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第44話
「桜二…ごめん」
車の前で仁王立ちする桜二に駆け寄ってオレは速攻で謝った。桜二はオレと目を合わせるけど何も言わないで見下ろしてくる…怖い…
自分の羽織るジャケットをオレにかけて後ろから歩いてくる勇吾の方に歩いていく。
そんな桜二を目で追うと出会い頭に思いっきり勇吾をぶん殴った。
よろけた勇吾の胸ぐらを掴んで更に殴ろうとするからオレは走って止めに入った。
「桜二!桜二!やめて!やめてよっ!」
オレの止める間も無く勇吾を殴りつけ、更に拳を振り上げる。オレは桜二の振り上げた腕にしがみついて必死に止める。
「桜二!やめて…!殴らないで!もうやめてっ!やめてよっ!」
オレを腕につけたまま勇吾を殴るから体が持っていかれてぶっ飛んだ。
「あっ!」
そのまま道路に転がるオレを見た勇吾が今度は桜二をぶん殴った。
オレは立ち上がって殴り合う2人の近くに行くと、勇吾と桜二の間に立って桜二を抱きしめて言った。
「もうやめて…オレが悪かった…桜二、ごめんなさい。もうやめて…許して…ごめん、ごめん…」
キレた顔の桜二の頬を持って自分に向かせてもう一回言う。
「桜二、オレが悪かった…」
あいつは舌打ちして勇吾の胸ぐらを乱暴に手から離すと、踵を返して車に向かった。
桜二の座る運転席に回ってドアを開けると後部座席のロックを外した。後ろに勇吾を入れて助手席に戻って座る。
「勇吾が居なくなったから追いかけたんだ…この格好で行ったから寒くて近くの建物に入ったんだ…ごめんなさい…心配かけてごめんなさい…」
下を見ながらオレが言うと桜二は黙って車を出した。
抱えた膝が擦りむけて血が出てる。
桜二のあんなに怖い顔見たことない…
「怖かった…」
ポツリと口から溢れでた言葉が静かな車内に落ちる。
「シロ!勇吾…あ、んたどうしたの?その顔…」
家に着くと夏子さんが迎えてくれた。
「冷やしてあげてよ…」
夏子さんにそう言ってオレは桜二の後ろをついて行く。
脱衣所で服を脱いで部屋着に着替える桜二を後ろから抱きしめる。
「桜二…怒んないで…ごめんなさい、もうしないから…怒んないで…許して…」
擦りむけた膝から血が伝い落ちる感覚がする。
オレの言うことに何も返さないでそのまま寝室に行ってしまう。
オレは桜二の後を追いかけて一緒に布団に入る。彼の腕に触って顔を寄せて埋めるけど、何のリアクションも無い桜二に悲しくなる。
桜二の腕を持ち上げて胸板に寝転がり、桜二の腕を自分で自分に巻き付ける。
怒ってオレを無視し続けてもこいつの体はあったかくて気持ちよかった…
「明日には怒ってない?」
オレが聞いても何も答えないから、オレは桜二の声を真似して1人で答えた。
「もう怒ってないよ?」
「ほんと?」
「シロ大好きだよ!」
「オレも桜二が大好きだよ!」
虚しく寝室にオレの声だけ響く。
オレは体を起こして険しい顔をして目を瞑る桜二の顔を触る。
「オレが連絡しなかったから心配したよね?」
髪を撫でるついでに力の入って険しくなったおでこをほぐす。
「また連れ去られたと心配したの?」
反対の頬に手を当てて、桜二の顔に覆いかぶさって抱きついて肩に顔を埋める。
「頭撫でて…」
桜二の肩を甘噛みして催促するとそっとオレの頭に手を置いてポンポン叩いた。
「優しく撫でて!」
そう怒って言うと今度は優しく撫でてきた。
甘える様に頬を桜二の胸板に擦り付ける。
「桜二……ごめんなさい」
勇吾、大丈夫かな…歯、折れてないかな…あんなに殴る事ないのに…連絡をしなかったのはオレなのに…桜二は勇吾にめっちゃキレてる。
明日青くなってたらやだな…
オレはそのまま桜二の上で眠った。
「シロ…俺たち行くからな、起きたらなんか適当に食べるんだぞ!良いな?行ってきます!チュッチュッ…」
「あんた…また桜二にぶん殴られるよ?」
夏子さんと勇吾の声が聞こえて、足音が遠ざかって行ったのが分かった。
そういえば今日は桜二が起こしに来ないな…
うっすらと目を開けて時計を見ると11:00…
あいつ…
オレのこと起こさなかったんだ…
ムカつく
そのまままた目を閉じて眠った。
14:00 アラームが鳴って目を覚ます。
服を着替えて自分の荷物を持つ。
オレはそのまま桜二の部屋を出て家に帰った。
面倒くさい…
家に着くと換気してアイドルのポスターに挨拶する。兄ちゃんの写真を出して、オレの持ってた写真の隣に置く。
ベッドの下のチップで貯めたお金を入れた箱を出して、桜二の家に貯めていた分をしまう。
風呂掃除してトイレも掃除する。
しばらく使わなかったから下水の匂いがして嫌だった。
体のストレッチをしてYouTubeで動画を見る。
気づくと良い時間になっているのでシャワーを浴びて着替えて店に行く。
「シロ!お前!このやろう!心配させんな!」
支配人に叱られて平身低頭に謝る。
階段を降りて控え室に入って楓におはよう!と言う。
不思議だろ…オレもだ。
あんなに桜二と離れるのを嫌がったくせに、今は全然平気なんだ。
怒ってるわけじゃない…
ただ面倒くさくて、これ以上アレに付き合うのが嫌だった。
掌と膝についた擦り傷が今更痛む。
膝にコンシーラーを塗って赤みを隠した。
19:00 店内に行くと勇吾が夏子さんと来ていた。
「うわ…酷い顔…」
美形の勇吾の口の端が腫れて赤くなり目元も腫れていて酷い…これ、この後青くなるんだよな…
「桜二、めっちゃ怒ってるけど2人で何したの?今朝も勇吾は華麗にスルーされてさっさと支度して行っちゃったよ!」
夏子さんが勇吾の傷を確認するオレに聞いてくる。オレはかいつまんで教えてあげた。
居なくなった勇吾を探しに行って、寒かったからちょっと屋内に居たって…感じで。
「こんなに殴る事ないのに…」
オレはそう言ってため息をついて勇吾の頭を撫でた。
「桜ちゃんにしては軽く済んでよかった~前なら半殺しにされるレベルだよ?」
そう言って勇吾は笑うけど、オレはお前の顔をこんなに傷つけられてムカついてるよ…
「シロも起こしてもらえなかったね?」
夏子さんがオレの方を見て言った。
「ん…良くわかんない。」
軽く濁して視線を外した。
「ところで、コンサートの準備どうなった?」
話題を変えて夏子さんに聞き返した。
「まぁボチボチ…かなぁ~」
「本当かよ!ボチボチじゃねぇだろ?最悪だよ!」
勇吾の怒涛の文句が始まった。
オレは2人を残して他の客に挨拶に向かう。
「シロ…」
名前を呼ばれてそちらを見ると依冬が大塚先生と一緒に来ていた。
「あ、依冬…」
オレは依冬に抱きついて顔をすり寄せた。
「依冬…オレ元気ないの…」
そう言って依冬の背中に甘えてもたれる。
「シロくん、何で?何で元気ないのかな?」
大塚先生がオレの顔を覗いて聞いてくるから視線を外して依冬の耳を触った。
「慰めてよ…依冬、オレの事慰めてよ!」
体を揺さぶってふざけながらそう言うと、大塚先生が薄くて大きなプレゼントをくれた。
「シロくんに…あげる。俺の愛…」
オレは依冬の足の間に移動してそれを受け取る。重くて手がふらつくのを依冬が一緒に持ってくれた。
「めっちゃ重い愛だ…ありがとう!何が入ってるの?ドキドキ!」
重厚な包装紙に包まれていて、中身を確認しようが無かった。よくあるお歳暮のサイズをちょっと大きくしたそれは何かスペシャルな匂いがした。
「この前のクロッキーだよ」
え!
マジで!?
「中身、見ても良い?」
オレは包装紙を破かない様に器用に開けて中身を取り出した。
「わぁ!すごい!桜二にあげよう!!」
綺麗に額装されたその絵は紛れもなくあの時のオレの絵だった!嬉しい!すっごく嬉しい!!
「大塚先生!ありがとう!すごく嬉しい!」
オレはそう言って大塚先生に抱きついてキスすると髭のジャリジャリする頬に頬擦りした。
きっと桜二が喜ぶに違いない!
早く見せてあげたい!
「でもね、シロ」
依冬がオレに向かって話し始める。
「シロの絵、完成したのに先生が見せてくれないんだよ…売りに出さないって言って見せてくれないんだ。説得してよ!」
どんな絵を描いたのか、オレも気になる所ではある。沢山クロッキーを描いて、その上で出来上がったもの。楽しみすぎてオレも見たい。
「大塚先生はオレには見せてくれるよね~?」
そう言って彼の首に手を回して髪を撫でると、頭を付けて可愛く尋ねた。
「シロくんには…見せてあげる…」
「やった~!」
ほら、依冬は金持ちだから買い叩かれそうだけど、オレはモデルになったし貧乏だから!
「いつ見せてくれるの?楽しみ!」
オレは大塚先生の予定を聞いた。
「桜二も一緒に連れてっても良い?」
そう尋ねると、不思議と彼は良いよと快諾した。
「あの人にも見てもらいたいから…」
ふぅん…不思議だな。
オレは元来変わった人と打ち解け易い性格で、この大塚先生との会話も楽しく出来る。桜二はそんなに先生と会話したわけでもないのに、見てもらいたいなんて言うから、不思議だった。
「まぁ、それまでに仲直りしてればの事ですけど…」
オレは嫌味っぽく言って笑った。
「シロ、桜二と喧嘩したの?うちにおいで~」
依冬がそう言ってオレに手を伸ばす。
オレは大塚先生の後ろに隠れて言った。
「やだよ~」
なんでだよ~とごねる依冬を無視して、大塚先生の髪を解かしてあげる。
「先生は癖っ毛なの?いつも髪がこんがらがってるよ?ちゃんとブラシして、身嗜みを整えてね!」
オレが言うと、うん…と頷くのウケる…
オレは頂いた絵を大事に抱えて控え室に置きに行った。嬉しい!嬉しい!
「見て!これ!オレだよ!」
控え室の楓に見せてあげる。
「かわいい!なにそれ!すごく良い!」
だろ?だろ?
早く桜二に見せてあげたいよ!
「シロ、そろそろ」
支配人から声がかかってオレはカーテンの裏へ行く。今日もオレは踊りますよ。
カーテンを隔てた向こう側が静まる。オレを紹介するコールが鳴って音楽が流れだす。
カーテンが開いて眩しいステージに向かって歩いた。
桜二…まだ怒ってんのかな…やだな
2回目のステージを終えて勇吾と夏子さんとお店を後にする。
「オレ今日はこっちに行くね、じゃあね!」
2人に挨拶して別れようとした。
「シロ、どこ行くの?」
夏子さんに止められて振り返って教えてあげる。
「オレの部屋だよ。」
「なにそれ…行きたいんだけど…!」
「やだよ!ボロだもん」
「桜ちゃんの不機嫌が面倒くさいんだ!」
勇吾…図星をつくなよ…
オレはそんなんじゃないと言って2人を振り切ろうと歩き出した。
「あそこのマンション?」
「違うよ」
「じゃあこっち?」
「あのね…お姉さん。ストリッパーの稼ぎ程度じゃあんな所住めないよ?現実を知ってよ、オレの部屋はここだよ…」
なんだかんだ言ってアパートまで付いてきてしまった2人に到着したボロアパートを紹介した。
「ホラー映画みたい…!」
「壁も床も薄いから、気をつけてね」
煩くするなと念を押して鍵を開けて中に入る。
「シロ…桜二のとこに帰ろうよ~」
「ん、みんなは帰りなよ。オレはここにいる」
そう言ってチップのお金を箱にしまってベッドの下に隠した。服を脱いで洗濯カゴに入れて部屋着に着替えてタバコを咥えた。
「シロ、この人誰?」
オレのベッドサイドに置かれた兄ちゃんの写真を指差して勇吾が聞いてきた。
「それ…?オレの兄ちゃん」
「どれどれ~?あ…イケメンじゃん!」
夏子さんはそう言って二枚の写真を比べて見てる。
「お兄さん影あるね、桜二みたい…」
オレは夏子さんの言葉に顔を向けて尋ねた。
「影?」
夏子さんは頷いてオレに写真を渡して言った。
「ほら、悲しそうにも見えるし、嬉しそうにも見えるでしょ…物憂げって言うの?桜二とそっくり!笑っちゃうくらい似てる!」
渡された写真を眺めて口元が緩む。
「オレもそう思う…」
写真の中の兄ちゃんの顔をそっと撫でる。
見た目じゃないのか…影が似てるんだ…。
「シロ、桜二のとこに帰ろうよ…」
夏子さんが心配そうにオレに言う。
でも、オレ帰りたくないんだ…
「2人は帰ってよ。オレはここに居るから…」
そう言って丁寧に2人を追い出した。
静かになった狭い部屋でベッドに腰掛けて写真を眺める。
桜二…顔も見たくない…
オレはそのままベッドに突っ伏して眠った。
携帯がずっと鳴ってるの…気付いてるよ。
でも出たくない…出たくないんだ。
コンコン
ドアをノックする音に目が覚める。
携帯を見るとすごい量の着信が来てる…
時間は2:00…もう夜更だ…
迷惑なやつ。
誰が来たかなんてすぐ分かる。
だからオレはそれを無視して目を瞑る。
まだ携帯がなってる…3:00…
迷惑なやつだ…
コンコン
時間差で物音を立てるなよ…3:30
次来たら通報してやろう…
「シロ…」
オレを呼ぶ声に目を覚まして目の前の黒い人影にビビる。
「ん…どうやって入ったの!」
気づくとオレのベッドに腰掛けてオレを見下ろす桜二が居た。
「シロ…うちに帰ろう」
「やだ、オレの家はここだから…!っていうか、どうやって入ったんだよ!」
怒ってオレを触る桜二の手を叩いた。
「ピッキングした…」
「しんじらんない…犯罪だよ」
寝起きのオレを抱きしめてくる桜二の体が冷たくなっていた。
「ずっと外にいたの?」
「シロに会いたかった…」
「今朝起こしてくれなかったじゃん…」
「…」
「卵焼きもなかったじゃん…」
「ごめん…」
「やだ、オレ桜二のとこに行かない…勇吾のとこにも依冬のとこにも行かない!」
そう言って桜二の胸板を押し除けて布団に寝ようと身を捻った。
「一緒に入った屋内で何してたの?」
後ろから覆いかぶさるようにして桜二がオレを抱き寄せる。
「や、めろよっ!通報するよ?」
「俺が気付かないと思ってるの?」
「なぁんの事だよ!」
身を捩って桜二の腕を抜け出そうとするけど、全然外れない腕に無力感が湧く。
「勇吾と何してたの?」
「セックス…あいつが泣くから…怖いって泣くから…傍にいた」
もう抵抗するのをやめて耳元で囁きながら聞き込みをする不審者の言いなりになった。
「何が怖いの?」
「オレと離れるのが怖いって…誘われたんだ…一緒にロンドンに来ないかって…その度に断ってた…コンサートが近づいて、帰った後の予定も埋まっていって…オレと離れることが怖くなったみたいにすぐ泣くんだ!」
「シロは?……勇吾と離れるの、怖い?」
「…いいや、また会えるし…」
「そう…良かった…」
そう言うと桜二はオレをキツく抱きしめて髪の毛に顔を埋めて匂いを嗅いだ。
「勇吾が泣くなんて…よっぽどだな。よっぽどシロの事が気に入ったのかな?ねぇ、勇吾に言われた?愛してるって…言われた?」
「お前に関係ないだろ…」
「隠すなよ…教えて、俺に全部教えて…」
桜二の影はオレの全てを把握したがる所。身の回りの事もそうだし、心の中も広げて見て尋ねてくるんだ。
この時どう思ったの…?
どうしてそうしたの?
オレの心理と行動を把握した後、照らし合わせて予測する…オレがどれだけ自分を愛してるのか…を。兄ちゃんも同じ。
だから兄ちゃんは絶望したんだ…
オレの心が読めなくて…
オレが家に寄り付かなくなり物理的に離れた事で、兄ちゃんの不安定な心にとどめを刺したんだ…
「勇吾は…オレの事すごく愛してるって…言った…」
「シロは?」
「…オレも勇吾を愛してる」
「俺とどっちがいい?」
「そんなの聞かなくても分かるだろ…」
桜二はオレの顔を自分に向けて笑う。
狂気を感じる尋問も…オレへの偏執的な執着も…
怖いとか、嫌だなんて思わない…
オレの答えを聞くまでお前はその引きつった笑顔でオレを見つめるんだろう…
悪くない…いや、最高に良い…
そういう所…兄ちゃんとおんなじだから
「俺と勇吾、どっちの方を愛してるの?」
再度聞かれた言葉に背筋が震える。その顔で、その表情で、必死に聞いてくる様子にイキそうだ。
「お前に決まってる…桜二の事、1番愛してる」
そう言って身を翻すと彼の唇にキスする。
冷たくなった顔を手で包んであっためる…髪の先まで手で撫でてあっためる…
「何でだろうな…オレは自分が大嫌いなのに…お前も依冬も…勇吾も、オレの事愛してるって言うの…不思議なんだよ…」
そう言ってオレの腰を強く抱く桜二の腕を両手で触りながら肩まで手を滑らせていく。
肩から背中に腕を下ろして体を密着させる。オレを見上げるお前の顔がエロくて笑う。
そのまま顔を近づけて舌を出した。
「きもちよくして…」
オレがそういうと桜二はジャケットを脱ぎ捨ててオレを貪る様に抱き始める。
狂ってんのかな…狂ってんだろうな…
「今は夏子が居るけど、帰ったらあそこをシロの部屋にしよう?」
「やだ、一緒に住まない」
「なんで?」
「1人になりたい時もあるの…!」
「部屋に入ったら1人になれるよ?」
「やなの!」
「シロ…」
狭いシングルベッドの上でオレを後ろから抱きながら桜二が一緒に住もうと言い出した。
オレは断固拒否してる。
なんでかって?
オレも一応男だから家賃くらい払って自分のテリトリーを持っていたいんだ。
こうやって逃げる場所は必要だと思うんだ。
ピッキングされたとしても…
しかも桜二の部屋の家賃はべらぼうに高い。中級層の手取り以上の家賃って何だよ。
オレにはそこの家賃を折半できる程稼ぎはない。だからと言って居候なんかに成り下がったらオレは完全にヒモ男だ。
そんなの…ダサいし嫌だから、断固拒否する。
「家買ったら一緒に住む?」
「やだ!……家ってローン?」
「ふふ、ローンかな?値段による」
「ローンだったら大体みんないくらくらい支払ってるのかな?」
「頭金をそれなりに入れれば月々そんなに高くならないよ?」
「ふぅん…」
頭金を桜二に払わせて月々のローンをオレが払えばヒモ男は免れるかもしれないな…
「家買っても良いよ。」
「本当?良かった!じゃあ調べておくね」
オレは頷いて眠る態勢になると桜二の腕をギュッと掴んだ。
「シロ…ここで寝られない。」
せっかくうとうとし始めたのに、後ろから声をかけられる。
「じゃあずっと起きてれば良い!」
カーテンの外は既に明るくなり外は朝の音を出し始めている。
「もうすぐ向かいの豆腐屋がシャッター開けるよ。」
オレが言った途端にガラガラガラガラと大きな音を立ててシャッターが開いた。
「あはは、本当だ!」
オレの後ろで笑う桜二の息が髪の毛にかかる。
後ろを振り返るとオレを見下ろして桜二が微笑む。そこにはあの狂気はもう無くて、穏やかで優しい顔だ。
「大塚先生がオレの絵、描き終わったって…桜二に見てもらいたいって…不思議だな…なんで依冬はダメでお前は良いのかな…。」
彼の顔を指で撫でて唇を触る。
「先生…お前がオレにイカれてるって分かったのかな?」
オレにキスしようと顔を近づけてくる桜二の口元が一瞬ニヤリと笑ったのが見えた。
お前は上手いな隠すのが…
朝日が入り込む狭い部屋で、小さなベッドに窮屈そうな桜二がオレに熱いキスをくれる。
頭が痺れて動けなくなる。
その様がまるで毒蜘蛛に捕食されてるみたいでクスリと笑った。
「オレはここから仕事に行くから!」
そう言って抵抗するのに桜二がオレを担いで車に乗せる。時刻は6:30。
オレの着替えと兄ちゃんの写真を本に挟んでリュックに詰めているのを眺めてたんだ。
大塚先生からもらった絵を見て喜ぶのも見たんだ…。あちこち片付けしてて本当に整理整頓が好きなんだな…と眺めてたんだ。
「シロ、着替えに戻るから一回家に帰ろう」
そう言い出して、この有様だ。
嬉しそうに車を出してウィンカーを上げる。
「ここの方が店まで近いのに!」
「大塚先生のところ、行くの楽しみだな。どんな絵を描いたのかな~?エッチなやつだったらどうする?」
知らねぇよ…
後部座席にはちゃっかりオレがプレゼントされたあの絵が置いてある。
どこに掛けるのかな…トイレはやだな…
いとも簡単にオレの家出は終わり、とぼとぼ桜二の後ろを付いて歩く。
桜二が部屋の鍵を開けて中に入る。
この部屋、あったかい…
ソファで寝てる勇吾の上に覆いかぶさって悪夢を見せる。
「…うぅ…く、苦しい…うぅ~ん…」
腕をついて体を起こし、眠る勇吾を眺める。
桜二はそんなオレを横目に見て絵をテーブルに置くとシャワーを浴びに向かったようだ。
白い顔に痛々しく色をつけたアザをそっと触る。
「シロ…お帰り」
目を瞑ったままで小さく言った。
「アザ酷い…」
「アザじゃない…男の勲章だろ?」
「ばかだな…」
そっとキスすると勇吾の口元が緩んで笑った。
そのまま勇吾の隣に横になって毛布をかぶる。
勇吾が体を横にしてオレを後ろから抱く。
背中があったかい…
「シロ、お昼ご飯作ったら食べる?」
腰にタオルを巻いた桜二が頭をタオルでゴシゴシしながらオレに聞いてくる。
何それ、めっちゃエロい…
手を伸ばしてタオルを外そうとするとフッと避けて笑う。
「お昼食べる…」
そういうと、分かった。と言って向こうに行ってしまった。すげぇエロいのかますな…
静かな室内に勇吾の寝息が耳元で聞こえてうとうとして目蓋が下がる。
しばらくすると耳に桜二がテキパキ朝ごはんを作る音が聞こえてくる。
まるで兄ちゃんの居たあの時に戻ったみたいで…不意に胸が熱くなる…
卵を3つ割って箸で溶いてる。
フライパンが五徳に擦れる音がして火をつけるカチカチカチ…ボッという音が鳴る。
ジューっと音が鳴ってカタカタフライパンをゆする音がする。
居てもたってもいられなくなって、オレは勇吾の腕を解いて桜二の方に歩いていくと後ろから抱きついて泣いた。
「にいちゃあん…あっ…う…にぃちゃん…」
兄ちゃんがオレの卵焼きを作ってる…。母は居ない。弟は部屋でまだ寝てる。兄ちゃんがオレの卵焼きを作ってくれてる…。兄ちゃん…どこにも行かないでよ…。お願いだよ…もう置いてかないでよ…。
「シロ…今卵焼き焼いてるから、ちょっと待っててね…泣かなくて良いよ、泣かないで待っててね…」
カタカタフライパンが鳴って卵が焼ける音がする…オレのために焼いてくれる卵焼き…
「ん…んっ、にいちゃあん…うっあぁん…にぃちゃん…うっく、ひっく…んっ…ぁああ…」
兄ちゃん…うれしい、嬉しい。ずっと傍に居たい。離れたくない。兄ちゃん…!!
「シロ…泣かない…」
兄ちゃんが言うからオレは泣くのを我慢して口で息を吐く。卵焼きを焼き終えたら抱きしめてくれるから、泣かないで待つ…
「…はぁはぁ…んっ…はぁ…はぁ…」
呼吸が落ち着いて目を開けて兄ちゃんの背中にしがみつく。お腹に回した手を上に上げて兄ちゃんの体を触る。たまに兄ちゃんの肘がオレの頭に当たる。
コトンと音がして見てみると四切れの卵焼きが出来上がっていた。
「お弁当作るよ。シロ、まだ悲しい?」
「にいちゃん、もう…大丈夫…」
オレがそう言うと兄ちゃんは冷蔵庫に行って何かを探して、またまな板の前に戻る。オレはそれをしがみつきながら後ろから見てる。
また目を瞑って兄ちゃんを感じる。
兄ちゃん…今日のお弁当は…何が入ってるの…?
「シロ!おはよう!お帰り!お!朝から仲良しじゃん!良かった、良かった!」
夏子さんの声が聞こえて兄ちゃんはもういない事を思い出す。
桜二の背中に顔を埋めて静かに笑う。
いつまでやってんだろうな…オレは…
「桜二…お弁当…何入れるの?」
オレが聞くと桜二はオレの方を振り返って微笑む…そして開けた時のお楽しみ、と言った。
しばらく桜二の腰に付き纏った。
調理が落ち着くと、桜二はオレを前に抱いて抱きしめた。あったかい手でオレの顔を包んで目尻に残った涙を拭うと優しいキスをくれた。
「もう出来るからね」
そう言ってオレをソファに座らせた。
一部始終を見ていたであろう勇吾にもたれかかると、後ろからオレの両脇に手を出して抱きしめてあやす様に揺れた。
オレは何となく勇吾に揺られながらテレビを付けてそれを眺めた。
「ここは、殺し合いそうな喧嘩か、むせ返るくらい甘いか、どっちなんすか?」
夏子さんが朝からキレたからオレは笑った。
「いただきます~」
卵焼きを一つ箸に取って眺める。
綺麗な黄色…!
歯応えがあってやっぱり美味しかった。
「桜二、美味しい!」
「良かった!また作るね」
「たくさん食べたい!」
「沢山食べたら豚ちゃんになっちゃうよ?」
「やだ、ならない!」
「ブーブー!ブーブー!だよ?」
「ならない~!」
オレ達のルーティンに慣れたのか夏子さんも勇吾も何も言わないし見もしなくなった。
「じゃあ…今度沢山作るね」
「本当?わーい!」
長い問答を経て出た結果がこれだ。
有意義だろ?
ご機嫌になったオレは洗い物をする桜二の背中にしがみついてまた甘える。
この肉感、硬さ、形、サイズ…たまんない…
「シロ…この絵、俺にくれよ」
勇吾が勝手に大塚先生からもらった絵を見て言った。夏子さんも一緒に見てこれかわいい!と言ってくれた。
オレもそう思うんだ…自画自賛。
「それは桜二にあげたから…ダメ!」
「何でだよ!桜ちゃんはいつもシロと居るから必要ないじゃん!俺はシロに会えなくなるんだぞ!」
割と顔が本気で戸惑った。
「コピーすれば良いじゃん。」
夏子さんが良いこと言った。
そうだよ、コピーすれば良いんだ!
「今度出来上がった絵を見せてもらいに行くんだ!楽しみなんだ~ね?桜二~」
オレがそう言うと、うんと頷いて鞄と鍵を手に持った。
「桜二行くの?」
「うん、行くよ」
「…きをつけてね」
「シロも仕事行く時気を付けてね」
「うん…いってらっしゃい…」
キスして桜二の後ろ姿を見送る。
「サラリーマンってやな仕事だな。毎日毎日朝早くから起きてやな仕事だな。」
「桜二が早起きなのはあんたの餌を作るためでしょ?全く分かってないね!」
夏子さんに頭をポンと叩かれた。
オレはソファに戻ってぼんやりと消えたテレビを眺めた。
…ピンクも飽きたな、違う色に染めに行こう…
黒い画面に写った自分の髪を見ながら何色が良いか考えた。
白…シルバー?黒?赤…青、緑…アッシュ系も悪くないなぁ~、でもそれだと普通だな…
「自分のイケメンさに惚れ惚れしてんの?」
ダイニングテーブルで化粧を始めた夏子さんがオレの様子に怪訝そうに聞いてきた。
「いや、髪の毛違う色にしようと思って、ねぇ、夏子さんは何色がいいと思う?」
オレが聞くと夏子さんは即答した。
「私、ピンクが好き!そのままでいい!」
「へぇ、そうなんだ~」
例えばさぁ~と言いながらオレに近づいてきてテレビを鏡代わりにしてオレの髪を掬って言った。
「中はピンクのままで外は黒くしてみるのは?」
「お!悪くないかも」
でしょ?と言ってダイニングテーブルに戻る。
なるほどね~と言いながらまたテレビを鏡にして髪を弄った。
オレとテレビの間を勇吾が通る。
「あの絵欲しい…売って」
まだ言ってる…
「コピーしたら良いじゃん、キンコーズでコピーしてきてやるよ!」
「オリジナルが欲しいの。」
「何でこだわるの?」
「本物を持って帰れないんだから絵くらいオリジナルを持って帰りたいんだよ!」
「もう…そんなに怒るなよ…」
勇吾の勢いに怯んでオレはまた戸惑った。
「その大塚先生が描きあげたやつ…俺も見たい。」
「ん…大丈夫かな…先生変わってるから、急に行ってもやだって言うかもしれないよ?依冬だって見せてもらえてないんだから…」
オレは着替えながら鼻息を荒くする勇吾にそう言った。お日様の光が当たって白い肌がより白く飛んで石膏像の様に見える。
「勇吾の体、綺麗だな…」
そう口から漏れて触って見たくて手を伸ばす。
オレを見て勇吾はトコトコと近づいてきて体を触らせてくれた。
「何で…オレと対して変わらない体型なのに…あんなに力持ちなんだろう…」
そう言って割れた腹筋の溝を指でなぞった。
滑らかで美しい肌に鳥肌が立って汚れていく。
「鳥肌立てんなよ…」
「シロが触るからだろ!」
「何で怒るんだよ…やだよ、勇吾」
オレはそう言って彼の腰に手を巻いてギュッと抱きしめた。無駄のない美しい体…こうやって抱きしめると腰回りはオレよりもしっかりしている事がわかる。
「勇吾は安産型だな…」
オレがふざけて言うといつもなら笑うのに、今日は笑わなかった…ナイーブだな…
彼を見るために顔を上げる。
悲しそうな苦しそうな顔をしてオレの頬を撫でる。指先の一つ一つが綺麗に動いてオレの髪を解かす。
「今日染めてこようかな…何色が良い?」
髪色の話を勇吾にする。
「お前は何色でも似合う」
そう言って屈むとオレに優しくキスした。
「あま~い!」
夏子さんがそう言ってメイク道具をしまって着替えに部屋へ向かった。
「シロ…愛してる」
そう言ってオレの顔に頬擦りする。
オレは顔を上げてそれを受ける。
「ほら、勇吾、服着て!」
とろけて見つめ合うオレ達をクッションで殴りながら夏子さんが怒った。
「勇吾、桜二にぶん殴られるよ!」
夏子さんの最近の脅し文句の様だ。
ヒィッ!とふざけて服を着出す勇吾を無視して、オレはソファを立って歯を磨きに洗面へ向かった。
ドタドタ足音がして上着を持った勇吾が目の前に現れる。
「シロ、行ってくるね」
そう言って歯磨き粉のついたオレの唇にキスして頭を撫でると引き返して行った。
遠くから夏子さんの声で行ってきま~すと聞こえて、ガチャンとドアの閉まる音がした。
顔を洗ってパジャマを脱いでパン1になって寝室に行く。革パンを履いて上に長袖のTシャツを着た。携帯で美容室の予約を済ませてパーカーを羽織って外に出た。
ここからだったらタクシーで行ったほうが早いかな…携帯を見ると陽介先生からメールが来ていた。
“結婚式の招待状を送ったけど、返事は?”だって…そっか、オレ向こうのアパートのポスト見てなかったな…。
オレは出席とだけ書いて返信した。
顔を上げてタクシーを拾う。
目的地を伝えて窓から外を眺めた。
結婚式か…あーあ
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