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第61話
「美夜ちゃーん、聞いてよぉ」
いつのまにか隣に錦木がいた。
部活棟横の自販機を背に、呆然と立ち尽くしていた俺を目敏く見つけたようだ。
「赤川たちがさぁ、ナンパ成功したとか言ってどっかいっちまった!!」
「先輩は?」
「っ、今日は運が悪かったんだ」
やれやれ、と、錦木は自販機でコーヒーを買ってベンチに座った。
この人達は学祭でもいつもの調子のようだ。そんでもって、錦木が不憫なのもいつも通りだ。
「美夜ちゃんはこんなとこで何してんの?」
「俺は…」
と、先程の出来事を話した。
「正直、飯田が来てくれなかったら圧迫死するところでした」
「そりゃあスゲェな…おれも一度でいいからものすごい数の女子に圧迫されてぇ」
「笑い事じゃなかったんですって!」
遠い目をした錦木を睨み付ける。出来るものなら代わってくれとすら思った。
「いやぁでもよぉ…美夜ちゃんめちゃくちゃ可愛いからさ、人気が出るだろうなぁとは思う。後輩ちゃんが有名になるのは嬉しいけど、ちょっと寂しいな」
「寂しい?なんでですか?」
錦木は缶コーヒーに目を落として、うーんと唸った。
「だってさ、美夜ちゃんの大きな瞳も、小さくてピンクの唇も、透き通った白い肌も、手の届くところにあったものが遠くに行ってしまう気がするだろ。まあ、おれのものじゃないんだけどさ。こうして気軽に話ができることが奇跡みたいになるんだぜ?」
言われてみれば、俺自身そんな思いをしたことがあった。
長女の美麗が晴れてモデルデビューした時のことだ。
八歳離れた美麗は、俺が五歳の時に仕事を始めた。中学生ながら神童なんてもてはやされるくらいには、美麗は大人びていて綺麗だった。
俺はそんな姉が誇らしくて、保育園のみんなに自慢していたのだ。でも、美麗が忙しくなってなかなか遊んでもらえなくなった。
当時、ちゃらんぽらんな美香、反応の薄い美波、なんでも世話を焼きたがる美優より、優しくて綺麗で落ち着いていた美麗が大好きだった俺は、急に構ってもらえなくなって泣いたのだ。
俺のお姉ちゃんじゃなくなった。そう思ったのをハッキリと覚えている。
それを踏まえて、さっき飯田が言った言葉を振り返る。アイツはなんであんなに必死だったのか、今ならわかる気がする。
つまり、お互いにお互いの事が大切過ぎて、嫉妬していたのだ。
俺は自分のような根暗な人間が、太陽みたいな飯田と一緒にいられる事が不思議で、飯田に関わるその他大勢の人に嫉妬していた。
飯田は俺が周りと交流を持つ事自体に嫉妬していた。
それで焦った。焦って、チグハグな方向へと努力し始めたんだ。自分に自信がないから、離れてしまうかもしれないと。
「先輩、俺わかった。思ってるは事全部言わないと伝わらないんだ」
「ん?そりゃそうだろ。頭ん中全部覗き見できたら苦労しない……ところで美夜ちゃん、今からヒマ?おれだけ置いてけぼりくらったしさ、ヒマなら相手してくんね?」
今なら飯田の気持ちがわかる。飯田だって不安だったんだ。だから頑張っていた。何をか知らないけれど、それを言うなら俺だって飯田に思っていることを何も言っていなかった。
「美夜ちゃん?聞いてる?」
好きだからこそ、わかってくれるだろうと思い込んでいた。人間はそんなに簡単な生き物じゃ無い。俺は淫魔なのだから尚更だ。わかり合うには対話が必須なのだ。
「なあ、美夜ちゃん?あんまり無視するとここで犯すぜ?」
「先輩、俺、そういうことは飯田とだけします。いくら必要だからって、手当たり次第は良くないと思うんです。先輩は良い人だと思います。チンコは小さいですけど、赤川先輩たちより思いやりがあります」
「はあ!?」
「ありがと、先輩!」
あっ、ちょっと待って!という錦木を放り出して、俺は駆け出した。
もうすぐ飯田の出場するミスコンが始まる。場所は確か、正門に設置された特設ステージだ。
走っていると何人かに声をかけられそうになったが、心の中でごめんなさいと謝ってやり過ごす。
何より今は、飯田の気持ちを聞かないと。
ステージが見えてきた。ちょうど男子の出場者がステージに並んだところだ。飯田もいる。出場者が何をするのかは知らないけれど、いつも自信に溢れた飯田の笑顔は、やっぱり誰よりも輝いて見えた。
――――――
ミスコンは、出場者が一人ずつ自己PRを行い、最後に投票によって優勝者が選ばれることになっている。
自己PRは、自身の特技を披露する人がほとんどで、ネタに走る人、真剣な人など様々だった。
くじで決められた飯田の出番は最後から二番目で、飯田がステージに立った時、なんでか俺がドキドキしてしまった。当人である飯田の表情には、微塵も緊張の色は無い。
『それでは、国際学部二年、飯田圭吾くんどうぞ』
司会進行の学生が言う。どこかから、「圭吾ー!」と冷やかすような声援が飛ぶ。きっと同じクラスの誰かだろう。相変わらず飯田は人気者のようだ。
「飯田圭吾です。オレには自慢できる特技がないんで、今日は宣伝に来ました」
飯田が照れ臭そうな笑みを浮かべて話し出す。よく通る声が、人垣の後ろでコソコソしている俺にもハッキリ聞こえる。
「オレの実家は、まあそれなりにデカい会社やってんですけど」
「十分自慢じゃねぇか」と、また誰かが冷やかしを入れる。会場がクスクスと笑いに包まれ、飯田もニッコリと笑った。
「最近、新しい事業を始めたんです。海外からジュエリーを買い付けて、デザイナーを雇って、日本で売るっていう、普通の商売なんですけど。オレたちみたいな学生でも、特別な人にあげられるように良いものを安価で、というのをコンセプトにしてます」
ステージから遠く離れているはずなのに、目が合った気がした。
いや、勘違いじゃ無い。飯田は、この人混みの中俺を見つけてくれたようだ。
偶然かもしれない。だけど、それだけで心臓が飛び出しそうなくらい高鳴る。
「そのブランドの社長を任されることになったんで、今日は宣伝したいと思います」
なるほど、最近忙しそうにしていたのは、会社のことがあったからだ。大学生にしてジュエリーブランドの社長なんて、想像するだけで大変だ。
知らなかったとは言え、身勝手に怒ったりした自分が死ぬほど恥ずかしい。
「美夜」
俯いて唇を噛み締めた。そんで、自分が呼ばれていることに気付くのに遅れた。
「美夜、今までひとりにしてごめん。オレはこれが美夜にできることのひとつだと思ったんだ。オレたちのことを面白おかしく世間に知らしめようとしている人は、残念だけど沢山いる。美夜がその人たちの言葉に傷付いているのも知ってる。だから、せめてオレたちは実績を残しているぞって、胸を張れるようにしたかったんだ」
会場がシーンと静まり返った。
SNSで有る事無い事書いているのは、一般人だけじゃなくてこの大学の学生にもいる。飯田の言葉が、そんな人たちを黙らせたのだ。
「あんなケンカしちゃったけどさ、オレは美夜のことを愛している。今は、この気持ちを正直に真っ直ぐに伝える事しかできないけど……美夜、こんなオレとやり直してくれるのな、どうかこれを受け取って欲しい」
飯田がステージの真ん中で片膝をついた。そんで、ポケットから小さな箱を取り出す。
俺はどうするべきなのか、とても悩んだ。こんな時にも二の足を踏んでしまう自分の不甲斐なさが心底嫌いだ。
「美夜ちゃん、行ってやりなよ」
「そうだぞ!男のプライドかけた言葉だぜ?応えてやんないと」
ほら、と背中を押すのは、いつのまにか後ろにいた先輩たちだ。
ステージにいる飯田は、真っ直ぐこっちを見たままだ。緊張しているようだ。それがわかるほど、飯田の表情は硬い。
俺は決めた。飯田がちゃんと言葉にしてくれたのだから、先輩たちの言う通り俺も応えなければならない。
もはやミスコンだとか、どうでもよかった。今俺の視界には、飯田しか見えていなかった。
そんでそのまま、人垣を押しのけるように、俺は真っ直ぐ駆け出した。
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