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第44話

 翌日、月曜日。  講義は二限からだが、だいぶ早く飯田の部屋を出た。  必要な教科書を取りに自分の家に帰るためだ。 「美夜ぁ、心配したよぉ!!」  玄関を開けると美優が飛びついてきて、俺はそれを仕方なく受け止める。心配をかけてしまったのは事実だし、探してくれたことには感謝しているからだ。 「ごめん美優。でも俺は大丈夫だから」 「そう?慰めのえっちしてもらったの?」 「ちょ、やめてよ!」 「うわぁ、図星だぁ!恥ずかしい子!!」 「ううああああっ!黙れぇえええっ!!」  キャアと悲鳴を上げ(フリだ)美優はドタドタ走ってリビングへ消えて行った。  俺は白目を剥いて倒れそうだ。  何故なら、こんなくだらないやりとりを、後ろにいる飯田に全て聴かれているのだから。 「み、美夜って、家ではそんな感じなんだなぁ……」 「もうホント、見ないで……」 「ギャップがあっていいんじゃない?…オレは、今の美夜も好きだよ」 「飯田……」  振り返ると、玄関の段差で靴を脱いだ俺と、そのままの飯田の視線がいつもより近かった。  至近距離で交わる視線。その瞬間、他のものがいっさい視界に入らなくなる。  大学ではインキャで根暗な俺を、家では口の悪い俺を、飯田は全部好きだと言ってくれる。嬉しい。胸がいっぱいで、このままキスしたらきっととても幸せだろう、なんてことを考える。  飯田も同じことを考えているのか、その薄い唇が徐々に近付いてくる。  目を閉じて味わうべきか、いやでも、ちょっとだけ飯田のキスする時のエロい顔を見ていたい。  もう少しで触れる、というころで。  後ろに人の気配を感じた。 「ヴヴンッ!!」  最近聞き馴染みのある、重い咳払い。  慌てて振り返ると、ダディがリビングのドアを少し開け、愛読書である太宰治で半分顔を隠しつつこっちを伺っていた。 「ダディ!?な、なんでいるの?」  平日は仕事のハズでは?  つか、今、まさにキスしようとしていたところをガッツリ見られてしまったわけで。 「美夜…お前もチェルシーの子だな……」 「ダディ?どういう意味?」 「……血は争えんということだ」  それだけ呟いて、ダディはリビングへと引っ込んでいく。 「は…恥ずかしいぃぃ」  と、盛大に顔を覆って呻く俺とは対照的に、飯田は苦笑いしていた。 「今のがお父さん?ごめん、ちゃんとご挨拶するべきだった」 「そういう問題じゃねぇ!!」  キ、キキキスしようとしてたとこ見られたんだぞ!?なんで飯田は平気そうな顔してるんだ!? 「お父さん、なんていうか…平凡だなぁ」 「人の父親に酷いこと言うな」  確かにうちは、マミィの血が濃い自覚はある。外国人気質なマミィと、どうして純日本人のダディが結婚までに至ったのかについて、実は聞いたことがない。  と、そんなことより。 「荷物取ってくる」  気を取り直して俺はリビングへと足を向けた。前にも言ったけれど、うちの家は個人部屋がある二階に向かうのに、一度リビングを通らなければならない。  昔、日本一の体力自慢(筋力だったかも)を競うテレビ番組があった。様々な仕掛けを前に、挑戦者が自身の能力を信じて立ち向かっていくというものだ。  俺はその挑戦者さながら、リビングのドアを緊張感いっぱいに開けた。すかさずダディと美優の居場所を確認して、目が合わないよう最善の注意を払って一目散に階段へと向かう。  よくよく考えてみると、俺は、か、かかか彼氏を家に連れてきたということになる。  彼氏ってのもなんか、アレな気がするけれど、もう自分の気持ちを誤魔化したくはない、大切な人たちを適当なことを言ってはぐらかしたくもない。  だけど、だけど!  心の準備が足りなさすぎた。いきなりダディに見つかる(しかもキスしようもしてるとこ)なんて思ってなかった。  バタバタと自分の部屋へ駆け込んで、講義の用意を済ませてリュックを持って飛び出す。  入った時と同じようにリビングを駆け抜けようとしたところに、ダイニングテーブルの上座に座っていたダディが、また重苦しい咳払いをして俺を引き止めた。 「美夜」 「な、なんでしょう?」  ダディは太宰治から目を離さず、いつもの落ち着いた声で言う。 「彼が飯田くん?」 「へ?あ、うん、そうだよ」  一体何を言われるのだろう。そうハラハラしていたのは、ソファにいる美優もきっと同じだ。俺の方をチラチラと見て、様子を伺っている。 「今度、ゆっくりできる時に連れてきなさい」 「り、了解しましたっ」  コクコクと頷いて、いってきますとリビングを出る。玄関には、飯田がニコニコ笑顔のまま待っていた。 「お待たせ」 「ん、いいよ」  靴を履いて二人で玄関を出る。  ダディがああ言ったってことは、一応飯田と付き合うのは認めてもらえたってことかな?家に連れてきてもいいってのは、つまりは飯田を受け入れてもいいってこと…だよな?  それにしても、あんなに家族に合わせたくないと思っていたのに、いざこうなると嬉しいものなんだなぁ。  好きな人が自分の家でご飯食べたり、お、俺の、部屋に、いたりなんか、して……?  うおおおおおっ  考えるのをやめるんだ俺!! 「美夜?どうした?顔が赤いけど、体調悪い?あっ!も、もしかして欲しくなった!?」  慌てて俺の顔を覗き込み、なんでかものすごく恥ずかしそうな顔をした飯田。つか、飯田の中で体調不良=精液欲しいと変換されるのはこれ如何に。 「違う!なんでもないっ!」 「そう?ならいいんだけど」  そんなことより、だ。  飯田の部屋で、俺はいつも普通に寛いで、飯田のベッドで寝て、飯田と向かい合ってご飯食べて、あまつさえ風呂まで一緒に入っているわけだけど。  それって今考えるとものすごく恥ずかしいことなんじゃないか?  などと、今更ながら思ってしまった。ちゃんと気持ちを確かめ合った今、それは逆もあり得るということだ。  つまり今後飯田が、俺のベッドで寝るという事態もあるわけだ。  ああ、恥ずかしい。  チラリと飯田を見やる。  太陽の光に浮かぶ飯田の、眩しい笑顔があった。  心臓がバクバクと早鐘を打ち、とたんに息苦しさまで感じてしまう。  あ、俺死ぬわ。幸せすぎて死ぬ。  恋は病というけれど。  突然の頻脈、めまい、呼吸困難感は、アレだ。いつかの知恵番組で見た、アナフィラキシーショックと同じだ症状だ。 ―――――― 「善岡くん!ホント、ごめんなさい!!」  二限終了後、いつもの窓際の席に座っていた俺の元に、優奈と沙耶がやって来た。二人はソワソワと落ち着きない様子で、開口一番に謝ってきた。 「この前のこと……気付いたら善岡くんいなくなってて、帰ったのかなって思ったんだけど、他の先輩たちがあの金髪の先輩のこと話してて……、一応店の中は探したんだけど、見つからなくてどうしようって思ってたら飯田くんが来てくれて」 「事情話したら探しに行ってくれたの。本当にごめんなさい」  二人は揃って深々と頭を下げる。  正直、レイプされたことには深く傷付いたけれど、その後の飯田とのアレコレで、結果的に言うと忘れてた。  単純なヤツどころかバカなのかと思われても仕方ない。でも考えてみて欲しい。俺はこの体質(と飯田)のせいで、割とセックスにも抵抗がなくなってきているし、無理矢理なんて毎度のことなのだ。  そして、俺は案外適応力があるし、あの後の飯田と気持ちが通じ合った瞬間の方が衝撃的で、頭の中が飯田のことでいっぱいで、土曜日のことなんてすっかり頭から消え去っていた。 「あー、えっと…気にしないで」 「「え!?」」  二人がどこまで知っているかはわからない。あの先輩がそんなに悪名高いのなら、不本意ではあれどお持ち帰りされたらどうなるのかは知っているだろう。  だから二人は、俺がものすごく怒っているか、はたまたものすごくショックを受けていて、罵られるとでも思っていたようだった。 「いや、なんかもう別にいいよ。あ、でももうああいう集まりには行かないからな!事前に言えよ、事前に!」 「それって……」 「まだ友達でいてくれるってこと…?」 「逆に俺と友達でいて、二人ともイヤにならない?変態とか淫乱とか言われてるけど」  そう言うと、隣の飯田がクスクスと笑い出した。 「美夜は変わってるな」 「え?なんで?」 「なんでも」  今のは悪口か?  ともかく、俺といることで二人が何か言われるのなら申し訳ない。二人に悪気があるにしろないにしろ、全ての人が善意だけで生きているわけではないのだ。俺自身、誰がなんと言おうと、男のちんこ咥えて金をもらっていたのは事実なのだから。そしてその金は、ありがたーく使った。罪悪感もなにもなく。 「善岡くん…」 「ありがとう」  優奈も沙耶も、若干涙目だ。女の子を二人も泣かせてしまった。ちょっと申し訳ない。 「別に、礼を言われるようなことはしてない。それに泣かせるつもりもない。だから笑えよ、な?」 「うん…」  女の子とまともに話した経験が少なく、だからこういう時になんて声をかけたらいいのかわからなかった。多少ぶっきらぼうなのは許して欲しい。  二人とも、ぎこちないけれど笑顔を浮かべ、再度礼を言ってから離れていった。  それを機に、俺と飯田も昼食を食べにカフェテリアへ向かう。 「そういえばさ、日曜はどこに行ってたんだよ?」  券売機の行列に並んでいる間に、気になっていたことを聞いた。 「日曜?……ああ、美夜がぐっすり寝ている間のことか」 「そ。全然帰ってこないから…本当はちょっと寂しかった」  あの時は寂しくないなんて強がったけど。  せっかく誤解が解けて、お互いの気持ちがちゃんとわかったのに、目が覚めたらいないのだから、俺の失望は察して欲しい。 「美夜に酷いことした先輩と話してきただけだよ」 「え、マジ?」  それなら俺も行きたかった。被害にあったのは俺だから、一発殴りつけてやりたいかったのに。 「マジ。ちょっと、社会的に死んでもらっただけだから、何も心配はないよ」 「……え?」  なんだって? 「もう美夜と会うことも、もしかしたらこの街で出歩くこともできないと思う。だから、心配しなくていいよ」 「ねぇ…何したの?社会的に死ぬってどういうこと?」 「美夜は知らなくていいよ」  飯田がニコリと微笑んでいる。あまりに自然な笑みは、この時に限り逆に不自然だ。 「なぁ、飯田!?何したんだよ!?」 「大丈夫。美夜は何も、心配しなくていいから、ね?」  ね?じゃねぇよ!!なんか怖いよ!?  飯田はニコニコ笑ったまま口を閉ざした。雰囲気的にこれ以上聞いてはいけないような気がして、俺は黙ることにした。  結局あの先輩がどうなったのかはわからない。飯田のことだから、もう心配ないというのは信じてもいいだろう。  が……  俺は飯田を怒らせないようにしよう、と固く心に誓ったのだった。

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