24 / 63
第24話
ともかく俺は、一刻も早く誤解を解こうと考えた。
昼食後、講義室に戻るとすぐさま飯田を探す。いつも目立つメンバーは、講義室の前の方で一塊となっていて、その中に飯田の姿も見つけた。
なんて話しかければ良いのだろうか。
いざとなったら怖気付いてしまう、インキャで根暗な俺だ。人と話すことが苦手なのを、この時ほど恨めしく思ったことはなかった。
思えば飯田とは、いつも一方通行だった。
恥ずかしげもなく大勢の前で公開告白されて、何度も何度も話しかけてきて、友達でもいいからと傍にいた。
その間、俺から話しかけたことが何度あっただろうか?
俺は、人付き合いが苦手だからという理由で飯田に甘えていた。
淫魔であることや、誰彼構わずちんこしゃぶってることも含めて、全部受け入れてくれた飯田に、とんでもない仕打ちをしてしまったんだと改めて思った。
何度も話す機会はあった。飯田が作ってくれたその機会を、俺は無碍にして、逃げて、あげくに姉に守られて。
付き合いが楽な先輩たちの方を選んで。
こんな俺の話を、もう一度聞いてくれるだろうか。
「あ、あの、飯田……」
講義が始まるまでの後五分。せめて、話したいとだけでも伝えられるかと、飯田のもとへ歩み寄った。これでもなけなしの勇気を振り絞った。
「ちょっと!こっち来ないでよ、変態!」
「痛っ」
ドン、と強く肩を押されて、俺はあっけなくその場に尻餅をついて転がる。名前は知らないけれど、いつも飯田の周りにいる女だ。
「なに?あんた、圭吾のことフったんでしょ?だったらもう近付いてこないで」
シーンと静まり返る講義室。普段おとなしい学生まで、こっちを見ているのが、突き刺さる視線の多さでわかった。
「っ、あ、の」
「だから!消えろっつってんのよ!」
バシャッ
生ぬるい液体が顔に降りかかった。匂いでコーヒーだとわかる。購買で売っている、安いカップのコーヒーだ。
一瞬にして、髪も服もびしょ濡れになってしまった。熱々じゃなかったことがせめてもの幸いだ。
「……」
片手で顔を拭って、滴るコーヒーをそのままに立ち上がる。飯田と一瞬目が合った。何か言いたそうに口元を歪め、でも、スッと視線を逸らした。
ああ、飯田は、俺のこともうどうでもいいんだ。
諦めてしまったんだ、と強烈に理解した。今まで俺だけ見ていた視線が、合わなくなることがこんなに苦しいなんて思わなかった。きっとそれは、今まで俺自身が人の視線を避けていたからだ。
キツく唇を噛んだ。
いいだろう。今度は俺の番だ。飯田が耐えた分を、俺も耐えて見せるのだ。
飯田はあの痛い唐辛子スプレーの直撃を喰らったのだから、コーヒー一杯程度なんてことはない。これをぶっかけた女は、淫魔の呪いにかけておくことにする。三回ほどエッチ断られろ、と念じておく。
それから俺は、そろそろと歩いて荷物を持って、講義室を出た。さすがにこのまま平然と講義を受ける強靭な精神は持ち合わせていない。
とかなんとか、強気に思ってはいるけれど、結構堪えた。
コーヒーをぶっかけられたことよりも、飯田に視線を逸らされてしまったことがショックだった。
俺がちゃんと、飯田の話を聞かなかったのが悪いんだけど、それでも結構落ち込んだ。
美優に先に帰るとだけメールを送って、そのまま大学を出る。
昼過ぎのこの時間なら、家には誰もいないはずだ。このまま帰っても誰にも心配かけないだろう。
前途多難だ。
飯田は、こんな気分を味わっていたんだろうな。
どれだけ話しかけても一方通行で、さぞ辛かっただろう。
だから俺も、せめて飯田が俺にかけてくれた時間分は頑張ろうと思う。
絶対に誤解を解いてみせる!!
そう、胸に固く誓ったのだ。
――――――
改めて観察してみると、飯田は普段、誰にでも優しい訳じゃなかった。
基本的にいつもいるグループの人としか話さない。それ以外の学生にはものすごく塩対応だった。
ある時、同じ学部の大人しい女子が筆記用具を忘れた。後ろから見ていても慌ててるのがよくわかった。偶然、飯田が隣に座っていて(だから見てた)、でも飯田は知らん顔してスマホをいじっているようだった。
俺の知らない飯田の姿に、少し驚いた。誰にでも優しいんだと思っていたけど、それはどうやら勘違いだったようだ。
だけど、仲の良いグループ内ではけっこう楽しそうに笑っている。唯一名前を知っている、零士とかいうヤツには、肩を組んだりなんかしている姿も見られた。
飯田のことを知ろうとして、逆に何も知らなかったことを痛感する。俺に話しかけてきていたあの笑顔は、実は無理させていたんじゃないか?
だったら尚更、どうしてそこまでして俺が良かったんだろうか。俺は飯田に好かれることをした憶えはない。というか、顔を見られて一目惚れされて、だからこそウザいと思っていた。
考えれば考えるほどワケがわからなくなる。本人と話せないのだから余計に鬱々とした気分が募る。
だけど不用意に近付こうものなら、飯田の周りから攻撃されるのだ。厄介なのは女子二人。ヤツらは俺をゲームの敵キャラかなんかだと思っているのか、まらで的のように消しゴムやらボールペンやらを投げつけてくる。
これでは迂闊に近付けない。
どうしたものかと困り果て、さらに一週間過ぎた。
「美夜ちゃーん、ちょっと聞いてくれよ!」
本館を出てすぐのベンチに座って、缶コーヒーを飲んでいた所に、錦木先輩がやって来た。
「なんですか?俺忙しいんで、手短にお願いします」
当然俺が理由もなくこんな所に座っているわけもなく。
視線の先では、少し離れた所に飯田がいるのだ。部活棟の脇の自販機で、見知らぬ女子数人とお話し中なのである。幸いほかのメンバーはいなくて、飯田はわかりやすく愛想笑いを浮かべている。
この一週間で改めて痛感したことがもう一つある。
飯田はモテる。めちゃくちゃモテる。動物園のライオンくらい、飯田の周りは賑やかなのだ。
やめておけ、飯田は見た目ほどいいことないぞ。
セックスは獣みたいなんだ。鬼畜でドSで、痛い思いをするぞ。
飯田の周りに群がる女どもに念じてみたけれど、通じるはずもない。
「ちょ、美夜ちゃん?おれの話聞いてる?」
おっと、先輩がいるのを忘れてた。
「なんです?」
「だからさ、金曜の飲み会、最悪だったんだって話。赤川も大久保も山口も女の子お持ち帰りしてさぁ。おれだけ相手見つけらんなかったの!!」
「そうですか。残念でしたね」
「美夜ちゃん、全然心こもってないよな?」
「ふぇ?そうですか?」
飯田はいつまであそこでおしゃべりするつもりだろう?その後ならもしかしたら話せるんじゃないだろうか?ちょうど取り巻きの女子二人もいない。これはチャンスだといえる。
「まあそんなわけで、おれ今溜まってんだよ。美夜ちゃん今からヒマ?ちょっと付き合って」
「なん、え、ちょっと!!錦木先輩!!」
先輩が俺の腕を掴んだ。いきなりで驚いて、腕を振り払おうとする。
「先輩!今は困ります!俺忙しいって、」
「赤川が持ってる動画、学校中に広めてもいいんだぜ。そしたら美夜ちゃんの有り余る性欲も満たせるんじゃね?」
「っ!!」
卑怯者!と、叫びたくなったが、弱みを握られているのは俺の方だ。
それに飯田のことが気になりすぎて補給もしてないし、今なら美優も講義でいない。錦木先輩ひとりなら、そんなに長くかからないだろう。
そう判断して、仕方なく立ち上がった。
「もう!三擦り半で出しちゃってくださいね!」
「いくらなんでもそれはないわ……つか、美夜ちゃんの可愛い顔で、三擦り半なんて聞きたくなかった」
冗談じゃなくてマジだよ!
まあでも、多分俺の方が三擦り半じゃ許さない。一度淫魔の血が目覚めてしまうと、もう自分じゃどうしようもないくらい求めてしまう。恥ずかしいことだって平気で言う。
酒を飲んで忘れられるのならそれもいいな、と思わないこともない。ただ、忘れている間に何があったのか、知らないままもう一度酒を飲もうとも思わないが。
とにかく、だ。
「ほら、先輩はやく終わらせましょ!」
「美夜ちゃんって、わりと大胆だよなぁ」
「うるさい!」
先輩の背中を押して、いつもの部室へ向かう。その間も、飯田から目が離せなかった。
ともだちにシェアしよう!