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第35話
依冬と警察署に来ている。
支配人が告訴してるオレのレイプ事件の取り調べを受けるためにだ。
依冬の連れてきた弁護士がオレと一緒に聴取室に入った。
「シロくん!」
あ、このおっさん…田中刑事だ。
「オレこの人やだ」
椅子に座りながら笑って言った。
「今日は物々しい雰囲気の人も一緒だね…」
弁護士を見ながら話す田中刑事は手にペンを持ってプラプラと動かしている。
「被害届、告訴状見たよ。なんで君はいつも酷い目に合うのかね…」
「こっちが聞きたいよ。」
「被疑者の2人は示談を申し込んできてるみたいだけど、支配人さんから何か聞いてる?」
「いや何も聞いてない。」
「今日おじちゃんと遊びに行く?」
「やだ」
「依冬君が被疑者を暴行したの目撃した?」
「いや…脳震盪を起こしていたから、車から降りたらブラックアウトして記憶にない。」
「傷治った?」
オレの頭の傷を探るように髪を分けてくる。
「ここだよ。」
オレは髪を分けて見せてやった。
「あー、ハゲなくて良かったね!」
うっせ、じじい!
「シロくんそろそろピンクの髪から変える気はあるのかね?私は君には白が1番似合うと思うけど?私の頭とお揃いになるし、どうだね?」
「考えとくよ…」
身を少し乗り出してオレの顔を伺いながら田中刑事が話してきた。
「これは別件だけど、戸籍は取った?」
「まだ…」
「早く取りなさい。一緒に行ってあげるから」
「自分で出来るから…」
オレがそう言うと、田中刑事がしびれを切らしたように、もうっ!と言う。
そして顔を近づけて小さな声で言ってきた。
「俺が言ったらすぐだから…ね?」
「本件と関係のない話はご遠慮してもよろしいですか?」
弁護士が間に入って話を止めた。
戸籍か…言われてたけどまだ何もしてなかった。
だって面倒で…おっさんと行ってすぐなら一緒に行こうかな…後で桜二に聞いてみよう。
オレの聴取はあっという間に終わって部屋から出ることが出来た。
「ねぇ、田中刑事と一緒に行ったらすぐ終わるの?面倒な事ないの?」
オレは田中刑事の足を止めて話を聞いた。
「すぐ終わるよ?今から行く?」
桜二に聞いてからの方が良い…
「連絡しても良い?」
「良いよ。」
オレは田中刑事の携帯番号をもらってポケットに入れた。
依冬の聴取が終わるのを廊下の椅子に座って待ってる。
警察官が出たり入ったりしていて慌ただしい。
オレの様子を田中刑事が見に来た。
手に束になった資料を抱えている。
オレは田中刑事の方を向いて足を揺らしながら聞いた。
「依冬の、なんでこんなに時間がかかるんだろう…」
田中刑事は黙って隣に座って聴取室のドアを見ている。
言えないのか…そうだよな。
「田中刑事は警察の中で偉い人なの?」
オレは話題を変えて話しかけた。時間もかかりそうだし、暇つぶしに話し相手になってもらう。
「私?私は安月給の平社員だよ。こんな歳になっても座り心地の良い椅子に座ったことのない現場の刑事だよ…」
そう言いながら自分の膝に肘を乗せて手を組み前屈みになってオレを見た。
「何歳なの?」
「52ちゃい」
「なんで離婚したの?」
「子供が病気で大変な時に仕事に逃げたから」
「お子さんは?」
「今?元気にお父さんしてるよ。」
ふぅん…
オレは一通り話を聞くと単刀直入に聞いた。
「田中刑事ってオレの事、凄い気にかけるのなんで?」
唐突のオレの質問に驚く表情も見せずにおどける様に聞き返してくる。
「なんでだと思う?」
「さぁ…昔オレが相手した売春客とか?」
オレが毒を吐くと空気が淀んで停滞した。
なんだこの間…
まるで何かの事情を知っているかのような間…
「なんの話かな?」
わざとらしくはぐらかす…この人、何か腹の奥にありそうだ。
オレは田中刑事の足元に視線を当てて聞いてみた。
「じゃあさ…この前の湊の時、見逃してくれたのなんで?」
オレの直球の質問にしばらくこちらを見て考える様に唸っていたが、まるで何かを覚悟したようにオレの方に体を向きなおすと真剣な目で語り始めた。
「お前を追い詰めるなんて、俺には出来なかった…」
田中刑事はそう言うと目の前の壁を見つめながら話し始めた。
「あれは何年前かな…俺がまだ名古屋に住んでた頃、児童虐待の通報を受けてある団地に行ったんだよ。現場に着いた頃には男2人と母親がしょっ引かれた後でね、甲斐甲斐しく弟たちの面倒を見てる17かそこらの兄ちゃんとまだちっさい男の子が2人いてね、異様な状況に1人はよく泣くんだけど、もう1人が全く泣かないんだよ。」
あぁ……
まじかよ…
「で、兄ちゃんに、この子どうしたの?って聞いたら泣き出しちゃってさ…話を聞いて俺は許せなかったね。でも当時は警察も家庭裁判所も児童相談所も、結局母親のもとに返しちまうんだよ。男児ってだけで性的虐待も軽視されてたのかな…聞くとその家庭はしょっちゅう児童虐待で指導を受けてる署内では有名な家だった。」
オレの方を見て涙ぐむ田中刑事にどんな顔をすれば良いのか分からなくて固まる。
オレの頭を撫でながら涙を落として言った。
「あん時もそんな顔してたな…兄ちゃんの事も聞いたよ。あの子も相当病んでた…。母親と良心の板挟みになってて半分壊れてた。可哀想にな…許してやってな…苦しんでたんだ…」
この人…オレの過去を知ってる…
腹の底が冷たくなるのを感じて体が固まる。
芯から震えるように時々体がブルッと震える。
オレはやっとの思いで一言、口から吐き出した。
「いつ…オレがその時の子だって分かったの…」
田中刑事はオレから視線を逸らして壁を見ながら言った。
「初めて病院で会った時、お前が依冬君の腰を掠めるように触った手つき。あの手つき…あの時俺に助けを求めて泣く兄ちゃんの腰に同じようにして、近くの縁石に腰掛けたお前を思い出した。」
体が勝手に動いてオレは田中刑事に掴みかかると襟を持って激しく揺すぶった。
「なんでっ!じゃあ何でっ!オレの芝居に最後まで付き合ったんだよっ!湊の自殺に関わってた桜二を…何で…何であの時、捕まえなかったんだよ!」
涙が落ちてきて相手の表情が分からない…この状況も分からない…どうしたら良いのか分からない…オレの過去を知ってるばかりか…
この男は、オレの知らない…覚えていない兄ちゃんを知ってる……
「出来るわけねぇよ…あん時のあの子が必死に守ろうとしてるものを…取り上げるなんて…俺には…!」
オレは宙を見ながらまた田中刑事の隣に座った。
記憶がまだらでよく覚えていない…そんな事あった事すら忘れてる。
兄ちゃんが…泣いて助けを求めたんだ…
17歳?
まだ子供だ…可哀想だ…
でも、オレはそんな事覚えていない…
「にいちゃんは…病んでなんか無いよ…いつもオレに優しく…してくれた…」
田中刑事のジャケットの裾を摘んでオレは途切れ途切れに小さく言った。
オレの様子を見ながら田中刑事が話す。
「お前が中学生くらいの頃…母親と同じようにお前を使って…」
「嘘だっ!嘘だっ!嘘つくなっ!!」
オレは田中刑事を叩いて大声で叫んだ。
依冬の聴取室から人が出てきてオレを止めようとするのを田中刑事が制する。
後ろから依冬が出てきてオレを田中刑事から引き離す。
「お前…何したんだよ…」
威嚇するような低い声で今にも飛びかかりそうな依冬。
今ここで暴れたら本当に公務執行妨害で捕まるぞ…
「依冬…大丈夫だから…何もするな…」
オレは依冬にそう言って聴取室に戻るように言った。
オレの顔を確認するように見て頬を撫でる。
大丈夫だから、と重ねて言って心配顔のあいつを聴取室に戻した。
不思議と兄ちゃんの発作は起こらない。
それよりも、知りたかった。
オレが忘れてる、覚えていない…兄ちゃんの事が知りたかった。
オレは田中刑事を見下ろして聞いた。
「その話…詳しく教えてよ…」
田中刑事は手元の資料をオレに渡した。
「これに全部書いてあるから…大事な人と見なさい。1人では見ない方が良い…約束してね。落ち着いたら戸籍を撮りに行こう。俺とお前の兄ちゃんとの約束だからな…」
オレは受け取った資料の紙質さえ感じられず、目を落とす事も怖くて宙を見ながら椅子に座った。
約束だよ、と言って田中刑事がオレの隣から立ち上がり廊下の奥へ歩いて消えた。 兄ちゃんが17歳の時…オレは7歳だ。小学校に上がった後か…年齢的にはそれくらいの時期だ。
覚えてない…何も覚えてない…
依冬が聴取室から出てきてオレに近づいてきて心配そうに聞く。
「シロ、さっき何を言われたの?」
オレは手に乗った資料を掲げて見せた。
「依冬…これ、渡された。オレの事書いてある…資料だって。すぐ桜二のとこに行きたい…一緒にきて…お前も。」
息が浅くなって胸が激しく揺れる。
やっぱり襲ってきた発作に備えて依冬がオレを抱きしめて呼吸を合わせてくれる。あいつの胸に頭を埋める。苦しい…
「シロ…大丈夫…吸って、吐いて…吸って…吐いて…俺の呼吸に合わせてゆっくり、ゆっくり合わせて…」
あったかい…依冬。
体の緊張が取れて胸が解放される…合わせて呼吸する。
吸って…吐いて…
「もう…大丈夫……帰りたい。」
オレはそう言って体を依冬に預けて歩いた。
早く桜二に会いたい…
助けて…怖いよ
「勇吾!ちゃんとやらないとシロに言いつけるからね‼︎」
「ハイハイ…」
夏子に連れられて舞台監督とコンサートに向けた打ち合わせをしている。
日本のアイドル9人グループ。
ダンスはイマイチ。
歌もイマイチ…
ファンは沢山…
世の中おかしいよな…笑っちゃうくらい虚像に弱いのか…与えられる物の精査を怠ってるとしか思えない。こんなゴミ、どこに崇拝する要素があるんだよ…。
練習したく無い、繰り返してやりたくない、歌の練習もしたく無い、テレビに出るのはやりたい…何だそれ。
バックダンサーの質も悪く、これでどうやってやれと?
俺はあまりに下らなくてしょっぱなから気持ちが萎えた。
夏子はプロで割り切れるから良いけど、俺はそこら辺ガキのままだ。
何とか良い出来に仕上げてシロに見せてやりたいけど、腐った具材ではどう料理してもまずい飯しか作れねぇよ…
「ワイヤーで吊ってお客さんの上を飛ばして…」
派手な演出に逃げれば逃げるほど俺たちの仕事がなくなるな…
「ダンスの要素はどこら辺で見せますか?」
「全体的にダンスで盛り上げていく方針です。」
どこがだよ…つまんねえ…
シロに会いたいな…
今頃、何してるかな…
今日お店に行けるかな…
何を踊るのかな…
お前のステージ俺が作ってみたいな…
1番エロくて1番かわいいお前を引き出してやるのに…
「勇吾、どう思う?」
俺の顔を覗いて聞いてくる夏子の視線を外して俺は席を立った。
「そういや、オレ…バックダンサーの子達と挨拶まだでした。顔出ししてきます。」
このクソつまらない話を聞くよりもまだ現実的な時間の使い方だ。
時計を見ると15:00
朝から打ち合わせしてここまで決まった事は何もない。
雲を掴むような抽象的な話ばかりで具体性が無い。
あんなのが監督になれるんだもん。
やっぱり世の中笑っちゃうくらい腐ってるよな…。
一生懸命やった奴が報われるなんてのは嘘で、結局はコネが物を言わせるんだ。誰と知り合いか…そんな事で仕事が来て、過大評価されて膿がどんどん肥大化していく。そんな臭くて汚いものの中で泳いでるような奴は漏れなく汚く腐ってる奴で、下から這い上がる者たちを蹴落とすんだ。実力もないくせに、チャンスをつかむ機会を与えないんだ。自分たちが偽物だと知っていれば知っているほど、本物を蹴落としてほくそ笑む、そんな世の中だよ。
やになるね…反吐が出る。そんな奴らを泣かせてやろうと今まで必死にやって来た。有名になればなる程、そんな奴らと顔を突き合わせる機会が増えて、自分もそんな膿の中に入っていってしまいそうで嫌になる。
シロの魅力、才能…どれをとっても俺から見ると彼はダイヤの原石だ。
そんな子が入れない場所。それがこういう腐った場所なんだ。
バックダンサーの練習室にやってきた。
週に2回、合同練習を事務所のスタジオでやるらしいが、シロが落ちたくらいだ…さぞすごいダンサーの集まりなんだろうよ。
扉を開けると中の音が聞こえてくる。
オレが入ると室内は静まって動きが止まる。
「続けて」
そう言ってスタジオの壁にもたれかかった。
「こんにちは。今回バックダンサーをまとめる林と申します。よろしくお願いします。」
名前を伝えて挨拶すると俺の経歴を聞いてきたからざっくりと答えた。
「俺はロンドンで舞台構成してます。夜はストリップもしたりしてるんですよ。」
「え…?ストリップですか?凄いですね…」
何が?
馬鹿にしてんの?お前らのヘンテコダンスよりよっぽどコンテンポラリーだぜ?
あの短い時間でポールを使い、服を脱ぐ、エロを演出する、をクリアしなければいけない。
プロに指示されてアホみたいに踊るだけとは違うんだよ…
「どんな感じにしました?」
ふざけた曲を流して一通り見せてもらう。
まぁふざけたアイドルのバックダンサーだ。これくらいで良いんだろう…
ただ、にしても、これは酷すぎた…
「もう少し纏まった方が良いですね、特に彼と彼と彼、あと彼も、振り付けまだ覚えてないとか無いでしょ?ダンス映像配られてから何日経った?」
俺は指名した子だけで踊らせた。
クソみてぇだな…
何であの子が落ちたのか全然理解できねぇよ…
いや、落ちたことが理解できる…といった方が正解なのか。
「また次見せて、ダメならやめて」
そう言って部屋を後にした。
ぬるい…ぬるすぎる…
シロに会いたいな…
今、何してるかな…
触りたい…
目の前の自分の手を広げて眺める。
この手に確かに触れたのに霧でも掴んだように実体を掴めていない気がする。
桜ちゃんに甘える姿を指を咥えて見ている。
無理やり捕まえても心が俺を見ない。
あいつ、俺をおちょくったのかな…
こんなに無力感を感じるなんて屈辱だ。
俺にしか出来ない何かであの子の気を引きたい…
初めて会った時、桜ちゃんの後ろに隠れてガキみたいなやつだと思った。
あの桜ちゃんがあんなに穏やかにしてるのが信じられなかった。
何かのプレイ中か、悪い冗談だと思った。
でもステージに現れたあいつは堂々と客を見下して派手に暴れ回る暴君で…その姿に圧倒されて魅了された。なんだ?こいつ…スゲェぞって…芯が震えた。
同時にそんなあいつを嬉々とした目で見つめる桜ちゃんに動揺した。お前…どうしちゃったのって。
急遽また踊ることになりステージに現れたあいつはさっきの暴君とは違って穏やかで柔らかいあいつだった。
飛び入り参加した俺の無茶振りをいとも容易くクリアして笑う。
素質の良さだけじゃない機転の効く頭の良さを感じて驚いた。
あっという間にあいつの虜になった。
まるでパーソナリティをいくつも持つ多重人格のように、一つ一つ雰囲気、踊り、演技を変えたステージをプロデュースするプロ意識。
こんなやつ居るんだ。
俺、こいつの事好きだ…と思った。
能力の高さとは反比例して桜ちゃんにベタベタするガキみたいな所もあって俺を苛つかせた。
そんな甘ったれたお前よりもステージで客を見下して蹂躙するお前が好きだから、心底苛ついた。
そしてあの時、あんなに取り乱して…正直馬鹿みたいだと思った。ストリップしてて客に触られたり危険な目に遭うことなんてあるはずなのに、動揺しすぎだと思った。
でも違ったんだな…
自分の認めたやつ以外に触れられるのが嫌だったんだ…ただ、嫌だから、俺で紛らわした。
紛らわした…そう、この言葉が1番しっくりくる。
俺は紛らわす道具に使われた。
笑わせる。
シロ…俺で紛れたの?
お前がそれで気が済むならそれで良い…
そんな従順な思いを抱く自分にもまた笑える。
今までこんな風に誰かを思うことがあっただろうか…。これまで付き合った奴の扱いなんて雑なものだ。見下して蹴落として泣かせて笑う…利用して捨てる…そんな事の繰り返しだった。恋人…の価値が見いだせない。
心の底から誰かを信じたり、必要としたり…溺れたりするなんて、俺には無縁だった。
逆の立場になってその時の奴らの気持ちがわかる…何としても一緒に居たかったんだな、俺と。
俺はお前に踏み台にされても喜ぶだろう…
お前が幸せならそれで良い。
まるで女王にひざまづく家来のように俺を使ってくれ。
「桜二…全部読んでみて…」
怯えるような目をしたシロに震える手で手渡された書類の束。
今日は午後から依冬と警察署に出かけて行った。支配人の告訴した件の事情聴取を受けると言っていた…。
顔面蒼白の様相で帰宅して事の顛末を聞いて今に至る。
曖昧な記憶を補完したいの…?
何故こんなものを貰ってきたの…?
「みんなで見てみようか…」
シロを傍に置いて依冬と挟むようにソファに座る。怖がらないで見てみよう。
お前の事
資料には名古屋、被虐待児童、保護観察と書かれて月日が記入されていた。
逆算するとシロが3才の時の記録が最新のようだ。
開いてみると写真が添付されていて幼いシロの全裸での立ち姿が写されていた。
「あ…」
依冬が声を漏らす。
酷いな…身体中にアザがついて殴られた内出血もある。
目は虚ろで既に仕上がった妖艶ささえ目の奥に秘めている。
シロを見ると無表情で資料に目を通している。
ここまで来て怖くなる。
この子が全容を把握した後でも前のシロで居てくれるのか…気を違えてどうにかなってしまうのでは無いか…俺の手に力が入ってシロの体を強く抱いた。
通報者:家族…多分兄貴だろう…
通報時間:深夜2:00
通報内容:複数の成人男性による性行為、幼児虐待…
所見:一時預かり後母親の要望により帰宅。その後通報はなし児童相談所への連絡は不要。
…そんな訳ないだろ。
淡々と書かれる内容に憤りを感じて行き場のない怒りを持て余す。
「桜二…次は?」
シロの小さな声に促され次のページを開く。
通報者:家族
通報時間:午後2:00
通報内容:成人男性による幼児虐待、性行為
所見:金銭の授与有り、幼児虐待による売春行為の強要。家族内1名年齢3才、意識混濁、直腸の著しい損壊が見られ入院。退院後母親の元に帰宅。
ページをめくる度に目を背けたくなる。
添付される写真の中の彼がどんどん成長していくのがわかる。
まるでちょっとしたアルバムだ…。
写真の彼は3歳というかわいい盛りのはずなのに、目の色が淀み覇気もなくだらりと垂れる手足には力がない。 違和感しかない幼児。
シロが7才になるまで同じような児童虐待の記録と警察の所見、被害児の傷の写真が続いて1冊目は終わった。
最悪の気分だ…
この子の言っていた事は紛れもなく事実だったと警察の記録を読んで思い知らされる。
「こっちは?」
シロが黒い表紙の冊子を指差して言う。
表には名古屋、性的虐待、家族、継続と書かれている。
中を開くと7才からの記録が続いていた。
添付された写真の中のシロ…今の彼に似た顔つきになり、下着を身につけた写真からは不謹慎だが色気を感じて目が留まる。
本当に不謹慎だ…
これなら抱けると思った事に激しく自己嫌悪する。
どれも通報内容は性的虐待…成人男性、所見は母親の元に帰宅で終わる。
ページを読み進めるとビクッと彼の体が跳ねた。
「シロ?」
顔を覗くと俺の手元の書類に添付された自分の写真を見ていた。
洋服の首元がヨレヨレに伸びて肩から下がり、鼻血を出したのか口元と鼻に血痕が残っている。頬は赤く腫れて打たれた後を想像できた。
「これ、この時の…覚えてる…」
そう呟いて俺の腕にしがみついて話し始める。
「小2の時、次の日が遠足で…友達とお菓子を買いに行ったんだ…にいちゃんがお金をくれて…沢山買えたんだ。家に帰るとまた男が来ていて、友達がいる前でオレのモノを咥えたんだ…嫌がって抵抗したら思いっきり吹っ飛ばされて、起き上がれなかった。逃げ出す友達の後ろ姿が見えた。その後いつもの様に相手をさせられて…途中で友達のお母さんが通報して助けに来てくれた…」
自分の写真の顔の部分を撫でながらポツリポツリと話した。
12才までの記録でこの冊子は終わった。
どれも同じだ…狂ってる。
最後のは中学からの記録か…
最後の冊子を手に取って開いてみる。
「あぁ…シロ。これは…」
そう言って目の前が暗くなるのが分かった。
まだ幼さが残るが今の彼と同じ印象の少年が添付写真に写る。
死んだ目のシロ…笑顔とは無縁の無表情だ…こんな顔するんだ…心が壊れてると、こんな顔になるんだ…こんな顔見たことない。この子のこんな表情…見たことない。今、もし、この子がこんな風になってしまったら…どうしよう…。
自分でも分からない感情が沸き上がって俺は資料を閉じて依冬に渡した。
「桜二?どうしたの?」
そう言って俺の顔を覗き込んだシロ。
俺の顔を見て察したように背中をさすってくれた。
今度は依冬が資料を開いてシロと見る。
俺は未だに写真のシロから目が離せないでいる。
通報者:同伴者
通報内容:性被害
所見:兄弟間の性的虐待、及び金銭のやり取りが発生する売春行為、兄24 弟14保護者不在の住宅にて兄による犯行。弟を性的虐待する様子を同伴させた通報者に見せる。金銭を受渡し帰宅した後通報。精神鑑定の結果極度のストレスによる精神分裂を認め治療が必要。弟の身体に怪我はなし
「にいちゃん…」
シロが呻くように呟く。
俺を掴む手に力が込められて堪える様に身をひそめる。
通報者:近所の住民
通報内容:性被害
所見:兄弟間の性的虐待
以前に引き続き金銭の授与が認められる売春行為。兄24 弟14 弟を性的虐待する様子を見せるなど。買春したと思われる成人男性2名。弟の身体に怪我は認められない
通報者:近所の住民
通報内容:性被害
所見:兄弟間の性的虐待
兄26 弟15
体に複数の傷あり、意識混濁 酩酊状態 薬物
午前9:00から午後8:00までの間に複数の成人男性を対象に手淫、口淫。実兄による性交渉。弟を性的虐待する様子を見せる。保護時反応薄く病院へ搬送。直腸内部一部損傷、1週間の入院ののち帰宅。
兄25 金銭の授与を目的とした売春の斡旋
精神鑑定の結果精神疾患を認める。
弟に偏執的、トラウマ、精神科の鑑定を急ぐ
警察の記録によるとシロの兄貴は精神的にどんどんおかしくなっていったようだ…
あの子の記憶と照らし合わせると、彼の兄貴は正気の時と狂気の時を行ったり来たりしていた様に思った。卵焼きを作る兄貴は確かに居て、彼を痛めつける兄貴も居た。苦々しい気持ちで書かれた文に目を通す。母親と同じように彼を使って売春行為を続けていた理由は定かじゃないが、通報されても尚繰り返し行われる性的虐待に病的なものを感じる。しかも、決して誰にも彼を抱かせずに、自分がシロを抱く所を見せて金を受け取るあたりに、正気と狂気の狭間で揺れ動く葛藤?これは絶対守る、といったルール?の様なこだわりを感じた。
触れさせても中には挿れさせない…それが兄貴のルールなのか…
彼の理想の兄貴が音を立てて崩れていく気がして…傍の彼が心配で視線を落とした。
添付された資料の写真を撫でながらシトシトと涙を溢していた。
どことなく依冬に似たシロの兄貴は陰りのある表情を湛えて傍のシロの腰を抱いて笑う。シロの表情は幼少期の無表情と違い今と変わらない屈託のない笑顔で写る。
奇妙な兄弟の写真…
裏には西暦と月日が書かれていて、逆算するとあの子が15、兄貴が25の時の写真の様だ。
今から5年前か…
俺に写真を見せながらシロが聞いてくる。
「ねぇ…桜二?にいちゃん…カッコいいでしょ?オレの知ってる人の中だとにいちゃんが1番かっこいいんだ。優しいし、オレだけ特別扱いしてくれる。売春の強要なんてしてない…にいちゃんはオレが他の男に弄ばれる姿が好きだったんだ…でも絶対挿れさせない…俺のしかダメだからって…」
写真の兄貴の顔を撫でてシロが言う。やっぱり、絶対挿れさせないのがルールだったんだ…。嬉しそうに話すその表情が今まで見たことのない恍惚の笑みを浮かべてて、彼の狂気が全て兄貴への愛から来てると確信した。
狂った兄貴を愛した弟…それとも、狂った弟を愛した兄なのか…
「あの刑事さん、こん時の刑事さんだったみたい…。オレの知らない事までよく知ってた。今度戸籍取りに行こうって言われた。」
兄貴と写る写真を手に取って眺めながら言う。
予想外にシロから動揺を感じる事はなく、落ち着いた様子ではあったが、兄貴の写真を見たあたりから俺の中で不安が湧いてくる。
あの表情…今まで見たことのない…湊に似た狂気を感じた。この人の核心は兄貴への愛で狂ってる。
俺はその写真の兄貴をぶん殴ってやりたくなった…シロの1番…いやシロの礎か…?俺の愛するシロに心から愛される唯一の兄貴。
嫉妬なんて生ぬるいもんじゃない。
あんたがこの子を無茶苦茶にしたのか…それとも、この子への愛があんたを無茶苦茶にしたのか… 今となっては答えは分からない…
あんたの作った?あんたが狂わされた?獣に俺は今魅了されている。
このままこの子と一緒に居れば、俺もあんたみたいになるんだろうか…
怖い…?いや…怖くない。
甘い毒にじわじわと狂わされて殺されていくなら、俺は甘いこの時を大いに味わって死のう。シロを愛して死ぬなら…本望か。
俺はシロに戸籍の事を確認して同行する事を約束した。
俺を必要としている…、一緒に居てやりたい。
兄貴の写真をずっと眺めるシロを心配そうに見つめる依冬の肩に手を置いた。
「…お前は、大丈夫か?」
俺が尋ねると、目を赤くした大きな弟はシロを見つめたままコクリと頷いた。
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