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第59話
大学終わり、家永さんが校門の前まで迎えに来てくれて、俺は藤浪社長の経営する芸能事務所へと足を運んだ。
藤浪さんは、ひとことでいうとヤクザのような見た目の強面男性だ。色付きのメガネというものを、昭和のドラマ以外で実際に掛けている人を見るのは、藤浪さんが初めてだ。
そんな藤浪さんが、ニタリと片方だけ口角を上げて笑う。
「早速だけど、美夜くんにはうちでモデルをやって欲しいと考えているんだが…異論は?」
「ないです!」
俺の脳内では、ここは芸能事務所じゃなかった。ヤクザの事務所だ。社長の後ろの大きな窓はブラインドが締め切ってある。きっとそこには、藤浪金融とか描いてあるのだ。
「社長、美夜くんがとても緊張してますよ……」
俺の隣に立つ家永さんが、苦笑いしながら言う。
「お?そうなの?お菓子でも食べる?」
「け、結構です組長!」
「誰が組長じゃあワレッ!?」
「ゥヒッ!!」
以前一度会った時は、隣に飯田がいたから何も怖くなかった。それに写真のことや週刊誌のこともあってあまり記憶がない。
なので、藤浪さんの印象もそんなになかったのだけれど。
「社長…怖がらせてどうするんです?」
「ああ、ごめんね!ちょっとした冗談だよ」
何この人!?俺もう心臓が破裂しそうなんだけど!!ニッコリ笑ったところで、ヤクザの組長感は消えないよう!!
などと怯える俺のことなど気にもせず話は進んでいく。
「美夜くんがうちと契約してくれるなんて、本当に嬉しいよ。他の事務所に取られちゃったらどうしようかと思っていたんだ。もちろん他がいいなら、それを決めるのは美夜くん自身だが……どうする?」
コンクリ詰め海中遊泳か、はたまた山中でのセルフ生き埋めか、選べよと言われている気分だった。
「も、もちろん組ちょ…社長のところがいいです」
「そうかそうか!そりゃあ良かった!!家永、早速だが美夜くんに初仕事といこうじゃないか!!」
えっ、早くない?と、慌てる俺をよそに、社長と家永さんがトントンと話を進めていく。
「ちょうど今、うちのスタジオで来月発売のファッション誌の表紙撮影してるところだ。メインは美香だが、この際美夜くんも撮ろう」
「でしたら、一部内容を変更して、美夜くんのプロフィールも載せましょう。いくつかピンでの写真も入れて……」
「美香との対談形式もいつかやりたいねぇ」
「話題性はつかめますね!」
二人ともノリノリで、俺に口を挟む隙なんてなかった。
あれよあれよと連れて行かれた控室にて、髪と顔を弄られ、用意された服を着せられ、こじんまりとした撮影スタジオに押し込まれた頃には、俺の頭は真っ白だった。
美香の手伝いで知り合ったカメラマンやスタッフもいたが、緊張で何を話したかも覚えていないうちに、俺の初仕事は案外アッサリと終わったのだった。
――――――
かくして、俺は四人の姉と同じ事務所所属のモデル?になった。
いや、まだ正式にどう売り出されるのかは聞いていない。
そもそも聞いてもわからないことはプロに任せよう。
さながら俺は、ペットタレントと同じだ。頑張ったら頑張った分のオヤツ(俺の場合はお給料)が貰えるので、何も考えずに飼い主(雇用主)の言うことを聞いておこう、と。
幸にして俺は案外適応力がある。姉が多いせいで、ジッとしていることにも慣れている。幼い頃、姉のお下がりの服を、まるで着せ替え人形のようにして取っ替え引っ替えされていた時だって文句を言ったことはない。
それと同じようにして、二度目の撮影(なんの撮影かもわからない)が終わった日の夜、善岡家はなんと十年ぶりくらいの外食に出かけたのだ。
いよいよ迫った学祭の前日のことだった。
「このワインおいしい!」
マミィが嬉しそうに、グラスに注がれた深紅の液体を喉に流し込む。
「マミィ、あんまり飲まないでよ?収集がつかなくなったら、困るのはダディなんだから!」
美優がムスッとした顔でマミィを睨む。ダディが恥ずかしそうに顔を赤くして咳払いした。
「大丈夫よ、少しなら!昔からあんまり影響が出ないタイプなの」
ワイン一本くらいなら豹変したりしないわ、とマミィが自信満々に言う。なるほど、淫魔にも色々いるようだ。
「美麗ちゃんも美香も強い方よね、そういえば。あ、美夜はとんでもなく弱いらしいよ!ね、美夜?」
美優がニッコリ笑顔で余計なことを言った。
思い出されるのは、初めて飯田の家に行った時、美味しいシャンパンを飲んで記憶を飛ばした、アレだ。
後日飯田のスマホに保存されていた自分の痴態を見て、もう二度と酒は飲まないと決めた、アレだ。
「真っ赤になってどうした?もしかして飯田くんと…?」
「うるさいッ!!」
気付いた美香が茶化すように言う。ダディがまた、重々しい咳払いをした。
「それにしても、よくモデルなんて引き受けたわね。美夜はそういうの嫌いだったでしょう?」
この日の外食は、俺のデビュー祝いという名目だった。完全個室の高級イタリアンを、ダディが予約してくれたのだ。
姉たちの仕事が忙しいことや、色々な事情を考慮して、うちはあまり外で食事をしない。それも今思えば、人目を気にする俺のために家族が気を遣ってくれていたのだろう。
美麗の質問も、そんな俺の性格をよく知っているためだ。
「嫌い…だったんだけど、さ。今までずっと自分に自信がなくて、姉ちゃんたちと勝手に比べて、落ち込んでた自分が嫌になったんだ。こんな自分と一緒にいてくれる人たちにも、きっと嫌な思いをさせていた」
飯田は言った。俺がいつも自信ないから、自分まで否定されている気分になると。
その通りだと思う。
飯田は俺を選んでくれたのに、俺自信が自分に否定的で、きっとそれは飯田のことも否定していることになる。
ずっと天秤の両サイドに俺と飯田は別々にいるのだと思っていた。でも違う。
飯田は天秤の右側には俺への気持ちを、左側には自信を乗せていたのだ。そして俺は、右に飯田への気持ちだけを乗せて満足していた。これでは吊り合うはずが無い。
俺も左側にも同じものを乗せないとダメなのだ。
「俺はみんなみたいに、自分を認めてあげないといけない。そのために、頑張ってみようと思ったんだよ」
二十歳も過ぎてやっと、自分と向き合えている気がする。そんでもって、顔を上げて見えた世界は、思ったより優しかった。
家族も大学の友達や先輩も、拾ってくれた事務所の人たちも、なにより飯田も、みんな優しい。その人たちのために頑張るのだ。
「美夜……」
気付けば姉たちも、マミィもダディも微笑んでいた。中でも美優の大きな瞳は、ウルウルと涙の膜が張っている。
「もう、そんなに感極まらなくたっていいだろ!」
「それもそうね。よくよく考えてみると、今更気付いたのって感じだし」
「肝心の飯田くんにはフラれてるしね」
と、美波と美香がひどいことを言った。マミィにはデリカシーが無いけれど、この二人にはオブラートが無いのだ。俺の心の傷を無遠慮に抉ってくる。
「じゃあ改めて、失恋の慰安と今後の活躍を期待して乾杯しましょうよ」
長女の美麗が落ち着いた声で言い、俺たちはグラスを掲げた。アルコールではないことが残念だが、それでも俺たちは概ね楽しく食事を済ませた。
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