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第15話
講義室に入ると、講義はすでに始まっていた。20分以内なら出席になるので、俺はあえて5分遅れて出席した。
いつも俺が座っている最後列の窓際の席は空いている。その右隣には、いつもの明るい髪色があった。
ガラガラと引き戸を開けたせいで、飯田が一瞬こっちを見た。俺は目を合わせないように俯いて、入り口近くの席に座る。
講義中、ずっと飯田の視線を感じていた。その切なげな視線は、さながらペットショップの仔犬のようだった。俺の中の疑惑が、俺と飯田との間にガラスの壁を築いていて、その向こうからなんとも言えない視線を投げかけられている。そんなイメージが浮かぶのだ。
だけど、その視線に気付くたびに、今も痛む全身の傷や、尻の違和感を思い出すのだ。
楽しかったのに、なんで?と、傷付いた胸がギュッと痛くなる。
真摯で優しい飯田に、心を許し始めていることに気付いていた。でも俺のそれは、友達のつもりだった。一度目は間違いだと言えても、二度目は許せない。三度目があるくらいなら離れていた方がいい。
いくら男の精液が必要な俺でも、セックスは違うと思う。だって、俺は飯田のことを、そういう意味で好きなわけじゃ無い。
つらつらと考え事をしているうちに、講義終了の時間が来た。俺は荷物をまとめて、誰よりも早く講義室を出る。
そうやって、俺は飯田を避けることにした。
――――――
そのまま一週間が過ぎた。
俺の日常はなんてことない、元通りになった。
講義はギリギリで入室して、終わると同時に部屋を出る。空き時間は自習室以外ですごし、昼食はコンビニで買ったものを人気のないところで食べる。
飯田はまだ諦めていないようで、ときどきじっとこっちを見ていた。でも、三日もするともともといた派手で賑やかなグループに戻っていった。
それでいい。俺はもともとひとりだったんだから。
ハンバーグプレートが食べられないのがちょっと残念だけど、それくらいの変化だ。何も問題ない。
四限の講義終わり、妙に胸がドキドキしていて、それでそろそろ補給しないといけないなと気付いた。
いつも前兆は突然やってくる。激しい動悸に、少しの頭痛。なんだか妙に体が熱って、落ち着かない気分になる。
姉が言うには、最初の頃は酷いそうだ。時が経って慣れてくると、そろそろだとわかるようになり、前触れの症状もマシになるらしい。
俺にそう話してくれた長女は、ニヤリと笑って付け足すように言った。
『セックスすればマシになるのよ。だから、アンタもはやく良い相手見つけなよ』
そんな姉は、結婚を前提に付き合っている相手がいる。もちろん相手には告知済みだそうだ。世の中には変な人がわりといるようで、淫魔だと告げられても結婚しようと思うなんて、俺には到底理解不能だ。
まあそんなわけで。
とりあえずの相手を探しにいかねばならない。今までフェラに性的な興奮を覚えたことのない俺にとって、セックスはありえない。
いつもみたいに、適当にフェラして終わらせられる相手が必要だ。
そそくさと講義室を出る。いつも歩いている廊下が、とてつもなく長く感じた。
ダメだ、一旦何処かで落ち着いてからじゃないと、とても大学を出るまで持ちそうにない。自分の吐く息が熱い。そんなことでも、なんだか変な気分になってくるのだから救えない。
一番近いのは、サークルや部活の部屋がならんでいる部室棟だ。いつもみたくトイレの個室でやり過ごそう。そう考えて、俺は部室棟の簡素な建物へ向かった。
本館や各学部の研究室が並ぶ建物とは違って、部室棟は簡素な造りだ。二階建てで、一階は更衣の必要な運動部が、二階は文化系のサークルや部活が使用している。
そこの一階奥のトイレへ駆け込んで、閉じた便座に座って呼吸を整える。深呼吸を繰り返して(効果があるのかはわからない)、ドクドクと脈打つ心臓を宥めた。
俺が知らなかっただけで、四人の姉もこうしてやりすごしていたのだろうか。みんな二十歳の誕生日に、マミィから伝えられたそうだが、至って変わらぬ態度だったと記憶している。
そもそも淫魔などというものが、この世に存在しているとは思いもしなかったので気付きようもないが。
「ふぅ…」
十分ほどジッとしていると、次第に体の不調も治ってくる。
一度目の波をやり過ごすと、束の間の余裕ができる。これを繰り返し、夜の街で相手を探す。簡単なことだ。お腹すいたからどこかで食事しよう。それと、なんら変わりない。
発作が起きるようになってもうすぐ二ヶ月たつけど、今のところ問題はなかった。
ハズだったのだけど。
トイレを出て廊下を歩いていた時だ。
「うわっ」
とある部室から伸びてきた手に捕まった。そのまま室内へと引き摺り込まれ、床に投げ出されて驚いた。
「っな、なに!?」
強かに打ちつけた尻をさすりながら顔を上げる。ロッカーがずらりと並んでいるのが目に入った。それと、俺を見下ろす四人の男。そのうちのひとりに見覚えがある。
途端に嫌な予感がした。
「善岡、久しぶりだなぁ」
自分の特殊な体質を知って二週間ほど経った頃、どうしても我慢できなくなって、他学部の学生を大学近くの公園のトイレに連れ込んだことがあった。
その時は必死過ぎて、その人が同じ大学の学生だなんてこと気にしている余裕はなかったのだ。そのことが後にどんな影響を及ぼすかなんて、まったく考えていなかった。
「あれからお前、外でも男漁ってるらしいじゃん」
確か四年の先輩であるその男は、いやらしい笑みを浮かべて俺を見下ろしている。
「お、俺になんかようですか?」
異様な雰囲気の先輩から後退るが、すぐに背中がドアに当たって逃げ場を失った。本館から離れた部室棟で、鍵のできる部屋に連れ込まれてしまったら、助けなんて呼べるわけもない。
「偶然お前がここにいるの見ちゃってさ、だったら遊んでやろうって話になってな?」
「結構です!」
「遠慮すんなよ。お前、男とすんのが好きなんだろ」
「や、やめっ!!」
先輩が俺の髪を鷲掴みにした。痛くて抵抗する。でも、大人数には勝てるわけもなく。
「ほら、前みたいにちんこしゃぶれよ」
欲求不満状態の俺は、意思と本能の狭間で葛藤しつつも、陥落するのは容易かった。
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