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第2章 第28話
――――――
「美夜!後ろの髪はねてるぞ!もー、あざと可愛いなぁ」
講義室のいつもの席。一番後ろの窓際の、日当たりのいいそこは、俺の特等席だ。
ここから差し込む日差しはポカポカと気持ちが良く、ついうっかりうたた寝、なんてこともしょっちゅうである。
そこに、俺は今無我の境地で座っている。
いつもなら心地いい太陽光も、右隣の眩しいイケメンには敵わない。
「今日の夕食は外で食べて帰ろ。この前行った店がめちゃくちゃ美味かったから、美夜にも食べて欲しい」
それから、と飯田は続ける。
「そろそろお揃いの食器も欲しいよな。夫婦茶碗的な奴。明日休みだし買いに行こうか?今日泊まるだろ?」
泡風呂しようぜ!美夜の好きなアイスも買ってあるし!この前の続きのブルーレイも借りといた!そういえば、美夜が気に入ってたブランドのパジャマも、新作入荷してたから買っといたよ!
「飯田!飯田!!」
「え、なに?」
放っておいたらずっと喋り続ける飯田を遮る。飯田はニコニコしたまま軽く首を傾げた。
「もうやめてくれぇええっ」
俺は両耳を手で塞いで突っ伏した。講義とかもうどうでも良かった。とりあえず、飯田の話は聞きたくない。
こんなの、まるで、まるで俺たちが付き合ってるみたいだろ!?
俺にはそんなつもり無かったのに!!
後悔してももう遅い。
とりあえず、後悔となった原因を振り返ってみようと思う。
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大学でぶっ倒れ、飯田に助けられてヤツの家で休ませてもらった日。
やっと俺たち二人の誤解が解けた。
飯田はあの日、俺から誘ったことに喜んでいたが、次の日から避けられたことに疑問を抱いていた。その時、俺が先輩たちと乱交(この言い方は不本意だが他に言い表せる言葉が思いつかない)していることを知って、嫉妬していたんだそうだ。
さらに美優が常に俺のそばにいるようになり、余計に話しかけづらかったらしい。そりゃあ激辛スプレーぶっかけられたら誰だって逃げるよな。
あまりにも俺が拒否るので、飯田は仕方なく和解することをやめ、俺とはもう関わらないと決めたそうだ。
しかし、そのすぐ後に今度は、俺から飯田に近付いた。これには大層驚いたそうだが、俺の意図がわからなくて、見て見ぬ振りをしてやり過ごした。
コーヒーぶっかけられたのも、本当は腑が煮え繰り返るほどムカついたらしい。
零士たちの話を聞いたのは、本当に偶然だったとか。コソコソ話しているから、なんだ?と聞き耳を立てたところ、どうやら誰かをレイプして放置したとか。講義が始まっても俺が講義室にいないからと、零士たちを問いただし、真相を知って探したんだと。
そんで、無事に救出され、俺は飯田と付き合っていることになっている。
え?端折りすぎ?
すまないが、俺にも何がなんだかよくわからないんだ。
俺は、「淫魔の俺の欲求解消に付き合ってくれ」と言ったつもりだった。
なのに飯田は、「恋人として付き合ってくれ」と受け取ったらしい。
思い返せば、飯田は最初から俺と付き合うことを目的としていた。それを忘れていた俺の方にも非があるとは思う。
だけど俺は初めにちゃんと断ったはずだ。だからそこはほら、もう終わった話だと思っていたんだ。
そうして飯田が勘違いしたまま、一か月ほど経ってしまった訳である。
俺と付き合うにあたり、飯田はもといた派手なグループとの付き合いをやめ(零士たちをフルボッコにした)、毎週のように参加していたイベントサークルなんかも断るようになった。
そればかりか、こうして俺を、甘やかしたり宥めすかしたり褒めちぎったりして、恋人であることを楽しんですらいるのである。
ちなみに、何度か先輩たちと鉢合わせした際には、マジで殺しそうなほど睨みを効かせていたため、察した先輩たちの方から去っていく、というのが何度かあった。
とは言え、だ。
俺としては、飯田に助けられたことに感謝しているし、普通に一緒にいるぶんには、飯田はとてもいいヤツなのだ。
飯田がしてくれることは、全部俺を思ってのことで、だからイヤだとは言い切れなくて。
それに、俺にとって重要なのは普段の飯田の行いよりも、精液の味である。
それはそれは、美味しいのだ。飯田のは、ほんと、ほっぺた落っこちちゃいそうなくらい甘くて、これがあれば大抵のことは我慢できるとすら思える。
それを美優に話したところ、もともと甘いものが好きではなかった俺だから、余計に敏感に感じ取っているのではないか、と言うことだった。
小さい頃苦手だった鮎のハラワタも、大人になって口にして、実は美味いんじゃないか?と思うのと同じだそうだ。
なるほどわからん。でも、俺にとって飯田の存在は不可欠に違いない。そう結論付けて今に至る。
まあそういうわけで、俺は飯田の恋人をやっている。
そんな今日は金曜日で、いつものパターンならこのまま外食して、飯田のマンションにお泊まりの予定である。
大学終わり、飯田に連れられて向かったのは、繁華街の外れにある落ち着いた雰囲気のレストランだった。
おおよそ大学生が頻繁に通えるような店ではないのだが、飯田はこういうところをたくさん知っていて、毎度のように奢ってくれる。
「この前来た時は、こっちのコースを頼んだんだけど、美夜には少し多いだろうから、こっちのコースを頼んでおいたよ」
「ん、ありがと」
店内の控えめな照明と、シミもシワもないテーブルクロス、丁寧に並べられた銀食器の類をみやり、どうも落ち着かない気分になる。
「ごめん、お箸のほうがよかった?」
飯田が俺の様子を見て、申し訳なさそうな顔をする。
「いや、平気だ。アメリカにいた時は、フォークとナイフもよく使った」
「そっか。アメリカか。オレも小さい頃は父親に連れられてよく行ったなぁ」
「そうなの?アメリカのどこ?」
飯田の家は大きな会社を経営していて、飯田はそこの次男なんだと以前聞いた。
だから大学生にしてはデカいマンションに住んでいるのだ。
「ワシントンのほう。父さんの会社の支社がそこにあって、夏休みのたびに遊びに行った」
「ワシントンか。俺のグランパの家はフロリダにあるんだ。真逆だな」
ワシントンはカナダ寄り、フロリダはニューヨーク側の下の方だ。東海岸側といえばニューヨークなんかの影響で聞こえはいいかもしれないが、フロリダは雨ばかり降る湿気の多い地域だった。ワシントンと比べると、たいして何にもない場所だ。
「いつか、二人でアメリカに行けたらいいな」
飯田が優しい笑顔で言った。運ばれてきた豪勢な食事もかげるくらいの眩しい笑顔だ。
「行くならニューヨークに行きたい」
「なんで?」
「自由の女神が見たい」
「随分とベタな……」
「だって、実際アメリカに住んでたら行かないだろ?」
「そうかな。オレは一通り観光名所には行ったけど」
「俺は観光でアメリカに行ってたわけじゃない」
「じゃあ美夜はどうしてアメリカに住んでたんだ?」
飯田が上品に食事を進めながら聞いてくる。濃い色のソースが付いた鶏肉を切って口に運ぶ。でもそのソースが垂れることはなくて、そんなところも様になっているなぁと感心しながら、どうやって答えようかと悩む。
向こうの空気や祖父母が好きだったからと、向こうに住んでいた理由を聞かれた際には答えていた。でも本当の理由は、日本の平均的な同じ歳の子どもたちに馴染めなかったからなのだ。
保育園の年長の頃、「女の子みたい」や、「オカマ」と言われるのがイヤで、地味に登園拒否状態だった時期がある。見かねた両親が、フロリダの祖父母のところへ行かせてくれて、なんとか持ち直すことができた。アメリカは自由の国というだけあって、俺の容姿も人種も誰も気にしなかった。他にも多国籍な子どもがいたし、それが当たり前だったのだ。
まあ、どこにだって差別は存在するのだから、運が良かっただけかもしれないが。
「俺にこの国は狭過ぎるのだ」
この全てが整った空間に、惨めな話は似合わない。そう思って、アホなことを言ってごまかした(自覚はある)。
飯田はキョトンとした顔をして、ふっと笑みを浮かべた。
「そっか。じゃあ、卒業したら海外で暮らす?美夜が好きな国で、ふたりで」
「なんでそうなるんだよ?」
「もしかして遠距離恋愛がしたいの?変わってるね」
「なんでもふたりでしようとするお前の方が変わってんだよ」
ふいと視線を逸らす。真っ直ぐで純粋な飯田の視線から逃げるように。
俺は飯田を利用している。欲求を満たすために、勘違いしていることを指摘しないまま、甘えている。
本当は、この関係が、ちょっと心地よかったりもするのだよ。
飯田にはまだ言ってやらないけどな。
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