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第32話
十分なのに、と思っていたのはどうやら俺だけだったようだ。
それを思い知ることになったのは、さらに一週間たった木曜日のことだ。
「おい、クソビッチ」
大学の正門で飯田と待ち合わせしていた。提出物がなんだかんだで、飯田が教員の研究室へ向かい、校門で待ち合わせしていたのだが。
「お前だよ!善岡!!」
まるで丸太でどつかれたみたいな衝撃が肩に走った。小柄な俺は、なんとかその衝撃に耐えて転倒を回避。
一体こんな不届なことをするなんてだれだ?と振り向いて、納得した。
「飯田の元取り巻き」
「取り巻きじゃねぇよ!!『元』のとこ強調してんじゃねぇ!!」
零士たちだった。
今日も今日とて、明るく染めた髪にピアスだらけの耳、流行りものの服装といった派手な姿だ。
相変わらず零士以外の名前は知らないが、いつもの男三人、女二人が俺を取り囲んだ。
「な、なに?」
男子には身長、女子には迫力負けしている俺は、ビクビクしながら俯き気味に問いかける。
「お前さあ、圭吾に構ってもらえるからって調子に乗ってんじゃねえよ!」
「お前のせいで圭吾がおかしくなっちまったじゃねぇか」
「あたしたちの圭吾返せよ」
なんだ、それ?
俺がいつ調子に乗ったんだ?
飯田がおかしいのなんて前からだし、むしろ俺の方が飯田のアブノーマルな部分に付き合わせられているんだぞ!
それに、飯田は俺の物ではないけれど、それを言うなら誰のものでもない。
「俺じゃなくて、そういうのは飯田に直接言えよ」
んだと!?と零士が叫び、また肩を強く押される。
「変態が口答えすんじゃねぇよ!」
「変態がいやなら話しかけるなよ……」
あまりにも幼稚な言い掛かりに、さすがの俺もうんざりした。四人もの姉に振り回されてきた俺からすれば、理不尽な言い掛かりもそれなりに我慢はできるけれど、それでも限界はある。
「あんたたちが気に入らないのは、俺の存在じゃなくて飯田に切られたことだろ。でもさ、飯田にとってあんたたちは俺より価値がなかったってことじゃん。それを俺に八つ当たりするのは間違ってる。決めたのは俺じゃなくて飯田なんだから」
ハッキリ言ってやった。ちょっとスッキリした。なんせ俺は、零士たちに襲われたことをまだ許してないもん。
「っ、この!」
「そういうとこが気に入らねぇんだよ!」
ガッと詰め寄られて襟首を掴まれる。俺は俯いたまま、ガクガクとゆさぶられるままに任せた。
非力な俺がケンカで勝てるとは思わない。相手は大人数だし体格もいい。それに比べて俺は、手のひらで弄ばれるふれあいコーナーのヒヨコみたいなものだ。
前後する首をどうにか固定して、零士を押しのけようと両腕を伸ばす。
その時、ポケットに入れていたスマホがブーブーと音を立てた。
着信だ。
零士が手を離すと同時にスマホを取り出し、相手を確認する。
「おい、この状況で呑気にスマホかよ!」
「うるさいなぁ。あ、飯田からだ」
着信画面に映った名前を口に出すと、零士がビクッと体を揺らした。
「で、出ろよ」
「言われなくても出るよ」
通話ボタンをタップする。俺はなぜか零士たちに見守られながら通話を開始する。通話越しでも、飯田の声はカッコいい。
『美夜、ごめんな。遅くなりそうだし、先に帰ってて』
「ん、わかった」
別に毎日一緒にいる必要もないので、それ自体は問題ない。むしろ帰り道にまでベタベタされなくて清々するくらいだ。
『この埋め合わせはまたするから』
「いらねー」
『気をつけてね』
また明日、と飯田は通話を切った。
切ったのはいいが、問題があるとすれば、零士たちを振り払うのが難しくなったことか。
飯田が来てくれるのなら零士たちはさっさと逃げ出しただろうけれど、助け船である飯田が来ないとなれば、きっとしつこく絡んでくる。
「圭吾、なんて?」
零士がまるでしかられた子どものように、俺の顔色を伺いながら聞いてくる。
「あんたらには関係ない」
プイっとそっぽを向いて答え、そのまま自然な流れで帰ろうとした。が、やっぱりそううまくはいかなかった。
「なんだよ、圭吾は来ないのかよ?ならちょっと付き合え」
「イヤだって!」
腕を掴まれ、強引に体を引かれる。まさかこの歳になってリンチとか、ふざけたこと考えてないだろうな?と不安になる。
「離せっ!触るな!」
「うるせぇ!」
零士が片方の腕を振り上げる。殴られる、と顔を背けたら、視線の先に本館の玄関が見えた。
飯田がいた。
「あ」
俺は思わずマヌケな声を出し、それに気を取られた零士たちも振り返る。
「圭吾…と、誰?」
「あっ!あの子、『いちごクラブ』の美波ちゃんじゃね?」
「え!?マジ?本物?」
『いちごクラブ』という、胸焼けがしそうな名前は、最近流行りの五人組アイドルグループのことだ。
そう、俺の姉美波がリーダーを務めるグループの名前である。
「圭吾がなんで美波ちゃんと一緒にいるんだ?」
「さあ…でもさ、圭吾ってあの容姿だし、色々イベントなんかも言ってたから、実は繋がってたんじゃね」
零士たちは完全に飯田に気を取られている。今が逃げるチャンスかもしれない。
のだけれど。
俺も零士たち同様、飯田に目が釘付けとなっていた。
本館の玄関から出てきた飯田は、遠目にも笑顔なのがわかった。いつもの、俺に向けるのと同じようなキラキラした笑顔で、美波と並んで歩いている。
美波の表情は、こちらに背を向けているためわからなかったが、きっとあのテレビ向けの輝く笑顔を浮かべているのだろう。
二人はそのまま本館横を歩き、俺たちがいるのとは逆の裏門の方へ向かって行く。
「飯田……」
意図していなかったけれど、二人の背中を見つめたままポツリと呟けば、零士たちが嘲笑うように言った。
「なんだ、圭吾のヤツ、いつも通りじゃん。もともとオレたちと遊び歩いているようなヤツだったんだ、最近変だったけど、なんも変わってねぇな」
「つか、お前も遊ばれてたんじゃね?どうせ圭吾のいいオモチャにされてたんだろ?だってアイツ、セックスは鬼畜だもんなぁ?」
「やっぱイケメンにはああいう美人な女がよっていくんだ、羨ましいぜ」
盛り上がる男子三人に、女子二人は面白くなさそうだった。
あと、俺も相当面白くない。
零士たちは知らない。美波が俺の姉だということを。
遅くなりそうだから先に帰ってて。飯田はさっき電話でそう言った。その理由が、美波と会うことだったんだと知って、ショックだった。
いや、別に俺たちは飯田が勝手にそう思っているだけで付き合っているわけじゃないし、俺は飯田から精液さえもらえればそれでいいと思っている。
いや、本当にそうか?
俺は飯田と姉たちが会わないようにしてきた。何度飯田に家に行きたいと言われても、姉に会わせろと言われても、全部頑なに断ってきた。
それは、飯田がもし姉に会ったら、男の俺じゃなくて女である姉たちの方を選ぶかもしれないと思ったからだ。
なぜそんなことを思っていたのかなんて、自分でもよくわからないけれど、飯田が傍にいてくれるようになって、それが嫌じゃなくて……むしろ楽しくて。
たくさん甘やかしてくれるのが嬉しくて、俺は飯田にとって特別なんだと思っていた。飯田の精液が俺にとって特別美味しいのも、なんでか嬉しかった。
それなのに、飯田はやっぱり美波のような可愛い女の子の方がいいのか。俺の姉だって知ってるはずなのに、大学で堂々と待ち合わせなんかして、二人で帰るなんて。
美波も美波だ。忙しいとか言いながら、ちゃっかり俺の飯田と会ってるなんて。わざわざ大学まで会いに来るほどなのか?
「残念だったな、善岡。お前は圭吾にとってただの遊びだよ。それにさ、お前と圭吾、全然つり合ってねぇから」
零士がさも嬉しそうに言う。その声が、どこか遠くから聞こえるようで、頭の中に鈍く響いた。
そんなこと、お前に言われるまでもなく俺が一番よくわかってる。インキャで根暗で、ダサい見た目の俺なんか飯田と並んで歩くのもおこがましいことなんて知ってる。
「わかってる…わかってるよ!お前みたいなクズ野郎に言われなくてもわかってんだよ!!」
突然叫び出した俺に、零士たちがギョッとして後ずさった。
「付き合ってるってのも、飯田が勝手にそう思ってるだけなんだからな!!」
それだけ言い切って、俺は零士たちの前から逃げ出した。
きっと一緒に住むのを断ったり、俺から飯田に恋人らしいことをしてこなかったからだ。飽きられたのだ。そうに違いない。
走りながら気付いた。気付いてしまった。
俺は、自分で思っているより、かなり飯田のことが好きだったらしい。
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