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第4話

―――――― 「これ、落とし物」  その日最後の講義が終わり、リュックに参考書とノート、筆記用具をしまっていた時だった。  目の前の長机に、パサリと諭吉が降って来た。 「この前の金曜、ぶつかったのお前だよな?」  諭吉を机に置いた手は、大きくて男らしいふしくれだったもので、その指にはこれでもかとシルバーリングが嵌められている。  そのリングには、確かに見覚えがあった。 「なあ、何とか言えよ」  俺は俯いたまま手を止めて、目下こちらを見ている諭吉を凝視する。クチャリとシワで歪んだ諭吉は、いかついシルバーリングとの組み合わせてからいって、多分というか絶対俺が落としたものだに違いない。  見知らぬおじさんのちんこをしゃぶって、お礼にと受け取った、あの諭吉だ。 「なあ、なんとか言えって」  俺はしばし放心したのち、すくっと立ち上がった。  シーンと静まり返った講義室の中、回れ右して出口を目指す。 「あ、おい!」  今日の夕飯は何だろなぁ?  マミィは見た目はちょっと、アレだけど、料理の腕はすこぶる良い。料理ができるとモテるのよ、と昔言っていた。ダディはそんなマミィのことが大好きで、良い歳して未だにイチャイチャする。  異国育ちのマミィは当然かの如く人前で頬擦りしたりするけど、ダディは純日本人なのにすごいなぁと思ったりするわけです。  息子の俺からしても、二人はとても仲が良くて羨ましい。 「おい!善岡美夜!」  グイッと肩を掴まれて思考が途切れる。無理矢理振り向かされて、思わずそいつの顔を見てしまった。 「お前なぁ!無視すんじゃ……ねぇ、よ……」  顔を見られてしまった。あいにく今日は、伊達メガネをしていない。必要な部品がないとかなんとかで、 修理に一週間かかると言われたのだ。  そう気付いたと同時に、ああコイツも、どうせ俺のこと女みたいな顔だとか言ってバカにするんだろ、とうんざりした。  美容師であるマミィは、俺の髪を勝手に染める。今は、淡いピンク色のそれが余計に中性的な印象を与えていることはわかっている。 「あ、えっと……」  目の前の男は、180センチをゆうに超える高身長だった。いかつい印象のシルバーアクセサリーに反して、わりと柔らかい印象を受けるイケメン。清潔感のある明るい茶髪で、いかにも女が好きそうな顔だ。  そいつが、放心したような顔で俺の顔を凝視している。 「それ、あげる」 「え?」 「金だよ。あげるから話しかけんな」  もともと金が欲しいわけじゃない。むしろ十分すぎるほどお小遣いを貰っている。  それよりも、これ以上話しかけて欲しくなくて、俺は突き放すように言った。  言ったのに。 「お前、メガネ無いとそんな顔してんだな……めっちゃタイプ」 「は?」  しばし思考が停止した。そんな俺に、ソイツはさらに言い募る。 「あ、あのさ…今付き合ってる人いる?いないなら、オレと付き合ってくれない?ホント、いきなりでごめん。でもオレ、一目惚れっつーか、いや、迷惑だよな?急にこんなこと言われて……」  コイツは何を言っているんだ?付き合う?はあ?  混乱した。ものすごく、混乱した。  一体何言ってんの?と問いただしたい気もする。でも、言葉を交わせば後戻り出来なさそうで、俺は一言だけ言った。 「ムリ」  そんで、未だ肩に置かれたままだった腕を振り払って、俺は足早にその場から逃げ出した。  いつのまにか集まっていた野次馬を押し除けて、一目散に走り去った。

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