10 / 63
第10話
とりあえず身だしなみを整えてトイレを出た俺と飯田は、たがいに無言で廊下を歩いていた。
俺はなんともいえない尻の違和感を、どうにかこうにか誤魔化している状態だった。
残念なことに、俺たちが倒錯的な行為に浸っている間に、講義はすでに始まってしまっている。今から行っても出席にはならない。
「う、腰が……」
化学研究棟を出たあたりで問題発生。俺の腰が限界を迎えた。立ち止まった俺を、飯田がそっと支えてくれる。
「ごめん。マジでごめん」
「いやいいよ…もとはといえば俺が悪いんだし」
散々な目にはあったが、最初に手を出したのは俺だ。そこはもうどうにもならない現実として受け止める。
「でも…は、初めて、だったから……」
セックスがこんな、痛いくて後遺症の残るものとは思ってなかった。あととんでもなく気持ちよかった。女の子とする前にこんなん知ったら、もう後戻りできないんじゃないだろうか?
今はそれがとても心配だ。
「美夜、本当に初めてだったんだ……」
「そうだよ!何回も言おうとしたのに、飯田が聞いてくれないから怖かった!!」
「ごめん」
でも、と飯田が俺を見る。真っ直ぐ、見つめてくる。
ああ、言いたいことはわかるよ?あの噂とか、ちんこしゃぶったこととか、知りたいんだよな?
飯田に支えられて、とりあえず外のベンチに座る。飯田が近くの自販機でコーヒーを買ってくれた。それをチビチビ飲みながら、俺は仕方なくこれまでの経緯を話した。
俺、実は淫魔の子孫で、男の精液を摂取しないとダメなんだ、と。
飯田は整った顔に困惑の表情を浮かべ、でも一度も口を挟まずに聞いてくれた。
「つまり、どういうこと?」
「だから!フェラしかしたことないんだって!それもどうしても欲しくなっちゃって、自分ではどうすることもできないから仕方なくそこらへんで見繕ってんの!金は相手が勝手に置いてくだけで、欲しいと思ってんのは精液だけなんだよ!」
いや、自分でも言ってることヤバイなとは思うよ?でも事実だし、誤魔化すなんて器用なこと、俺にはできない。
それになんだか、飯田に軽いこと言って誤魔化すのはイヤだなぁなんて思ってしまった。なんでたろ?
「そっか…だから変態なんて噂されてんのか」
「そ。心外だけど仕方ないんだ」
生きるために必要なら、多少悪い噂を流されたって構わない。仕方ないものは仕方ない。俺は結構、適応力があるのだ。
多少不快だなぁと思ってはいるけれど、それは周りのみんなも同じだ。俺のこと、汚い奴だと不快に思っているのだからお互い様なのだ。
「辛いよな、それって」
「ん?」
「だって、そのせいで友達もできないんだろ?だからいつもひとりで……」
飯田は、今にも泣きそうな顔をしていた。同情するよと、瞳が言っている。
「それは違う。ひとりなのはもともと俺が、」
「でもオレ、美夜のこと好きなのは本当だから!」
「はぇ?」
ガバッと急に接近してきたかと思うと、飯田は俺の両手を掴んで引き寄せた。
あ?抱きしめられてね?
という俺の困惑には気付かない飯田は、ぎゅうっと、背骨が折れそうなほどキツく抱きしめてくる。
「守るよ、美夜のこと。辛かったら辛いって、オレにだけは言ってほしい。好きなんだ。この気持ちにウソはない」
耳元で必死な飯田の声を聞いた。誕生日に、「ごめんね!」と言ったマミィより余程真摯な態度だと思った。
しかし、だ。問題はそこじゃない。
正直飯田がどれだけ本気であるかなんてどうでもいい。もし今は付き合えないから考えると言ったとして。逆に今すぐ付き合おうと答えたとして。
あんな…レイプみたいなセックスをするヤツと付き合えるだろうか?
俺にはムリだ。
童貞の前にケツ処女を喪失した今、飯田の性癖は軽くトラウマだ。
いつも爽やかな笑顔の、(見た目に反して)気遣いのできる穏やかな飯田が、さっき俺をなんて言って犯したか覚えているだろうか?
『痛いのが気持ちいいんだ』やら、『どうせ慣れてんだろ?』やら、『思いっきり出すとこ見せろよ』である。
お前の方がよほどAVみたいなこと言ってね?
「な、なあ、それよりさ……」
「なんだ?」
飯田の顔が至近距離で俺を見る。ちょっと潤んでいて、目元が赤い。セックスの余韻なのか、はたまた告白して感極まっているのか定かじゃないけど。
そんな顔をされても、だ。俺は見逃さないぞ!
「お前って、セックスすると人が変わるの?」
ピシ、と飯田の表情が固まった。んー、これは、図星だなぁ、やっぱり。
「こ、怖かったんだよ、これでも。だって初めてだし。なのに、お前さ、なんか人が変わったみたいに……」
「ごめん!!本当にごめんね!!」
「いや謝罪じゃなくて本当のとこ言えよ」
飯田はまた顔を真っ赤にして、ふうとひとつため息を吐き出した。そして、意を決したかのように重い口を開く。
「実はさ…オレ、セックスのとき興奮して相手をいじめちゃうんだよね……嫌がったりされると、なんか燃えるというか萌えるというか」
「ヤバイな」
「うん…わかってんだけど、どうしても抑えらんなくて、いつも続かないんだ。思ってたのと違うって言われて、フられちゃうんだよ」
「確かに思ってたのと違う……」
ギャップと言えば聞こえはいいのだろうけど。実際目の当たりにして、痛いのも苦しいのも無視された俺としては、飯田はヤバい、とこれしか言葉が浮かんでこない。
てっきり、グズグズに甘やかすような優しいセックスをするんだと思っていた。それは、普段の飯田が、優しくて人当たりも良くて、こんな俺を庇ってくれるようなヤツだったから。
もちろん、自分が飯田の相手になるなんてことは思っていなかった。ただ告白されたものとして、例えばの範囲で想像したことがあるだけで。けっして相手が自分という状況を想像したわけじゃない。けっして。
「ここまでやっちゃったわけだけどさ」
沈黙が気不味くなって言った。ここでハッキリさせておこうと思った。
「ムリだから!俺、こんな体質で、男のちんこしゃぶって生きてくしかないけど、飯田と付き合うのはムリだから!」
あくまで女の子が好きなのだ。そう、信じていたい。そうしないと俺は、今まで築いてきたアイデンティティが崩壊しそうだった。
人を好きになるということがどういうものなのかを、俺は知らなかったのだ。
パンを咥えてぶつかったら恋してたとか、転校生に一目惚れしたとか、そういうことを一切信じていなかったことも大きな理由のひとつだ。
飯田とは、一万円を使い切るまでの友達。
ちょっとタイミングが悪くて、セックスしちゃっただけの友達だ。
俺にどんな事情があって、飯田がいくら好きだと言ってきても、俺は今までに築いてきた固定観念を捨てることができない。
「今まで通りにしてくれないなら、友達も辞めるから」
結局、俺はこう言うしかない。
飯田はひどく傷付いた顔をしていた。
そりゃここまでやったら付き合えると思うよな。気持ちよかったのは確かだし。イヤだイヤだと言いつつ、結局飯田のちんこを堪能したのも事実だし。
だけど、ごめん。
誰かと付き合うなんて、多分俺にはできない。
ともだちにシェアしよう!