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第3章 第49話
「飯田くん、学祭のことなんだけど、ミスコン参加者はひと月前からSNSで宣伝する決まりなの。手間だとは思うけど、一日一回は何か呟いてね」
カフェテリアでの昼食時、いつものように俺と飯田がハンバーグプレートを食べていると、学祭実行委員だという四年生の女子が話しかけてきた。
「飯田ってミスコン出るの?」
その彼女が去ったあと、俺はなんとなくそれを話題にしてみた。
「ん、まあ。去年は断ったんだけど、今年は参加者が少ないらしくて、断りきれなかった」
「ふーん」
毎年男女のミスコンがメインとなるこの大学の学祭は、それなりに盛り上がる。もちろん各学部の展示物や、サークル主催のイベント、部活動の出す屋台なんかも豊富で、もともと人が集まるのは集まるのだが。
「もちろん四年生メインだから、オレなんかただの数合わせだけど」
「そんなことないだろ。ミスター候補の中でも、飯田がダントツでイケメンだ」
「アハハ、美夜がそう言ってくれるだけで嬉しいよ」
俺は別に、手放しで飯田を褒めているわけでも、彼氏だからと言うわけでもない。本当に今年の参加者の中で飯田が一番カッコいいと思っている。
まあ、誰が出るのかなんて知らんけど。
「ま、男子の方なんてそんなに注目されないだろうしなぁ」
と、飯田が苦笑いをこぼした。俺もため息混じりに頷く。
「そうだな。女子の方が確実に盛り上がる」
「美優先輩が出るんなら、正直誰も勝てないだろ」
そうなのだ。
四年生の美優は、もちろんメインでこのコンテストに出場する予定なのだ。
さらに言えば、二年前は三女の美波、さらに二年前は次女の美香、さらにさらに二年前は長女の美麗がグランプリを取っている。
出来レースなのである。
だから、今年の女子のグランプリは美優で間違いない。もう、開催一ヶ月も前から決まったようなものだ。
「美夜は、当日はどうするの?」
そう聞かれて、俺はしばし悩んだ。何の部活動もサークルもしていないし、それに学部の出し物だって、俺には何の声もかからない。なぜなら相変わらず変態だとか淫乱だとか、ウリやってるなんて噂が流れているから。
正直なところ当日は、別に来なくてもいいのだ。
「ダメ。来て」
「俺まだなんも言ってないんだけど」
「でも来なくてもいいって思っただろ?」
恐ろしい。なぜわかるのだ?
「オレもできるだけ時間作るから、一緒にまわろう?そんで、オレのこと見てて。美夜が見てくれるなら、頑張るから」
ニッと笑って見せる飯田は、ごめん、本当にカッコいい。
付き合って約半年。俺は未だに、飯田のこの輝く笑顔を直視できない。
「……わかった」
ツンとそっぽを向いて答える。飯田が薄く笑みを浮かべたのがわかった。
俺の彼氏がカッコ良すぎて、ハンバーグの味がしない。それどころか、最近は何をやっていても飯田のことが頭から離れなくて、困っているのだ。
こんなの俺らしくない。
人生初めての恋は、強烈で過激で、エロくてたまに胸がきゅっと切なくなる。
この世の全ての人類は、こんな思いを抱えて生きているのか。いや、人類だけじゃないな。猿も犬も猫も、パンダだって誰かと恋をして、だから子どもが産まれるのだ。
とか考えて、一気に気分が沈んだ。
俺は猫や犬でもできるそれが、できない。つまり子どもを産むことだ。なのに飯田は俺がいいのだと。
俺は畜生以下なのか。まあいい。それも、飯田のカッコよさの前では大したことじゃない。
そういえば動物も同性に惹かれたりするのだろうか。
なんてことが、突然気になってスマホを取り出す。
検索してみると、なんと!キリンは9割が同性愛なんだと!!あとアメリカバイソンの同性の番は、肛門に生殖器を挿れるのだとか……
おおう、マジか。俺だけじゃなかった。良かった。
「おい、なに見てんだよ気色悪いな」
急にどん、と肩口を強く押されて、俺はスマホを取り落とした。カシャンと音を立てて、スマホは飯田の足元へ滑って行く。
誰だ?と振り向けば、不機嫌な顔の零士とその取り巻きがいた。
「うるさいな。俺が何見てようが俺の勝手だろ」
何だお前らかと、ため息が溢れた。零士は、そんな俺の態度が気に入らないようで、なおも突っかかって来ようとする。
「変態がおれに口答えすんじゃねぇよ」
「変態がイヤなら話しかけてこなきゃいいのに」
「なっ、テメェ!!おれはなぁ、お前なんかどうだっていいんだよ!圭吾の心配してんだっての!!」
「じゃあどうぞ。飯田に直接言ってくれ。俺は黙っているから、ふたりでゆっくり話でもすればいい」
そう言って、食べ終わったトレーを持って席を立つ。
「美夜、待って!オレも行く!」
飯田は俺のスマホを拾ってから、同じように空になったトレーを持って立ち上がった。零士には見向きもせず、途中で追いついてきて俺のトレーを奪って返却口へ向かって行く。
振り返った俺は、零士に向かって舌を突き出して笑ってやった。
悔しそうな零士が、その場で地団駄を踏む。まるで子どもだ。かわいそーう。
そんな感じで、俺は割と飯田との時間を楽しんでいた。
なんだか毎日が楽しくて、飯田さえいてくれたら、俺はそれで満足だった。零士たちが絡んでくるのさえ、悪くないなぁなんて余裕があった。
俺はキリンでも、アメリカバイソンでもない。同性同士で一体何がしたいのかも、それこそ将来なんてなんにも考えていなかった。
この世には、どうしたって同性でも惹かれ合う存在がいる。淫魔の俺は、まさに飯田が自分の運命の相手だと確信している。
キリンも、アメリカバイソンだって、きっと運命を感じているに違いない。突き詰めて言えば、人も同じ動物なのだから。だから大丈夫。そう、本気で考えていた。
俺はアホだ。自分がキリンでもアメリカバイソンでもないことを、もっとちゃんと考えておくべきだった。人間は、明らかに他の動物と違う。もっと言えば、淫魔である俺とも、どこか違ったのかもしれない。
そう思い知ることになる、学祭までの一ヶ月を、振り返ってみようと思う。
――――――
その日帰宅すると、久しぶりに家の中が騒がしかった。
「おねぇちゃん!やめてよ!!あたしのお菓子取らないで!!」
美優が泣きそうな声で言った。美波はテレビの前のソファで、知らん顔でファッション誌をめくっている。
「いいじゃん別にぃ。また買ってきてやるからさ」
「ダメ!これ、わざわざ並んで買ってきたのに!」
「半分こしよ、な?」
と、強引にことを納めようとしているのは、次女の美香だ。善岡家特有の、というかマミィ似の整った顔立ちに、ショートカットのボーイッシュな見た目が印象的な、我が家の問題児。この姉は、善岡家切手の暴れ馬で、男である俺よりも男気に溢れている。
美香はこの数ヶ月、海外での撮影のため、日本を離れていた。だから、会うのは俺の誕生日以来だった。
「よーう、美夜!元気?」
「ただいま…たった今元気じゃなくなった」
「ええ?なんで?あたしに会えて嬉しくないの?」
「全然嬉しくない」
「どうしてよ?あんたを一番可愛がっんのあたしじゃん」
可愛がる?
それは、俺が保育園の頃、美味しいよーといって口にカエルを詰め込んだことを言っているのか?そとも、小学生の頃バレンタインの日に、トリュフチョコだと言って泥団子を口に詰め込んだことを言ってる?
はたまた、俺が風呂に入るたびに着替えの下着を隠したり、寝ている間に素っ裸に剥いたりすることを言ってるんだったらごめん、全然嬉しくない。
「ヤダァ…俺この人キライ」
正直にそう呟くと、マミィが呆れた溜息を吐いた。
「そんなこといわないで。久しぶりに美香ちゃんが帰ってきたんだから、みんな仲良くしてね?」
この家で、マミィに逆らえる人はいない。俺も美優も、渋々と頷く。
「美夜ちゃん、夕飯は?」
「飯田と食べた」
「そう?ならよかった。もう何もないから、お腹すいたって言われたどうしようかと思った」
「そんなの気にしなくていいよ。それより、マミィのおかげて飯田との食事が楽しい」
俺に包丁を持つところから丁寧に教えてくれたマミィのおかげで、飯田と美味しくご飯が食べられるのだ。感謝はしても仕切れないくらいに感じている。
「そう?よかった。美夜ちゃんは教えた甲斐があっていいわ。美優ちゃんも美波ちゃんも決まった相手はいないし、美香ちゃんなんて、うわついた話は多いけれど、いつになったら大切な人を紹介してくれるのかしら?」
マミィが態とらしくため息を吐き、美優も美波もあからさまに目を逸らした。美香だけが、素知らぬ顔でぶつぶつと文句を返す。
「あのね、マミィ。あたしまだ26だよ?決まった相手なんて作って、何か得がある?それより、若いうちにたくさんの人と遊んだ方がいいでしょ」
その中から吟味して、最終的に選べばいいでしょ、と美香は言った。
俺より六つ歳上の姉は、自由奔放で、いつだって適当に生きている。そのくせ仕事では世界的に認められつつあるのだ。
こんな自由さを、昔は羨ましくも思ったけれど、今は違う。
「美香は知らないんだよ。決まった相手は、作るんじゃなくて現れるんだ。自分がどう足掻いたって、その人からは逃げられないんだよ」
そんな言葉が、自然と飛び出してしまうくらい、俺は浮かれてた。何てったって人生初の恋人が、俺の『運命の相手』なのだ。その出会いは、きっと偶然じゃなくて必然だった。俺はそう信じている。
「あらぁ…弟がこんな浮かれポンチだったなんて、知らなかった」
「浮かれポンチってなんだよ!?」
俺の方が先に相手を見つけたからって、僻んでんじゃねえぞ!
そう思ったのだけど、美香はスンと澄ました顔で言った。
「あのね、今、あたしはモデルとしていい感じなのよ。うわついた話っていうけど、仕事関係の人と飲みに行ったりしてるだけ。この大事な時期に、熱愛とかって記事にされてみ?人生終わるわよ」
なるほど。姉はこれで、ただ遊んでいるわけじゃなくて、しっかり色々考えているんだ。
途端に俺は、自分の幼稚な発言が恥ずかしくなった。
「美波も、美優も当然気をつけるべきだけど、アンタもよ、美夜」
「俺も?」
「当然よ。人気の出てきた芸能人の家族だって、狙ってるハイエナは多いの。お気楽なアンタに言うのは酷かもしれないけど、付き合う相手は選んでね」
美香は頼んだわよ、と言って二階へと消えていった。
「大丈夫よ。今までだって、何とかなってきたんだから、ね?」
暗くなってしまった雰囲気を、マミィの優しい声が洗い流そうとした。
「そうだよー。美夜はいい子なんだから、大丈夫だよ。何かあったらあたしに言ってね」
「そうよ。美優だけで頼りなかったら、あたしもいるから」
美優と美波もいつものように優しく笑う。
「ん、ありがと。美優も美波も気をつけて」
そう言うと、ふたりとも大丈夫よと微笑んだ。
美香の言ったことは怖かった。姉たちと違って、俺は一般人だし、まさか狙われるなんて想像もしていなかった。
でも、今のところ俺にやましいことなんてない。大学でも、そもそも友達がいないのだ。すっぱ抜くところもない。
だから俺は他人事だとだと思っていた。姉は姉、俺は俺。最近、飯田が教えてくれた。
人と比べることなんてないんだよ、と。美夜は美夜だから、オレは好きになったんだよ、と。そのおかげで、少しだけど自分のコンプレックスを感じなくなってきたような気もする。
やっぱり、俺には飯田が必要だ。
何に変えても、飯田は守りたい。もちろん家族も大事だけれど、どちらか一方を選べと言われたら、きっと死ぬほど迷うだろう。
飯田は、今何してるのかな。やっぱり、一緒に住みたいなあ、と最近思っている。
端的に言って、俺は腑抜けてたのだ。
美香の心配をすぐに忘れてしまうほど、腑抜けてしまっていた。
それを今、とてと後悔している。
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