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第56話
撮影二日目。
この日は旅館内の一部屋を借りての撮影だった。
美香は浴衣姿ですでにスタンバイしていて、スタッフが撮影機材の調整をしている。そんな風景を、カメラ片手に眺める俺は完全に邪魔ものだろう。
ピリついた雰囲気に、場違いな俺は完全に萎縮していて、出来るだけ部屋の隅に寄って、俺は壁ですと気配を殺す。
「じゃあ、始めようか」
カメラマンが大きなカメラを手に言うと、またガラリと空気が変わった。
ピリついていた空気が、パシャリとシャッターを切る音で断ち切られる。美香の涼しげな表情が、部屋の空気を変えたのだ。
シャッターが切られるたびに、ひとつひとつまた違う顔をする美香は、なんというか、とてもすごかった。
家では飲みかけのカップを放置したり、鼻噛んだティッシュをそのままにしたり、寝相が果てしなく悪くて、風呂上がりはバスタオル一枚でリビングを練り歩くのに、今この場所での姉は、間違いなくプロだった。
繊細な笑顔も、張り詰めたような緊張感も、なにもかも。俺の知らない姉がそこにいる。
同じ家に住んでいて、同じように生きてきたのに、どうして俺と美香はここまで違うんだろう。
美優も、美波もきっと、俺にはないものを持っていて、それをちゃんと発揮している。
羨ましいと思った。自分がちゃんとある人は羨ましい。俺は何もない。唯一好きだった人に無理させるほど、俺には何もなかった。
だから眩しい人のそばにはいられなかった。俺が暗いから。空っぽの空洞を、わざわざ照らそうとする人なんていない。
「大丈夫ですか」
いつのまにか、隣に昨日の女性がいた。俺が物思いに沈んでいる間に、休憩を取ることになったようだ。緊張感のあった室内は、今は明るい雰囲気で談笑しているスタッフもいる。
「あの…写真、わたしも見ました……カメラ、嫌いになりました?」
ふとそんなことを言われて、そういえば撮られたことは嫌だったし、カメラを向けられることに恐怖すら覚えていた。記者もこの人たちも、人を撮って金を稼いでいるといえば同じようなものなのに、だけど今は、そんなこと気にならなかった。
むしろまったく別のものとして認識していたように思う。
ただ、カメラが苦手というよりも、そもそも俺は撮られることが苦手だ。
「嫌いっていうか…」
「美夜は撮られるのが嫌なのよね!顔に自信がないから!」
と、メイク直しをしていた美香が大きな声で言った。
「うるさいな!そりゃ美香と比べたら俺なんかクソだよ!!」
思わずいつもの調子で言い返す。
「み、美夜くん……」
現場が凍りついた。と、思う。あたりを見渡せば、みんなギョッとした顔で俺を見ているのだ。
すんませんね!モデルとして活躍している姉と比べるなんて、さぞおこがましいでしょうよ!!
あークソ!また髪伸ばそうかなぁ。そしたら前みたいに、周りの視線を気にしなくて済むかもしれない。
飯田を見返してやろうと髪型を変えたことが、もうずいぶん前のように感じる。実際半年以上前なのか。時が経つのって案外早い。
それはきっと、楽しくて眩しい日々だったからだろうか。
考え出すとまた悲しくなってきた。
「ね、美夜ってアホでしょ?」
美香が呆れた顔で言う。周りのスタッフが微妙な顔をした。
「なんとでも言えよ」
気晴らしになる、なんて思ってのこのこついてきたけれど、俺は今盛大に後悔していた。
「美夜くん…君、自分の素材の良さに気付いてないのかな?」
ん?と首を傾げる。すると、大きなカメラをもった男性のスタッフが複雑な顔をして言ったのだ。
「僕は美香ちゃんのこともうずっと撮ってるけど、美夜くんのことも撮ってみたいと思ってるよ。ほら、この前の週刊誌の写真も、撮られた場面は悪かったけどさ……良い意味で話題になってるしね」
……?
あんなのに良い意味もクソもない。こっちはキスしてるところ撮られてんだから、ただただ恥ずかしいだけなのに。
「そうだよ。君、今SNSでなんて言われてるか知ってる?」
「SNS?」
美香のメイクを直していた女性のメイクさんが、見てみてと、自分のスマホを取り出して画面を俺に向けた。
「……えぇ?」
そこには、大学で赤川先輩が見せてくれたものとは違うことが書かれていた。あの時は悪口というか、あまり知られたくないようなこと(個人情報とか)まで書かれていたのだが。
『善岡姉妹には弟がいた!』『しかも超絶美人!』『さすが善岡姉妹の弟!』『キス顔が最高に尊い!』
などなど、予想の斜め上を行くことが書いてある。
「あの…なんですか、これ……?」
「記者に撮られた写真、当然最初は悪意があるものだったんだけどね。世間はそうは受け取らなかった。君、今SNSで『キス顔天使』って呼ばれてるよ」
ところで俺は今まで、悪口はそれなりに言われてきたために、もはや言われなれているのだが。
これは新手の悪口だろうか?
「いやぁ、最近の若い子の間では、こういうのバズるっていうんだろう?スゴイね!!」
「相手もイケメンだから余計に話題になってるのよねぇ」
「今時、男同士なんて気にならないわよ。あ、あたしは色んな意味で気になるけどぉ」
などとさらに盛り上がるスタッフたち。極め付けは美香だった。
「アンタ撮られるの嫌いって言うけどさ、一定数の人間には需要があるのよ。ぶっちゃけて言うと、あたしらがアンタのこと言ってこなかったのは、バレたら確実にアンタの方が人気出るからなのよ。あたしら四人、確実に売れてからじゃないと怖かったのよね」
「俺が…?そんな、ウソだ」
ずっと自分の容姿に自信が持てずにいた。女顔であることを、大多数の人はバカにしていると思っていた。
ふとこの前の美波と美優の言葉が蘇る。俺のことなんてどうでもいいんだと悲しかった二人の言葉の真実が、今明らかになったわけだ。
美香も(言い方はアレだけど)美波も美優も、俺が自分の顔が好きじゃないことをわかっていて、誰にも言わなかったんだと気付いた。今まで家族写真がテレビに出なかったのも、きっと俺のために断っていたんだ。
「確かにね、不本意な現場を撮られて嫌な思いをしたのはわかる。あたしだってノーメイクの部屋着姿隠し撮りされたら泣く。でも、その写真を見た人がどう思うかなんてわからないじゃん。ノーメイクでもキレイって思ってくれる人がいるから、あたしはこの仕事が続けられるし、自分に自信が持てるのよ。アンタのあの写真だって、批判もあるけど何万人って人が反応してくれてる。それは、アンタに興味があるからよ。興味がある人が沢山いるってことは、それがアンタの自信にならない?」
俺の自信。そんなの、どうしたって手に入らないものだと思っていた。淫魔だとわかってから、余計に自分は底辺の人間なんだと思って、活躍する姉が羨ましくて、飯田に恋をしてからはあの眩しさが羨ましかった。
俺は飯田に、どうしたって吊り合う人間にはなれない。そんな不安を抱いていても、どこか諦めていた自分がいた。
でももし、これを機に自分に自信が持てたとしたら。
飯田のところへ、戻ることができるのだろうか。
「そういうわけで……美夜くん、私どもと仕事しませんか?」
いつのまにか、背後に立っていた家永さんが言った。
「決して話題性だけで言っているわけじゃないんです。以前から君のことは知っていましたし、いつかは声をかけようと思っていました。それに、私は売れない人にこんなこと言いません」
「仕事って…?」
「もちろん、美香のようなモデルでも、美波のようなアイドルでも、美優のような役者でも。君が一番輝けることならなんでも仕事になります」
俺が、姉のいる世界で仕事するのか。
そんなこと、まるで夢のような話だった。
夢のような話すぎて、なんて答えるのが正しいのかわからない。
「ちょっと…考えさせてください……」
そう答えた俺に、家永さんはニコリと笑顔を浮かべた。
「君の人生なんだから、じっくり考えるといいですよ。ただし、悩みすぎはダメです。悩みすぎていては、上手くいくことも上手くいかなくなります」
それはまるで、今までの、とくに飯田と付き合っていた時のことを言われているようだった。いつも悩んで、どうしたら?どうすれば?と考えていた俺にとって、ひどく痛い言葉だった。
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