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第二十三話 願い④

 十一月。  あれだけ苦痛に感じていた痛みも、動けないことに対するもどかしさや虚しさも、ビックリするくらい感じない朝があった。  俺は、まるで前のように自然とベッドから起き上がる。  残酷で長い夢を見ていた。  やっと悪夢から覚めて、解放された気分だった。  だけど現実の俺は、家族に囲まれて眠っている。主治医の先生が寝ている俺の手首に触れ、それから静かに頭を下げた。  この瞬間のことを、俺はずっと忘れないだろう。 「律っ、律!!」  泣き叫んだのは母さんだ。必死に俺の名前を呼んで、まるで眠っているような俺の顔を両手で挟んで縋り付く。  父さんは静かにその場に座り込んでいた。畳に、ポツポツと小さな水滴が溜まっていく。俺はこれまで、父さんが泣いているところを見たことがなかった。最初で最後に見る涙が、俺のためだと思うと嬉しい。  愛香は…呆然としていた。とても心配だ。だけど俺は知ってる。愛香は兄である俺より、強い子だ。小さい頃から、転けて怪我をしても泣かない子だった。だからきっと、乗り越えられる。 「父さん、律は!?」  ドタバタと玄関から走り込んでくる音がして、俺はビクッとした。兄だ。こんな朝早くに駆けつけてくれたようだ。 「律な、つい、さっきな……」 「そっか…間に合わなかったか」  父さんが抑揚のない声で答え、兄は部屋の入り口で立ち尽くした。肩からストンと力が抜け、荒くなった息を整える。そうしてしばらくしてから、ゆっくりと寝ているような俺に近付いた。 「ごめんな、なんにもしてやれなかったなぁ」  この期に及んでまだ言うか、と俺は思った。だって兄さんにはたくさん話をしてもらったし、俺はそれだけで楽しかった。  俺のことを思って、怒ったり笑ったりしてくれた。それだけで十分だったのに。  やれやれ、とため息を吐く。 「フフッ、律お前、きっとため息ついてるな。わかるんだ、兄だからな」  すごいなぁ、さすが俺の兄さんだ。  兄のそんな発言で、少し悲しい雰囲気が和らいだように思う。  長いこと考える時間はあった。だからきっと、悲しみを乗り越える時間はそんなにかからない。明日にでも元気に…は、無理かもしれないけれど、でもそのうち、いつもの日常に戻って欲しいと思う。  俺のことなんて忘れてくれとは思わない。  俺がいないことを気にしないでとは思う。  だってみんな生きているし、生きている人は生きている人生を、精一杯生き抜いてほしい。  後悔のない人生なんてない。  でもせめて、たくさんの良かったことを思い出していたい。  病気になったことよりも、父さんと母さんの息子に生まれて良かった、兄妹がいてよかった、大切な友人とたくさん遊んで、好きな人に想いを伝えられた。  それで十分だ。 「さよなら、なんて、悲しいことは言いたくないから、俺は別の言葉を言うことにする」  聞こえはしないけど、きっと届いていると信じて。 「ありがとう」  俺はフワリと浮かんで、次の目的地へと向かう。  天国に行けるかはわからない。でもその前に、もう少し時間があってよかった。  冬夜に会いに行くことができるから。

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