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第29話
レストランを出て、そのまま飯田のマンションへ向かった。
満腹のお腹を摩り、満足感満載のため息を吐くと飯田がふふっと笑った。
「美夜は末っ子って感じだよな」
「実際末っ子ですが」
「甘やかし甲斐がある」
「バカにしてるだろ」
キッと睨みつけてはみるが、身長差があって虚しくなる。
それに俺が末っ子気質なのはわかってる。四人も姉がいて、何から何まで世話されて生きてきたのだ、今更そこをどうにかしようとは思わない。
ただ飯田みたいに、スマートなイケメンは憧れる。飯田だって末っ子のくせに、と思わないこともない。
「足元気を付けろよ」
「わかってるよっ、うわぁ!?」
「言ってるそばから躓いちゃって、お子ちゃまか」
「うるせぇよ」
飯田の顔を見上げていたので、足元の段差に躓いた。飯田はごく自然に手を伸ばしてきて、俺の体を支えてくれる。
こういうことが自然とできるところがもうすごい。俺なんか絶対ムリだ。
そしてそのまま腰に手を回して歩くのだ。飯田は英国紳士か何かなのだろうか?
部屋に着くと、飯田はまず風呂へ向かった。バスタブに湯を張るためだ。俺はその間、ゆったりソファに座って寛ぐ。飯田の家のソファは、このまま寝られそうなくらいフカフカだ。
適当にテレビをつけると、お笑い芸人が司会を務めるバラエティ番組が映った。二グループに分かれた芸能人たちが、クイズに答えるというよくある内容の番組だ。
なんとなくそれを眺めていると、その中に見知った顔があった。
言わずもがな、姉だ。アイドルグループに所属している三女の美波 だ。
基本的に姉たちのことに興味がないので、彼女らが一体どんな仕事をしているのか大まかにしか知らないが、美波は五人組アイドルグループのリーダーらしい。
よく見れば美波の所属するグループ全員が出演している。その中でも最年長である美波は、他の四人より随分と大人っぽい。
「美夜、お風呂沸いたよ…って、もしかしてお姉さん?」
リビングに戻ってきた飯田がテレビと俺の顔を見比べて言った。
「三女の美波」
「美優先輩もだけど、美夜たちはみんなソックリだ」
「そんなことない。性格もバラバラだ」
髪型も服の趣味も全然違うのが俺の姉たちだ。美優は可愛らしいものを好むが、美波はどちらかというと素朴なファッションをしていることが多い。煌びやかなアイドルのイメージとギャップがあるとかで、そこもまた人気のひとつではある。
それに、美波は俺たちの中で一番面倒な性格だ。
テレビの中で、新しい問題が出題される。小学生でもわかる問題だ。回答者が次々と正解を出す中、美波はまるで見当違いな答えを書いた。
それが司会のお笑い芸人にイジリ倒され、ひな壇の芸人たちが次々と突っ込む。
美波は大人っぽい顔でスッとぼけて見せる。
「……ちょっと、おバカキャラなのかな?」
隣に座った飯田をみると、控えめに苦笑いしていた。
「美波は大学の学費免除だった。四年間、成績を落としたことない」
「え!?」
俺は冷めた顔で画面を見ながら、軽くため息を吐き出した。
「計算だよ。清楚な見た目で賢そうな顔をして、おバカキャラ作ってんの」
それで人気が出ているのだから、美波にとって世の中はチョロいんだろう。実際の彼女はクールな才女だ。アイドルとして売れるために、こうやって計算で性格を偽っているだけなのだ。
姉たちにはそれぞれ才能がある。俺と違って、みんな上手く生きている。四女の愛嬌、三女の器用さがあれば、俺だってもう少し上手く人と付き合えたかもしれない。
「美夜のお姉さんたちはすごいね」
飯田はあまりテレビを見る方じゃない(のにうちよりデカいテレビがある)。だけど、美波に興味を持ったのか、食い入るように画面に見入っていた。
「ごめん、オレあんまり興味なくて、美夜のお姉さんたちのこと全然しらないけど、素直にすごいと思うよ。みんな自分の仕事をちゃんとこなして、学業も手を抜かない。憧れるよ」
「俺もあまり知らない。最近は美優としか話すことないし」
「そうなんだ?」
「うん」
忙しいのはわかっているけれど、最近は顔を合わせることも減っていて、だからちょっと寂しいと思うこともあった。
だけど、インキャで根暗な俺はこうも考えている。
姉たちに比べて、自分には何もない。
人に自慢できるような特技もない。特別秀でていることもない。容姿だって、飯田のような男らしいところもない。
子どもの頃に感じていた劣等感は、歳をとるごとに大きくなるばかりだ。
だから顔を合わせなくてホッとしているのもまた事実で。
こんな俺は、この先も何もないまま終わるんだ、と漠然と思う。
一生男のちんこしゃぶって終わるのだ。まともな恋愛もできないまま、なにも残せないまま。
「いつか美夜のお姉さんたちにも会ってみたい」
飯田がテレビに視線を向けたまま言った。画面の中では、美波がうっとりするような笑顔を浮かべ、カメラがここぞとばかりにそれをアップにする。
「ん…機会があったらな」
答えると、飯田はにっこりと笑った。徐に両腕を伸ばし、俺の腕を取って抱き寄せる。ちょうど飯田の鎖骨あたりに顔を埋める形になった。
爽やかな柑橘系の香水の匂いと、飯田の汗の匂いが入り混じっている。この匂いが、わりと好きになりつつある。
飯田が俺の頭のてっぺんにキスをして、ギュッと抱きしめる。柔らかい体温が心地いい。
ふと、俺も背中に手を回した方がいいのだろうかと考えた。
飯田はこうして、よく俺を抱きしめるけれど、未だそれに応えたことはない。そもそも付き合っていると思っているのは飯田だけだし。
でも、さ。
飯田がもし、俺の姉たちにあったなら、きっとこの温もりは離れてしまうだろう。
今までの誰もがそうだったように、きっと四人の姉の方を選ぶのだ。何も無い弟のことなんて、だれも好きにはならない。中学の頃は、俺に話しかけるヤツらはみんな、姉たちと仲良くなることが目的だった。
インキャで根暗な俺は、ただの緩衝材だった。
飯田も、そうなのかな。多分、そうなんだろうな。
だから俺は応えない。応えられない。
離れてしまった時のことを考えると堪えられないと思うくらいには、飯田のことを気に入り始めているのだから。
ああ、姉に会わせたくないなぁ。でもいつか、そんなこともあるだろうなぁ。
なんて、柄にないことを考え、だけどすぐに軽く頭を振って思考を追い出した。
「飯田、いい加減離れろ!恥ずかしいだろ!」
そう言って飯田の肩を突っぱねる。飯田は苦笑いをこぼして、しぶしぶ体を離す。
「今更かよ。もっと恥ずかしいことしてんだろ」
「それはそれ、これはこれ!恥ずかしいことは、俺が淫魔に変身したときだけにしてくれ!」
「プフッ、可愛いなぁホント」
「うるさい!ほら、はやく風呂行こうぜ!泡風呂してくれたんだろ?」
もちろん、と飯田は答え、あろうことか俺を横抱きにして立ち上がった。
「お、おおお!?やめろ!降ろせ!これはダメなヤツだ!!」
「オレにとって美夜はお姫様だよ。姫、服も脱がせましょうか?」
「自分でできる!!」
ぎゃあぎゃあと喚く俺を、飯田は笑いながら抱えて歩く。
さっきまでの鬱屈とした気分を思い出さないようにする。
浴室は甘いバニラの香りでいっぱいで、浴槽には溢れそうなくらい泡が立っていた。俺はそれですっかり良い気分で(単純なんだよ)、窮屈だけど二人で泡風呂を楽しんだ。
あがる頃には二人とも肌が真っ赤で、ゆでダコみたいだなと言って笑い合う。
……あれ?
そういや俺、なんで飯田と二人で風呂入ってんだ?
と、思いはしたけど、まあ、いっか。
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