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第2話
土曜日。
駅前の噴水の前に立っている冬弥が見慣れないモッズコートを着ていてかわいかった。指摘すると照れくさそうに、下ろしたばかりの新品だと教えてくれるのがかわいい。オシャレに疎い彼が今日のデートのために考えて服を選んでくれたのかなと思うと、かわいくて涙が出そうになる――多分たまたまだろうけど。
流行りの映画をやっているのでいつにも増して人が多い、自分たちもそれを見にきたミーハーであることには変わりないのだけれど。いや、ミーハーなのは紅蓮だけだ。日本全土で旋風を巻き起こしている某アニメ映画はオタク趣味のある冬弥はアニメも原作もチェック済みである。
「初見でも楽しめるって言ってる人多かったから大丈夫だと思うけどな」
「キャラの名前だけは予習してきた」
実際冬弥と映画館デートする口実になってくれれば内容はどうでもよかった。
ポップコーンを買う。塩味とキャラメル味が半分ずつ入ったやつ、あとはコーラ、冬弥はスプライト。座席に着くとすぐに予告編がはじまった。早速ポップコーンをつまみながら、それとなく隣の様子を窺う。
暗闇の中でスクリーンの照り返す光にかわるがわる照らされる冬弥の横顔。なめらかな鼻筋、すっきりとした耳朶、きらきらと光を弾く瞳、ひらき、ポップコーンを受け入れて閉じる、薄く整ったくちびるのかたち。
かわいいが、もはや芸術品のように美しかった。
好きだな。予告編にも既に集中して見入っている冬弥へ見入りながら紅蓮はしみじみと思う。好きだし、触りたい。映画館デートというシチュエーションだ。上映中にそれとなく手を繋いでみるのはどうだろう。けれどラブロマンスならともかく、バリバリの少年誌のバトルアニメだというから流石に場違いか。そもそも冬弥の方は映画を見たくて楽しみにしていたのだし、楽しみの邪魔をしては悪い。
映画に集中しようと気を切り替えて、ポップコーンに手を伸ばした。
キャラメル味に伸びた手が、その手前であたたかいものにぶつかった。
塩味に伸びていた冬弥の手だった。
声が、出そうになった。
ポップコーンが種から弾けるような勢いで手が引っ込む。あたたかくて滑らかでややコツンとした感触がした、触れたのは指先か関節のあたりだろうか。塩味の上で冬弥の右手が固まっていた。紅蓮はぎこぎこと顔を向けた。
スクリーンのきらきらを湛えた目と、目が合い。
ふにゃ、と彼は控えめにはにかみ。
やばい。なんでもないような素振りをしてスクリーンへ顔を戻す。やばい。やばい。映画館だって真っ暗じゃない、真っ赤だったりニヤけていたりしたらすぐにバレるだろう。スマホをしまうフリをして頭を下げつつ、勝手に緩んでいく唇を噛み締める。
(……俺、いよいよ頭おかしくなったかも)
これだけのことで。心臓が、破けたかと思った。
映画は始まってもいないのに、胸のドキドキが止まらない。
*
映画は信じられないくらい良かった。
「泣きすぎだろ」
「れんごぐざあん……」
持ち合わせてなくて借りたハンカチがそろそろ絞れるんじゃないかと思う(ハンカチをちゃんと持ち歩いている几帳面さがまた愛おしい)。モール内のマクドナルドで注文したビッグマックとLポテトをつまみつつ、映画の感想をひとしきり語り合った。あまり興味のなかった自分の方が熱を上げているようで恥ずかしいが、そういえば原作を読んでいる冬弥はこの展開を知っていたわけだ。感情の捌け口になってウンウンと同意してくれる冬弥は、趣味を共有できて嬉しいと言った。ひとつ、二人の間を繋ぐ共通項が増えたのだと考えると確かに嬉しいし、もっとたくさんのもので繋ぎあっていきたいなとも思う――例えば、手、とか。
「冬弥だって泣いてたろ」
「ちょっとだけだよ。君ほどじゃない」
「別にいいだろ泣いたって」
からかわれているようで若干ムキになって返すと、冬弥は笑って頷いた。
「君のそういう人情味あるとこ好きだよ」
――好きだよ。
ぶわあと顔面に熱が溜まっていくのが分かる。気の利いた返しも「俺もだよ」なんて恋人っぽいことを言う発想すらなく、適当な愛想笑いで受け流し、そのまま不自然に黙り込んでしまった。
ビッグマックをもくもくと咀嚼しながら、ぐるぐると思考がまわる。
冬弥は恋人になる前からこんなことを言う奴だっただろうか。その好きは、どっちの好きだろう。これではまるで片思いの詮索だ。せっかく恋人になったのに、いつまでも片思い気分が抜けないのだ。……というか、恋人として見られている、自信がない。
そう、紅蓮は自信がないのだった。
「このあとどうする?」
好きと言ったことにも、紅蓮が愛想笑いで流したことにもあまり動じる素振りのない冬弥(元から顔に出るタイプじゃない)が訊いてくる。彷徨いかけていた気持ちを紅蓮も慌てて切り替えた。
「ゲーセンとか?」
この映画館からのゲームセンターは、高校の頃からの定番コースだ。
「いいけど、なんか代わり映えしないな」冬弥はまたポテトを摘む。
「代わり映えって?」
「うん。デート感がない」
ポテトを食み、それをしげしげと眺め、昼飯がマックって言うのもいまいちデート感ないよな、と続ける。
デート感など微塵も感じさせなかった相手からの突然の砲撃に、紅蓮は完全に面食らった。
「デート感が、ない……」
「……ん、まあ」
フライドポテトに向いていた双眸が、ついとこちらを向く。
静かで賢そうでかわいくて大好きな瞳が、紅蓮を映して、困ったように小さく笑んだ。
「僕は楽だから、いいけどさ」
「……!」
背筋の伸びる思いがした。
そうだ。十年以上友人同士だった仲だ、付き合ったからといって関係性を変えるより元のままでいるほうが楽なのには決まっている。何もしなければ人間楽な方に流されて、ずるずるといつまでもこの距離感のままだ。いや、冬弥が紅蓮といて楽だと思うならその方がいいに決まっているのだけど――だけど、でも――俺がリードしなければ!
「水族館に行こう!」
身を乗り出して叫ぶ。気合いが入ったあまり思わぬ大声が出て若干恥ずかしかった。
「今からか? どこの?」
冬弥は呆れ笑いをする。
「どこの?」
「うん」
「……水族館ってどこにあるんだ……?」
「じゃ、それを今日調べて、次に遊ぶときは水族館にしよう」
「うん!」
水族館! デートっぽい。きっと雰囲気が出て手を繋げるだろう、ロマンティックにライトアップされたクラゲ水槽の前で手を繋いでいる二人の姿が目に浮かぶ……目に浮かんで、また恥ずかしさで踊りだしたくなってきた。紅蓮が湯気をあげている間に、冬弥はスマホにすいすいと指を走らせる。
「なら、今日はドライブっていうのは?」
「ドライブ?」
紅蓮は車を持っているが今日は電車で来ているし、冬弥にドライブ趣味があるという話も聞いたことがない。
「いいけど、どこに?」
「夜景を見にいくんだ。デートっぽいだろ」
「!!」
また身を乗り出した自分の目にキラキラのエフェクトが入っているだろう自覚があった。
「行こう! デートっぽい!」
「車出してくれるか?」
「出す出す、でも家だぞ」
「じゃあ、食ったら紅蓮ちに行こう。水族館調べつつダラダラして、夕方になったら出発」
「よし!」
四回目のデートは実り多いデートになりそうだ! ――二つ目のビッグマックを急いで頬張る紅蓮は、結局自分がリードされていることに全く気付かない。うまいうまいと言いながら流し込むように平らげていく年上の大きな恋人を、冬弥は頬杖をついてのんびりと眺めていた。
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