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第52話
その後、飯田は自分のマンションへ帰り、俺も自分の家に帰り着いた。
本当は飯田と一緒にいたかったけれど、それより、先に家族に事情を話した方がいいだろうと思った。
家には両親と美波、美優がいて、すでにあの写真について知っているようだった。というのも、リビングへ入るなりマミィと美優が飛びついてきたからだ。
「美夜、負けちゃダメよ!あたしは圭吾くんとのこと応援してるから!」
「家族に迷惑がかかるとか、悩まなくていいのよ。美夜ちゃんはなーんにも悪いことしてないもの」
と、矢継ぎ早に言われて、正直少しうるっとした。そうだ、二人の言う通りだ。
もし同性愛が憎むべき諸行なら、キリンもアメリカバイソンも人間に淘汰されているはずだ。気持ち悪い、ありえないと思う人間の方が多かったら、きっとこの種族はとうに絶滅危惧種となっているだろう。
なのに動物園でのうのうと草食ってんだから、やっぱり大したことじゃないんだ、と俺は考えた。
それに、俺は淫魔なのだ。他人の言葉をいちいち気にしていたら、すでに凄まじい飢えに正気をなくしている。必要なものを、好きな人から摂取して何が悪い?不特定多数の一度限りの人にもらっていた時より余程健全じゃん。
そう、俺はわかりやすく強がろうとしていた。
様々な言い訳や理由を探して、俺は大丈夫だと自分を納得させようとしていた。
「あたしは美夜のことより、美優の方が心配よ」
ダイニングテーブルで、ダディとコーヒーを飲んでいた美波が言う。
「あんた、ペラペラとなんでも話しちゃうでしょ。前に収録で美夜のこと話しそうになってたし」
「でも話さなかったもん!あたしたちに弟がいること、バレたらまずいってわかってるし!」
「本当に?明日も仕事でしょ?絶対聞かれるわよ、今回のこと」
「大丈夫!弟はいるけど、全然仲良くないですぅって言っとくから!!」
ちょっと待って。
俺、そんな扱いされてるんだ?
今まで誰も俺について触れてこなかったけれど、バレたらマズイレベルで隠されてきたことに軽くショックを受けた。
しかも割とブラコンの美優が、仲良くないですなんてウソを言うほどなのかと思うととても悲しい。
もはや、慰められているのか、沼地に沈められているのかわからない。
「もういい。俺、別に週刊誌とかどうでもいいもん。迷惑かけてごめん。でも放っといてもらって結構です」
居た堪れなくて、ぶつくさと呟いて二階の自室へと引き上げる。夕飯前だったけど、こんな気分では腹も減らない。
「美夜!ごめんね!って、美波が変なこと言うから拗ねちゃったじゃん!!」
「あたし?違うでしょ、美優の言い方が悪いの!」
階下から姦しく言い合う声が聞こえ、ダディが咳払いして諫めようとしているのがわかった。でもそれも、部屋のドアを閉めると聞こえなくなる。
ひとりになると改めて、今日のことが頭をよぎった。どう考えたって悪意のある写真だった。機織りしている鶴を、晒しあげて辱めようとしているようだ。そんなことする人間が実際にいるなんて。
そして家族に迷惑をかけてしまうことに、やっぱり胸が痛くなる。美香は怒ってるわけじゃないと言っていたけれど、本心はわからない。飯田だって、ああ言って安心させようとしてくれたけど、正直明日にならないと、どうなるかなんてわからないし。
なにより、姉たちはやっぱり、俺なんか隠しておきたいと思っていることが悲しかった。そりゃ何の取り柄もない弟だけどさ。
最悪の形で世間に知られて、それを姉たちはどんな顔で受け流すんだろう。きっと冷たい顔で、そんな弟とは仲良くありませんと言うのだ。
仕事のためだってことはわかっているつもりだけど、なんだかとても寂しかった。
――――――
翌日、大学へ向かうと、やっぱりというかヒソヒソと話す声が聞こえてきた。
俺が髪を切ったときも、こうしてヒソヒソする声は聞こえていたし、大学では俺が美優の弟であることも多少は知られている。
だから気にしない。気にすべきは、飯田の反応だろう。
……と思っていたのに、飯田は昼になっても大学へ来なかった。
仕方なくひとり、カフェテリアでハンバーグプレートを突くことになった。
飯田は、やっぱり周りの声がイヤだから来ないのかな。そりゃそうだよな。俺だって慣れているとはいえ、陰でヒソヒソされるのはイヤだ。
そして、前にはなかったことがもうひとつあった。
パシャリ
無機質な電子音に、とっさにあたりを見回す。お昼時のカフェテリアは、殆どの席が埋まっている。賑やかに話す声と、食器を鳴らす音が止むことはない。でもその音の洪水の中、明らかに誰かが写真を撮っているのがわかる。
俺に向けられたわけじゃない。ほら、誰だって友達と自撮りしたりするだろう。それも楽しい昼食時だ。別に俺を撮ったわけじゃないのに。
多少神経過敏になっている自覚はあった。ヒソヒソされているのは確実だけど、視線だけじゃなくて写真を撮られていると思ってしまう。
ああ、イヤだ。今日に限って美優も飯田もいない。ひとりでこの疑心暗鬼に耐えなければならないのは、結構ツラい。
「美夜ちゃーん」
ふうと、ため息をこぼした時だった。
呼ばれて顔を上げる。赤川たちだった。
「大変そうだなぁ」
「大丈夫?」
苦笑いしながら、いつもの先輩四人が俺のいるテーブル席に座った。四人がけのテーブルに、わざわざもう一つイスを持ってきて、俺を囲むように腰を落ち着ける。
「先輩……」
先輩たちが来たことで、俺は寂しかったんだと改めてわかった。ちょっとだけ泣きそうになる。
隣に座った錦木が、まるで子どもにするように俺の頭を撫でる。
「あー、よしよし。大丈夫だぞー」
「ちょ、ふざけるならどっか行ってください」
「割と元気じゃん」
「もっと落ち込んでるかと思ったのに」
安心した、と先輩たちは笑う。俺もつられて笑った。今日初めて笑ったかも。
「写真見たぞ。あんな堂々と路上チューはヤバいって」
「幸せーって顔は可愛かったけどな」
「相変わらず普段とのギャップスゲェなお前」
「飯田が羨ましいぜ」
てっきり慰めてくれるのかと思ったけど違った。笑い者にしに来たようだ。ちょっと嬉しかったのに。クソ。
「俺今とーっても落ち込んでるんで、悪口言いに来たなら帰ってくださいよ」
「別に悪口言いに来たわけじゃねぇよ」
「可愛い後輩が困ってるだろうと思って、助けに来たんだよ」
と、赤川がスマホを俺に差し出した。なんだろうと目を向ける。
「これ……」
「SNSって怖いよな。あんな内容の薄い週刊誌の記事より、出回るのも広まるのも早い」
先輩が盛大に溜息を吐く。
赤川のスマホには、とあるSNSの投稿画面が映っていた。写真付きのその投稿には、俺のフルネームも、学部も学年も、今ハンバーグ食べてることなんかも書かれている。やっぱり撮られていたのは気のせいじゃなかったようだ。
「今流行りの芸能人の弟ってだけで、興味持つやつはいるだろうよ。でも、そいつが同性と付き合ってるとなれば話題にもなる」
俺は唇を尖らせてムッとした顔をした。もう、そのことはイヤってほど理解した。理解すればするほど、俺は悪くないのに!と思う。
「んでしかも、美夜ちゃんは目立つからなぁ」
「はあ?俺なんか特徴的なのは髪の色くらいだ。それより飯田の方が目立つよ」
と言い返してみたのだが。
先輩たち四人は、はたと動きを止め、それぞれキョトンとした顔をした。その瞬間だけ時が止まったかと思って焦った。
「美夜ちゃん、本当にそう思ってる?」
「え?何が?」
「美夜ちゃんが周りからどんな目で見られているか、知ってる?」
「変態。淫乱。外でウリやってるヤバいヤツ。あとゲイ」
自分で言って悲しくなる。でも慣れてきているのも事実だ。
先輩たちは、一斉に溜息を吐いた。どんだけ溜息吐くんだよと思った。
「まあいいや。それより飯田は?」
気を取り直したように赤川が言う。俺は今日一番の悲しい顔をした。
「来てない……」
「マジ?」
「うん」
「こんな時に美夜ちゃんをひとりにするなんて、飯田は何考えてんのさ」
「……知らない」
実は講義中に何度かメールしてみたのだが、返信すら来ないのだ。
付き合って半年。飯田からの返信が無いなんて、初めてのことだった。俺は何度も無視したり寝落ちしたりしているのに、飯田はいつもすぐに連絡を返してくれた。
俺の体質を知っている飯田は、常にそばにいようとしてくれる。いつでも精液が出せるようにと、健康にも気を遣っていると言っていたこともある。バカなのかなんなのかよくわからないけれど、それだけ一緒にいたのに、なんで今日はいないんだよと余計に寂しいし腹が立つ。
「まあ、そんな落ち込むなよ」
「飯田もなんか事情があるんだろ、きっと」
「ほら、ハンバーグ食えよ。つかお前毎日ハンバーグ食ってね?」
「オレらが相手してやるから、な?元気出せよ」
先輩たちが優しくて、俺は素直に食事を再開した。先輩たちが来てくれたことで、ヒソヒソ声も気にならなかった。
後から、写真を撮られないように囲んでくれていたことにも気付いた。出会いは本当に最悪だったけれど、とても良い先輩たちだ。
そうやって、数日は先輩たちが俺を守ってくれたので、大学はそこまでイヤな思いはしなかった。
ただ、先輩たちが優しくしてくれる反面、俺の苛立ちはどんどん大きくなった。
それもこれも、飯田からの連絡がなかったからだ。大学にも来ない。メールも電話も返事がない。
藤浪さんの前で、かっこよく「何言われても気にしないんで!!」とかなんとか言っていたくせに。
次会ったらぶん殴ってやる!と、俺は心に決めたのだ。
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