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第33話

「美夜ちゃん、おかえり!今日ははやかったね!」  ほぼ意識不明状態で家に帰り、リビングへ入ると、ちょうどマミィがダイニングテーブルに夕食を並べているところだった。  マミィはピンクの花柄のうるさいエプロン姿で、キッチンとリビングを忙しなく往復し、危なっかしく大皿に持った食事を運ぶ。マミィは小柄だけど非常に女性らしい体付きをしていて、何年もその見た目は変わらない。  テーブルでは、ダディが真剣な顔で本を読んでいた。  落ち着きなくよく喋るマミィとは真逆で、ダディは寡黙で大きな声をあげることはあまりない。  仕事をしながら家族の時間を大切にする、男らしく頼りがいのあるダディと、元美容師で引退してからはたまにお抱えの客だけと仕事して、基本的に家事に全力を、家族に愛情を注ぐマミィ。  いつまでたってもラブラブで、都合が合えばデートして、家でも外でもベタベタして。  もし、もしもだけど、俺が女だったら、飯田とこういう未来を想像したりもしただろうか?  女じゃないから、俺のことは遊びだったのだろうか?  いや、そもそも、付き合ってるって思ってるのは飯田だけなんだけどさ。  だっておかしいだろ。男が男と真剣に付き合うとか。まともじゃないし、まともな生活ができるとは思えない。想像がつかない。  飯田のことが好きなんだと自覚してしまうと、俺の思考はそんなことばかり考えるようになってしまった。  もし俺が、もっと早くに自分の気持ちに気付いていたら?  抱き寄せられた時に、俺も背中に手を回して応えていれば?  帰り道、ずっと、そんなことばかり考えて、それで、でもどうしたってもう遅いのだとなんども自己完結して。  女の子が好きで、今だって童貞はマズいよな?と考えることもある。でも、セックスは同性とだってできる。異性と付き合うことの違いって、将来が考えられるかそうじゃないかってことなんじゃないのか?  だったら俺に勝ち目はない。しかも相手は美波だ。人気アイドルグループのリーダーで、清楚な美人で、勉強もできて金も稼いでる姉だ。  飯田くらいのイケメンと並んでも、全然違和感がない。  少し前の俺なら、飯田もどうせ姉たちに近付くために俺に話しかけたんだろうと思えた。だから俺は悪くないし、飯田は最低なヤツだったんだと納得できた。  もうムリだ。  どう考えても、飯田が美波を選んだのは妥当だし、悪いのはインキャで根暗で、特別なところなんてひとつもない俺が悪かったんだ。  この二ヶ月くらい、飯田がいて楽しかった。ご飯食べて泊まるだけのデートも、飯田が気を配ってくれたから楽で、俺は素の自分でいられたと思う。  大学も、ずっとただのルーティンみたいに通っていたけれど、飯田が隣で笑ってくれるだけで全く別の時間になった気がしていた。 「美夜ちゃん?さっきから立ちっぱなしでどうしたの?ご飯食べられるよ?」  マミィの声でハッとした。リビングの入り口で立ち尽くしいたようだ。 「お熱かな?んー、無いねぇ」  額にマミィの熱い手が触れた。そんな熱い手で、人の熱がわかるのかと、幼い頃に疑問に思っていた手だ。  その手はただ熱いだけじゃなくて、柔らかくて、心地よい。小さな手だけれど、俺はマミィの優しさいっぱいの大きな手が好きなのだ。 「マミィ…俺、姉ちゃんたちみたいな人になりたかったなぁ」  美波のような器用さや、美優のような愛嬌はない。でもせめて、もっと可愛くてカッコよかったら、男でも飯田は俺に飽きなかったのかもしれない。 「どうしたの?失恋?」  マミィがいきなり図星をついた。まるでデカい槍で心臓をひとつきにされた気分だ。  外国人だからと言うと語弊があるけれど、オブラートなんてありませんよ?というストレートな物言いにさらに落ち込む。 「あっ!もしかして、美優ちゃんが言ってた子?大学でもとってもカッコよくて目立つ男の子?」  視界の隅で、ダディが読んでいた本を落とした。慌ててそれを拾い、再び本に視線を向けるも、チラチラとこちらの様子を伺っていることがわかった。 「うん。飯田って言うんだ。土日泊まりに行ってたのは、そいつんちなんだ。飯田は一人暮らしで、俺がたまにご飯作ってあげたりしてて」 「一人暮らし!?み、美夜は、その、」  ダディが声を上げた。何か言いにくそうに、口をもごもごさせて、誤魔化すようにお茶の入ったコップに口をつける。 「ヤダァ!美夜だってあたしの血が流れてるのよ?美夜は童貞卒業したの?それとも…?」 「ブフッ!!!!や、やめなさいチェルシー!仮にも男の子になんてこと聞いてやるんだ!?」 「えー?だって、精液が必要なのは事実じゃない」  ダディが吹き出したお茶をティッシュで拭く。マミィは可愛らしく小首を傾げている。  俺はマミィのこういうところが嫌いだ。  あとダディ。仮にもじゃなくて、俺は今もちゃんと男の子です。 「それで、ケンカでもしちゃった?美優ちゃんの話だと、その子とても美夜ちゃんのこと大好きなんじゃなかったかしら?」  そう、マミィの言うとおり、俺も、飯田は俺のことが本気で好きなんだと思っていた。  でも美波と会ってるんだ。俺にウソまでついて、俺が見ているかもしれない大学で待ち合わせなんかして。  なんてことは家族には言えない。 「そう、思ってたんだけど。違ったみたい」 「あら。それで、美夜ちゃんはどうして落ち込んでるの?」  どうして?そりゃあもちろん、飯田が美波の方を選んだからだ。  いや、本当は、飯田に吊り合う人間ではない自分を思い知って、自分自身に嫌気がさしたのだ。  零士たちにも言われた通り。俺なんかが飯田と吊り合っているなんて思ってなかったけれど、でも他人に言われるのは思ったよりショックだった。 「お姉ちゃんたちが、何もしないで今の仕事してると思ってる?」 「え?」  俺が答えるより先に、マミィがまた口を開いた。 「美夜は、こうなる前に自分を変えようとした?昔から美夜が容姿のことを揶揄われるのを嫌っているのはわかってるわよ。人にどう思われたって気にしないようになったのも、すごいことだと思うわ。でも、そのままでいいの?人と違うからこそ、それを武器にしようとは思わないの?」  徐にマミィが俺の伊達メガネを奪った。人と視線が合わないようにかけていたメガネだ。こんなもので亀のように全部隠せるとは思っていない。ただの気休めだったけれど、長い前髪と合わせてまるでそれが自分を守る鎧であるかのように思っていた。 「お姉ちゃんたちもね、努力してるのよ。末っ子の美夜ちゃんには見せないところで、誰よりもキレイになりたいと努力してるの」 「そうなんだ……」 「みんな最初から完璧なわけじゃないわ。個性もそれぞれだしね。美夜ちゃんはもう少し、自分を理解して変わらなければね!」  頭ひとつ分低い位置から見上げてくるマミィの目は優しかった。変な母親だけれど、五人も育てたすごい人なのだと改めて思った。 「さて!美夜ちゃん!」 「?」 「髪を切りましょう!!」 「え?」 「あたしが可愛くしてあげるね!!」 「可愛く!?カッコよくしてよ!!」  などという俺の要望など無視して、マミィは俺の手を引いて風呂場へ向かう。  ダディが「夕飯は!?」と叫んでいたけれど、残念、マミィの耳には届いていないようだった。

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