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第39話
そして迎えた土曜日。午後5時の駅前。
俺は美優と美波と待ち合わせの場所にいた。
「美夜が休日に女の子と出かけるなんて、信じらんない」
美波がツーンと澄ました顔で呟く。
「失礼だな!まあ、俺も信じらんないけど」
「でも良いことだよ?美夜、大きくなったねぇ」
「美優は何目線だよ?二歳しか歳変わんねぇくせに!」
この過保護な姉二人は、俺が出かけるのを知ると、ちょうど買い物に行く予定だったと言い出し、ここまでついてきたのである。
お陰で目立って仕方ない。きっと何人かは二人に気付いているだろうから、じゃあ俺はなんなんだ?と思われているに違いない。
「もー、いいから離れろよ!居心地が悪い!」
「可愛くなーい!いいもん、行こ、美波」
「ん。楽しんできてね」
「はいよ」
「悪い人にはついてっちゃダメだからね!」
「俺はガキじゃない!」
嵐のような二人が去っていく背中を見送り、しばらくすると優奈と沙耶がやって来た。二人ともいつもオシャレだけど、今日はまた、いつもよりメイクも完璧だった。
「お待たせ!」
「そんな待ってないよ」
と、正直に答えれば、二人はニコニコと笑みを浮かべる。
なんか、ちょっと違和感があった。よそよそしいというか、作り笑いを浮かべているような、そんな感じだ。
「どうかした?」
そう訊ねれば、二人ともピクリと頬を動かして、取り繕うように笑みを浮かべる。
「なんでもないよ。それより、はやく行こ!」
沙耶が俺の腕を取って歩き出す。目指すカラオケ店は、駅前通りを少し歩いた先にある。
何度か店の前を通ったことはあるけれど、入るのは初めてだ。
煌びやかな電飾に囲まれた看板を潜り、こじんまりしたビルの階段を登る。何軒か店が入っている雑居ビルで、カラオケ店はそこの何階だか忘れてしまったけれど、とりあえず受付へと辿り着いた。
「実はね、もう部屋とってあるんだ」
「え?」
そう言われても、部屋を借りるシステムを知らないので、どう反応していいのかわからなかった。
「それでね、実は、今日善岡くん誘ってるって学部の子たちに話したらね、参加したいって子がいて」
「結局、大部屋でみんなで飲もうってなったのね」
「……はぁ?」
ちょっと待って。話の内容がよくわからない。
つまり、どういうこと?
「先輩も何人か呼んでるらしくて、結構大人数になっちゃったの。ごめんね!」
「合コンだと思ってくれていいし、大丈夫だよ」
合コン?それの何が大丈夫なんだ?
大勢での集まりにすら慣れていないのに、合コン?
しかも飲むつもりなのか。
「帰る」
「えっ!?」
俺はくるりと背を向けて、今入ってきたばかりの自動ドア目指して足を出した。
が、それを優奈と沙耶が左右から腕を掴んで止める。
「待って待って!帰らないでよ!」
「今日、善岡くんが来るからみんな集まったんだよ?先輩も、是非会いたいって言ってて」
「俺に関係ないじゃん。その先輩のことも知らないのに」
段々意図が掴めてきた。
二人の目的が最初から大勢での飲み会だったのかはわからない。最初は純粋に誘ってくれただけだと思いたいところだけれど。
結局、今流行りの芸能人の弟だということを、ダシにされたのには変わりない。
きっとその先輩たちも、どうせ姉たちと繋がりたいから俺に興味を持ったにすぎず、そんな人達と仲良くできるほど俺は器用ではない。
そもそも姉たちのことを聞かれても答えられないし。
なんだ、結構楽しみにしていたのに。
こんな思いをするのなら、最初から断っておけばよかった。人と付き合うのは難しい。柄にもなくちょっと浮かれて、そのことを忘れていた。
「お願い、ちょっとだけでいいから!」
「顔出すだけでもいいの!だから帰らないで!」
ズーンと重く沈んだ気持ちでしばし悩んだ。せっかく声をかけてくれた二人だし、今後同じ学部でなにかと関わるかもしれない。これ以上気不味くなるのはできれば避けたい。
これっきりにしよう。今回だけ。そんで、すぐ帰れば良い。
「はぁ…じゃあ、ちょっとだけな」
そう答えると、二人はホッと胸を撫で下ろした。
――――――
ここのカラオケ店には、個室とは別にパーティールームという大部屋がひとつあった。
二十人ほどが入れる鏡ばりの大きな部屋で、天井には古めかしいミラーボールが二つくるくると回っている。
飯田の部屋にあったような大きな画面と、カラオケの機材、部屋の四隅の天井にはスピーカーが取り付けられていて、なるほどカラオケとはこういうものか、と興味津々で室内を見回していると、隣の男が上機嫌で語りかけてきた。
「美夜ちゃん、聞いてた通りお姉さんたちそっくりだな」
ソイツは金の短髪でジャラジャラとシルバーアクセをつけた軽薄そうな男だった。先輩のひとりらしいけれど、威張り散らしてそうな態度が逆に子どもっぽく、第一印象から俺の苦手な人種だと思った。
それにさっきから常にタバコを手に持っていて、酒のグラスとタバコを交互に口に運んでいる。アルコールとタバコの煙と、キツい香水の匂いに頭がクラクラしそうだ。
「そう、ですか。俺は姉ほど容姿に自信はありませんけど」
「え?十分可愛いじゃん。美夜ちゃんも芸能界入りたいとは思わない?」
「思いません。大変そうだし」
カラオケに来ていると言うのに、さっきから誰も歌を歌う素振りもなく、ただ酒を飲んでつまみを食べて、談笑するだけだった。
俺を誘った優奈と沙耶も、それぞれ別の男友達と楽しそうに話している。
すぐに帰ろうと思ってはいたが、室内に入った途端に、あれよあれよというまに奥へと引き込まれて、この先輩の隣に座らされてしまったのだ。
「オレ、実はちょっと芸能界とつながりあってさぁ。学生の頃は雑誌のモデルもやったりしたんだけど。美夜ちゃんもやってみりゃいいじゃん」
ほら見る?オレの学生んときの写真なんだけど、と先輩がスマホを差し出してくるので、見るともなしに見ながら、俺は別のことを考えていた。
どうやって帰ろう?
つか、この先輩さっきから俺の肩に腕回したままなんだけど。
あー、疲れた。
「美夜ちゃん聞いてる?」
「え、すみません」
上の空で返事を返すと、先輩はチッと舌打ちをこぼした。
「つかさぁ、美夜ちゃんも飲みなよ?ノリ悪くね?」
「俺、お酒ダメなんで」
結構です、と断る。もう何度も断っているのに、この先輩はなかなか諦めてくれない。
ノリってなんだ?とは、もはや聞けそうにもないし。
「お姉さんたちも飲まないの?」
「まあ、そうですね」
「家では何してるの?休みの日とか、一緒に出かけたりしてるの?」
次から次に繰り出される質問にもうんざりしてきた。そんなに姉のことが知りたいなら、芸能界の繋がりでもなんでも使って調べればいいじゃん。わざわざ俺に聞かなくてもいいじゃん。
つまんない。
そう思ったのだけれど、どうやら声に出してしまったらしい。
「つまんない?そっか。じゃあ帰る?」
「え、帰っていいんですか?」
先輩が残念そうな顔で肩を揺らした。
「だってつまんないんでしょ?いいよ、帰って。でも、その前にこのオレンジジュースだけ飲んで」
そう言って、先輩が俺の前に置かれたガラスのコップを顎で示す。
ワンドリンク制だからと、仕方なく頼んだものだ。アルコールに比べて種類の少ない中から、適当に選んだ。
「わかりました。これ、飲んだら帰っていいんですよね?」
先輩の顔を伺いながら再度訊ねると、先輩は仕方ないなぁと頷く。
それを確認して、俺はグラスを手に取った。
表面が結露した冷たいグラスを口につけ、一気に喉に流し込む。案外喉が渇いていたようで、氷のたくさん入ったそれは、あっというまになくなった。
「ふぅ。飲みましたよ」
「よし、じゃあいいよ、帰って。あ、でも連絡先教えて欲しいな」
「イヤです」
もう帰れるし、二度と会いたくないと思って断る。先輩はまたチッと舌打ちをこぼした。
「では、お先です」
などと他人行儀に言って、ソファから立ち上がった。
が、ガクリと膝から力が抜けて、思うように立ち上がれなかった。
「あ、え?」
なんで?と、頭では思っていても、声がちゃんと出ない。もう一度立ち上がろうとしてみるも、今度はただその場で身じろぎしただけだった。
「どうしたー?美夜ちゃん、酔っちゃった?お酒弱いんだね」
先輩がわざとらしく言う。
違う。俺はお酒なんて飲んでない。なのに体が言うことを聞いてくれない。
「大丈夫?」
近くに座っていた誰かが、心配そうな声で聞いてくる。これだけ人が集まっているのに、俺が酒を飲んでいない事に気付く人なんていなかった。
「ムリそうだな。オレ、タクシーで送ってくるわ」
「了解ー」
そんな会話が聞こえた。
ダメだ、ここで寝たらきっと大変なことになる。
わかってはいた。でも、徐々に瞼が重くなってくる。
体がふわりと中に浮かんだような気がして、閉じかけた瞼をこじ開けると、先輩が俺を抱き抱えているところだった。
チラリと目が合う。
先輩は、軽薄そうな切れ長の瞳に、悪意を浮かべてニヤリと笑っていた。
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