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第55話
――――――
翌日、まだ朝日が顔を出す前のこと。
「美夜ぁ!!起きなさい!!」
と、大きな声が耳元でした。その直後、俺の上に硬いものが降って来た。
「グフェッ!?!?」
驚いて飛び起きる。昨日は泣き疲れて、夕飯も食べないまま寝てしまった。いつもより沢山寝たはずなのに、体も心も疲弊したままだ。
「なっ、なに?」
「お姉ちゃんとおでかけしましょう」
と言ったのは、次女の美香だ。美香は寝ている俺の上に大の字でダイブしたようだった。
「は?」
「いいから、たまには付き合ってよ!ね?」
「ね?、じゃなくて、なんでだよ?」
「何度も言わせんな!その失恋しましたって感じのブサイクな顔洗って来い!」
グサッ!と、ナイフで刺されたような衝撃。
確かに散々泣いたから、ひどい顔をしているだろうけれど。言わなくてもよくね?
「アンタねぇ、わかりやすいのよ。昨日帰ってきた時の顔なんて、誰が見たって一目瞭然だったっての」
「そんなに?」
「そんなに、よ!どうせしばらく大学にも行きずらいんでしょ?」
美香はさすが俺の姉だ。俺の考えなんてお見通しで、でも美波や美優と違って放っておいてはくれない。
「だったらあたしに付き合ってよ。今日から地方で撮影なの」
「撮影…?」
「今度出す写真集のね。最近海外が多かったから、久しぶりに和風テイストの写真集にするのよ。アンタヒマでしょ?手伝いに来て」
姉の命令は絶対だ。仕方ないが俺がついていくことは確定事項だ。
「わかったよ…ちょっと待ってて」
「物分かりのいい弟でよかったよ」
わからせてきたのは美香だろ、と心の中で言い返して、俺は仕方なく出かける支度をすませることにした。
「あ、アンタこの服着ていってね。それと、三泊するけど荷物は全部マネージャーが用意したから」
「三泊!?」
「写真集の写真が、一日で撮れるわけないでしょ」
と、美香に服を手渡される。オシャレに疎い俺だけど、美香が渡してくれた服は、なんだか高そうなものだった。いつもデニムにパーカーの俺にはもったいない。
色々とめちゃくちゃだ。
でも、今の俺は、何かしていないとダメになりそうだった。誘ってくれた美香に感謝するべきかもしれない。
なんて、思ったのはこの時だけだ。
撮影現場となる地方のとある旅館に着いた頃には、そんな思いなんてすぐに捨てたのだった。
――――――
「美夜ちゃん、お部屋の案内をしてください」
美香がニンマリと微笑んで言った。
低い大きな一枚板のテーブルと座椅子、花瓶には季節感のある色とりどりの花が生けてある。
入り口から真っ先に目に飛び込んでくるのは、開放的な大きな窓の向こうに広がる日本海。
隣の和室には、和室なのにキングサイズのベッドがあった。
「って、なに撮ってんの!?やめろよ!!」
美香は移動中から現在に至るまで、ずっと小型のカメラで俺や景色なんかを撮影しているのだ。
「いいでしょ、別に。可愛い弟との旅行だもん」
「はあ?可愛いって言うなよ!つか、俺が美香のこと撮った方がいいんじゃね?」
貸してとカメラを奪う。姉はムッとした顔をしたけれど、すぐに仕事の顔になった。
一瞬で、スッと空気が入れ替わるみたいに、姉である美香からモデルとして活躍する美香にかわるのだ。素直にスゴいと思う。
「ちゃんと撮れよ!」
「わかってるって」
この映像は後で編集して、写真集の付録になるのだそうだ。自撮り風映像ってやつ。
俺のお手伝いは、この映像の撮影をすることだ。
美香のウリは高身長を生かしたボーイッシュなスタイルで、長女の美麗とは反対にいつもキリッとした印象の写真集が多い。カッコいい姿は美香にピッタリだけど、今回はあえて、普段の様子を露出することでギャップを出していこうと言うことだった。
普段の美香はよく笑うけど、写真集ではあまり笑わない。そんな感じで、ギャップを出していくのに、家族である俺が撮影することでリラックスした姿が撮れるんじゃないか、という戦略だ。
しかし渡されたカメラで、美香は何故か俺のことばかり撮るので、こちらはいい迷惑だ。あとでマネージャーの家永さんに謝ろう。
「荷物置いたら外で撮影だから、美夜もついてきてね」
「はいはい」
午後からは温泉街での写真撮影の予定である。
旅館に着いたのが昼前で、部屋に荷物を置いた俺たちは、スタッフ数人とマネージャーの家永さんたちと昼食に向かった。
「美夜くん、手伝いに来てくれてありがとうね」
旅館内のレストランで、隣の席に座った女性スタッフが話しかけてきた。ゆるふわのショートボブに、きっちりとメイクをした小柄な女性だ。スタッフの中では若い方で、俺より多分二、三歳上。何かのアシスタントらしいけれど、残念ながら俺にはこの業界のことはわからない。
「いえ。どうせヒマですから」
大学へは行く気がせず、家で不貞寝でもしようと思っていた。かと言って、ひとり不貞腐れていると、飯田のことが脳裏を過ぎって泣きたくなる。
大好きだったのに、終わりは案外あっさりと訪れる。
だったらこの好きだという気持ちは、ただの思い込みだったんじゃないか、なんて気がしてしまう。風邪をひいたときに飲む風邪薬と一緒で、本当に効いてるのかよくわならないうちに、いつのまにか熱はさがるのだ。
この気持ちもきっと同じだ。いつのまにか、冷めて忘れて、次へと進むんだ。
「大学は行かなくてよかったの?」
「……行かないとダメですよね」
答えつつ、目の前の昼食を見つめる。天ぷらそばだ。美味しそうなのに、全然匂いがしない。箸をつけようとも思えなかった。
「そんなことないと思います。わ、わたしも、学生の頃は結構不真面目だったので!」
こんな話興味ないですよねと、女性は申し訳なさそうな顔をした。そういや、名前も聞いてないやと思ったけれど、なんだかどうでもいいような気もする。
俺はガキだ。自分の都合で、話しかけてれている人をどうでもいいと思っている。
「ほら、食べましょ?温かいうちが美味しいですよ」
「はい……」
きっと嫌な思いをさせてしまった。飯田もきっと、自分勝手な俺に愛想を尽かしてしまったのだ。
寂しかったから、久しぶりに会えて嬉しかった。それで、ちょっと素直になれなかった。
俺が素直じゃないことは、飯田だってわかってるはずだった。でも理解していることと、我慢の限界は別物だ。
飯田が俺のために何か頑張っているのはわかっていたし、それは素直に嬉しいけれど、俺の我慢の限界も、飯田にはわからなかった。
お互い様だ。なるべくしてなった、結果だ。
もう無理だよな。
こんなことになるなら、変なプライドや羞恥心なんて捨てて、もっと飯田に素直になればよかった。
吊り合うとか相応しいとか、何も考えずにすがっておけば、飯田はきっと俺のそばにいてくれただろう。
写真撮られたことだって知らん顔して、堂々としていたら、飯田だって無理しようとは思わなかった筈だ。
ああダメだ。考えちゃダメだ。
もう終わったんだから。これ以上涙だって出ないんだから。
無理矢理思考をシャットダウンして、俺はその後の美香の撮影を見学した。
カメラのレンズを向けられた美香は、いつもの家でのダラシない雰囲気なんか微塵もなくて、とても格好良かった。
俺にもいつか、姉たちのような自信が持てるだろうか。
誰にも恥ずかしくない自分になることができるだろうか。
そうしたら、飯田はまた俺のこと見てくれるだろうか。
なんて、そんなことあるわけないよな。見た目を変えたって、中身は何も変わらないんだから。
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