色彩を放っている。  たしかに身体は動かなくなった。言葉を紡ぐこともできなくなった。  思い通りにいかないことに、何度泣きたくなっただろうか。叫び出したくなることもあった。  でも、俺は幸せだ。  惰性で、甘えで生きていたままでは、これ程幸せを感じることなんてできなかったと思う。  次々と空に咲く大輪の花を見ながら、俺の頭の中はいろんなことでいっぱいだった。  二十年分の思い出を、この一晩で全部振り返ろうなんて不可能だ。  でもさ、溢れてきてしまうものは、止められないんだよな。  そうして最後に浮かぶのは、やっぱり冬夜のことだった。  初めて会った時、なんて綺麗な人なんだろうと思った。流されるように体を許し、強引だけど優しい手つきにいつしか心まで許していた。  たくさん、くだらない話をした。  俺のこと、もっと知って欲しくて。  冬夜のこと、もっと知りたくて。  何度ふわふわの尾に包まれて眠ったか。  何度その手の温もりに救われたか。  不恰好な稲荷寿司を、もう一度食べさせてあげたかったなぁ。 「律…」  ポタリと頬に、冷たいものが落ちてきた。  冬夜は、俺を見下ろして、泣いていた。  神様なのにさ、泣いちゃうなんて、らしくないよ。  いくら言っても、冬夜は静かに涙を流していた。  こんな顔をさせたかったわけじゃないのにな。ただ一緒に、花火を見られればそれで良かったんだ。  なのに冬夜が泣くから。  俺は病気になってから始めて、自分の命が惜しくなったよ。  でも、もう決めているから。  これは俺の意志。  だから、泣かないで、冬夜。 「そうだな。すまない」  フフッと笑って、冬夜は涙を拭った。それから珍しく申し訳なさそうな顔をした。 「そうだ、お前の望みを叶えてやらないとな」  まるで泣いていたとは思えないくらい不敵な顔で、冬夜はクスリと笑った。そのまま、整った唇が俺のそれへと落ちてくる。 「何て顔だよ。お前はいつも、どれだけ触れても、恥ずかしい顔をするな」  だって好きなんだもん。仕方ないよね。 「オレなど好いても、先はない」  先なんてもともとないんだよなぁ、残念なことに。だからさ、勝手に想っていることくらい、許してよね。 「自由なヤツだな」  サラリと髪を撫でていく冬夜の手。何度も何度も俺の前髪を攫う。  大好きだよ。愛してるよ。  俺のそばにいてくれてありがとう。  花火、連れてきてくれてありがとう。  これが最後になるかもしれないから、たくさん伝えておくよ。  今までありがとう。  翌日から、俺はとうとう、終末期を迎えた。

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