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第46話
やってしまった…
嫉妬に駆られてやってしまった…
取り返しのつかない事をしてしまった。
「桜二!シロが…病院に運ばれた…お前が居ないって騒いで失神した。早く来てやってよ。いつもと違うから…死んじゃいそうだから…!」
依冬からの留守電を聞いて血の気が引いた…
その前にも留守電があった…
聞いてみると狼狽たシロが泣き叫ぶ声と、なだめる楓くんの声が入っていてシロが倒れた後も続いていた…
なんて事だ…なんて事をしてしまったんだ…
留守電のシロの異様さに、尋常じゃない感情の揺れを察して放心して動けなくなる。
自分を責めるはずだ…
勇吾に惹かれた自分をきっと責めるはずだ…
俺が追い詰めたせいだ…
足が震える…彼を失う…
俺の下らない嫉妬で…
どうしたら良い……
ガチャリと玄関の開く音がして夏子と勇吾が帰ってきた。
携帯を持ったまま固まる俺の唯ならぬ様子に勇吾が話しかけてくる。
「桜ちゃん、シロのとこに行ったんじゃないの?今日はもうあがる時間だろ?迎えに行かないの?」
…俺のせいだ
「シロが…」
言いかけて止める…
「桜ちゃん…?シロは?シロがどうしたんだよ…?桜ちゃん?なんか言えよっ!」
この期に及んでも…お前に教えたくない…!
俺は何も言わずに車の鍵を持って家を出た。
手が震える…恐怖が襲う…
俺があの子を壊してしまった様だ
PM11:00
病院に着いた。
救急外来の入り口を通りシロの眠る病室に入る。
彼は鎮静剤で眠ってると依冬が言った。
髪の毛がボサボサになり疲労を感じる依冬はジッとシロを見たまま動かない。
「一旦帰れ…」
俺がそう言うと忌々しそうに俺を見上げて言った。
「何してたんだよ…今までどこに居たんだよ…なんでシロの電話に出なかったんだよ…どうしてシロをこんな目に合わせるんだよ…!」
最もだ…何も言えない
「もう、帰れ。何かあったら連絡するから」
放心して憔悴した依冬を家に返す。
このままここに居ても俺に苛つきどんどん荒むだけだと思ったから。
きっとシロはそれを望まないから…
「目を覚ますと自傷するかも知れないからって…先生がいつでも鎮静剤が入れられる様にしてあるって言ってた。」
…あぁ…なんて事だ
「分かった」
短く返事して背中で依冬を見送った。
ベッドサイドに立って彼を見下ろす。
ベッドに眠る彼はいつもの寝顔と変わらず、スヤスヤと眠る子供のようだ。
いつ目を覚ましても側にいてやれる様に、彼の手を握って側の椅子に腰掛けた。
脳震盪で運ばれた日を思い出す。
あの時は目を覚まして笑ってくれた。
今回もきっと俺を見れば…
膝の上に置いた手を強く握って爪を食い込ませる。
この子にとって自分は兄貴の代わり…
分かっていた…
勇吾に惹かれてることも気付いていた…
勇吾の変わり様はあの子に骨抜きになった証拠だ…。シロは…勇吾の不器用な愛に感化されたのか…近づいて触れて…痺れていた……
それが許せなかった…
あの子があいつと居る事が許せなかった。
あの時もぶん殴って殺してやろうと思った…
間違ってシロを巻き込んで吹っ飛ばしてしまった時のあいつの顔が許せなかった。
シロに何すんだよっ!だと?
お前は勝手に俺の役を取るのかよ…
突然現れて横から奪う様にして、シロに何する!だと…笑わせる。
あの子は俺が守ってきた…
あの子は俺がいないとダメなんだよ…
勇吾を庇う姿に苛ついた…シロを殺したくなった。俺以外の男に…勇吾に恋してるみたいに庇って…触れて…笑って…!!
今日もきっと抱かれたんだ…
あいつに抱かれたんだ…
首元のキスマークを見て苛立ちと怒りが込み上げた…彼を追い詰めて問いただした。
俺に背中を向けて逃げる彼を見て
終わったと思った…
俺の役目が終わったと…
その場に留まれなくて…悲しすぎて、店を出た。
携帯を切って打ちひしがれていた…
あの子には俺はもう必要ないなんて…
認めたくなかった…
勇吾にはお前を守ることなんて出来ないのに…
お前の兄貴は俺しかいないのに…
こんな事になるなら…
恋くらいさせてやればよかった…
かわいいあの子に一時だけでも俺以外の誰かと…
AM6:00
気づくと窓の外は明るくなっていた。
うっすらと目を開けてシロが目を覚ました。
虚ろな目は薬のせいなのか空虚で…まぶたが重そうだった。
微かに見えるシロの目は淀んで…まるで…子供の頃の…虐待を受けていたあの時の目だった。
シロがおもむろに手に刺さる点滴の針を抜いた。
その様子が全く躊躇なくて非現実的すぎて…声をかける喉が震えた。
「シロ…?」
シロはそのまま針の持ち方を変えると、自分の腕に何度も突き刺し始めた。
ブスブスと音を立てて、目の前で、死んだ目をしながら、自分の腕に何度も何度も針を刺すんだ…!
こんな最悪な光景を見せつけられて、俺は泣きながらあの子の手を止めてナースコールを押した。刺した場所がまるでゴムみたいにブヨブヨして血が滲む。
頭がおかしくなりそうだ…
看護師が彼の手の中の針を取り上げて、新しいものに取り替えると反対の腕に刺し直して鎮静剤を入れた。
針を散々刺した腕の処置をして彼の手は拘束された。
シロは壊れてしまった…
俺が壊してしまった…
処置を受けた包帯の上を撫でる。
拘束された手首を撫でて手を握る。
「こんな衣装…付けてたな…」
ポツリと呟いてシロの踊る姿を思い出し、口元を緩ませた。
PM1:30
あの光景が目に焼き付いて未だに震える。
狂ってしまったシロの髪を撫でる。
柔らかくて細い髪はフワフワといつもと変わらない…
オレの慣れない髪色に変わっていて別人なら良いのにと思い彼をみると目を開けて体をむくりと起こした。
死んだ目と目が合って震えた。
「…シロ、俺はここにいるだろ…」
精一杯声を出して彼を呼ぶ。
戻ってこい!
シロ!戻っておいで!
もう離れないから…
彼は死んだ目のまま涙をボロボロ溢した。
その後前触れもなく舌を噛んだ。
ゴリっと音がして口から血が溢れる…
「シロ……!!」
気道が血で塞がらない様に体を横にして、彼の血だらけの口に手を入れてナースコールを押す。
「シロ!死ぬなよ!死ぬなよ!」
泣きながらあの子に縋るけど、虚な目は色を失ってガラス玉の様に見えた。
PM5:00
「意識が戻ると危険なので、しばらく鎮静剤で寝かせて傷の治りを優先させます。お疲れでしょうから…一度自宅に戻られてはいかがですか?」
医師の説明では、彼は突発的な錯乱状態で、落ち着くまで自傷が続く恐れがあるとのことだった…
傷の回復を待たずに精神科への転院を提案され、それに従うことにした。
手に付いた彼の血が乾いて手を引きつらせる。
…なんて事だ…
ストリップバーも辞めるしかない。あの子の唯一の場所であり生きがいの踊りも踊れなくなるだろう…狂気に飲まれたあの子が元に戻ると思えない…もう一緒には暮らせない。
もう笑わない…もう話せない…もう触れない…
俺が壊してしまった…
シロの状態の悪さに狼狽る。
俺がいれば元に戻ると…落ち着いてくれると思っていた…。
状況はそんな生ぬるいものでは無かった。
俺を認識するどころか自分を殺しにかかっているかの様に…目を覚ます度に死のうとする。
なんて事だ…
脆いと知っていたのに…俺は知っていたのに…!!
車に戻って顔を両手で覆い声を出して慟哭する
なんであの時置いて帰ったんだ…!!
あんな事したら動揺するって分かってただろ?
あんな状態で置き去りにして…
簡単にどうなるかなんて予測できた筈なのに…!!
俺のせいだ……
PM6:00
家に戻ると勇吾が憔悴した様子で待ち構えていた。
俺の体についた血を見て掴みかかってくる。
「俺はもうお前の対応ができる状態じゃないんだ…2人ともホテルに戻ってくれ…」
俺の様子からシロに何かあった事は察してる様子で詳しく知りたいんだろう…懇願する様に俺に聞いてくる。
「シロは?あいつはどうしたんだよ…それ、誰の血だよ…桜ちゃん…教えてくれよ!」
俺はどす黒く変色した手を眺めて言った。
「あの子の血…シロはもう戻らないよ、ここにいても戻らない。壊れちゃったから…」
俺が壊しちゃったから…
オレは勇吾にもたれて泣き崩れた。
「お前に…あの子を渡せばよかった……!こんな事になるならっ!お前に……!!」
俺の肩を掴んで引き剥がすと強く揺らして言う。
「シロに会わせてくれよ……!」
勇吾の顔を見る事ができない…
なんて事をしてしまったんだ…
死んでしまいたい…
でも
もしあの子が戻った時に自分が死んでしまっていたら…
あの子は兄貴を2度も失う事になってしまう…!!
俺は……死ねない
勇吾は何も話さない、話せない俺に飽きたのか…肩を掴む手を力なく下に下ろした。
立ち尽くす勇吾を残してシャワーを浴びに行く。
血だらけの服を捨てシャワーを浴びる…
あの子とよく一緒に入った浴室…
一緒に入って体を洗って…笑った顔にキスするのが好きだった…可愛い笑顔に…頬に触れて…
もう2度とここであの子を見ることはないと落胆し、膝から崩れ落ちる。排水口に流れる水が俺の体に付いたあの子の血を流して行く。
流れるなよ…染み込んで行けよ…
俺から離れていくなよ…
「シロ…!シロ……!助けて…シロの兄ちゃん!助けてくれよ…!あんたの代わりにあの子を守らなきゃダメなのに…!俺のせいで…!俺のせいで…!」
シロを失った兄貴もこんな気持ちだったのかな…
同情するよ…でもあんたは死を選んじゃダメだったんだ…
あの子のガラス玉の瞳が頭から離れない…
誰か…助けてくれ
あの子を助けて…
「シロ…今日は天気がいいよ」
カーテンを開けて虚ろな彼に陽の光を当てる。
目を細めて外を見る姿に心が喜ぶ。
あれから既に2週間以上過ぎた。
俺はいつもの様に仕事をしつつ、手厚い精神科の病院を依冬が手配して彼を転院させた。薬で意識は混濁しているが、薬のお陰なのか自傷をする事は無くなった。
いつも夢見心地で過ごす彼は、穏やかだが…どんどん別人になっていく様で…恐ろしかった。
「歯磨きしよう…」
口を開けさせて歯ブラシをかけてあげる。
舌の傷は少し変色を残して塞がった。
勇吾と夏子はコンサート真っ最中だ。
シロを気にかける勇吾が茫然自失となってしまい、一時仕事ができる状況では無くなった。やむなく依冬が事態を説明し、この状況を知る事となった。
勇吾は俺を殴る事もなく、ただ静かに泣いて塞ぎ込んだ。
夏子は前向きで、またシロ坊は踊れるって言っていたが…そんな望みは彼を見れば消えるだろう。俺を励ますために言ったのか…勇吾を励ますために言ったのか…
シロの口に水を少し含ませて手に持った入れ物に出させる。
顔を拭いてあげて乾いた唇にリップクリームをつけてあげる。
所々皮がむけてきてしまっている…
「シロ…また夜に会いにくるね…何か食べたいものはない?」
痩せてしまった頬を撫でて聞くが、彼の視線は俺にはあてられることはない。
ぼんやりと壁を見つづける。
またくるね…そう言って頬にキスして部屋を後にした。
PM7:00
シロの働くお店に復帰の予定が立たない事を伝えた。
俺の独断で彼はストリッパーを辞めた…
生きがいの様にいつも新しい踊りを考えていたのに…キラキラ輝いて最高のショーをしていたのに…こんな幕引きになるなんて…
店内のカウンターに彼が座っている気がして探してしまう。
ショーの時間に店内が暗くなり、カーテンの向こうから彼が出てくる気がして待ってしまう。
シロ……
そのまま店を後にして病院へ向かう。
気に入っていた店のプリンを買ってお土産にする。
部屋には依冬が来ていてシロの体を拭いていた。
少し痩せて筋肉が落ちた気がする…
綺麗に拭いてパジャマを着せる。
「シロ…プリン買ってきたよ」
そう言ってプリンを袋から出すとストリップバーで間違って入ってしまったのかシロの足元にチップがハラリと1枚落ちた。
「あ…お店行ったの?」
「ん…」
「何だって?」
「泣いてた…」
そっか…と依冬が呟いた。
シロはチップを拾って掌に乗せて眺めている。
よく店をあがる時に沢山のチップを支配人に換金させて笑っていたね…
お前に口移しで渡すチップは最高に官能的だったな…
「シロ…」
彼の手からチップを取って口に咥えて見せると俺の方に顔を向けて見た。
体を傾けて俺に顔を近づけると震える口をゆっくり開けて近づいてくる…
「シロ…分かるの?」
依冬が後ろから嬉しそうに話しかけてる。
そのまま俺の口からチップを咥えて取ると、客にする様にニッコリと微笑んだ。
久しぶりに見た彼の笑顔にクラクラする。
しかし、すぐにまた無表情に戻りぼんやりとガラス玉の目で暗い窓の外を眺めた。
「これって反射かな…?ふふ、シロらしいな。」
笑顔が相変わらず可愛くて馬鹿みたいに喜ぶ気持ちを抑える。
後ろで見ていた依冬の鼻をすする音が聞こえる…
そうだな、俺も泣きそうだよ…
「ほかに無いかな…シロが反射的にする事…」
依冬がそう言ってシロの頭を撫でる。
勇吾なら分かるのかな…
俺には思いつかないよ…
買ってきたプリンを開けてスプーンで掬う。
「あーん」
と言うとシロは口を開けた。
プリンを一口食べると気に入ったのかこちらを見る。まるで赤ちゃんみたいだ。
もう一掬いしてあーんと言う。
表情は読めないが美味しそうに頬張る彼が見える気がした。
「ここのプリン、好きだったから喜んでるのかな…」
俺が言うと依冬がまた鼻をすする。
「シロ、美味しい?」
俺が聞くと俺の方を見てぼんやりとする。
可愛くてたまらない…
不謹慎だが…本当に、不謹慎だが、彼がこうなってしまいオレの給仕を受ける姿を見る度に喜びを感じてしまう自分がいる。もともとシロの世話を焼くのが好きだったが、そうじゃない…、もっと抱いてはいけない感情…彼を独占して…支配している…
優越感…
勇吾には出来ないだろ…こんな事、あいつには出来ない。壊れたお前を愛して、尽くして、独り占めして…優越感を持つなんて…。腐ってるよな…
それでも俺はお前を独占しているこの時間が幸せに思えてしまうんだ…
お前が壊れて…喜んでるみたいで…自己嫌悪するよ…
だから誰にも知られないようにそっと胸の奥にしまい込む…こんな気持ちは見せてはいけないものだから…
「明日は勇吾を連れてくるからね」
俺が話しかけると俺の方を向く様になった…
それとも勇吾の名前に反応したの…?
どちらでも良い…
愛してるよ
病院を出て立ち止まって依冬と話す。
「このままシロがあの状態だったらどうする?」
依冬に聞くとあいつは俺を見て、別に…と言った。
「シロがあのままでも構わない…生きててくれたらそれで良い…もっとシロが反応する事やってみるべきだよ…例えばシロの大好物を食べさせるとか」
食い気味に言う依冬とは反対に、俺はあの子に刺激を与える事に臆病だった。
また…自傷し始めたら…あの目に戻ったら…?
せっかく落ち着いてきたのに…
日に日に別人になっていくシロを見て、依冬の焦る気持ちも理解できた。
「桜二…明日卵焼き作ってきてよ。お前の卵焼きはシロの大好物だから」
依冬の一言に心が動揺した。
あぁ…まじか……
怖い、怖いんだ…
あの子の扉をノックするのが怖い…
またあの目を見るかもしれないと思うと怖い…。ガラス玉の様な空虚な目。
警察の資料で見た子供の頃のシロの目…。
あの時思ったんだ。もしこの子がまたこんな目をしたら…俺はどうしたらいいか…と。杞憂で終わると思っていた事が今、実際に起きて…俺は彼のあの目を見て震えてしまった。恐ろしかったんだ…あの本当に…空っぽの目が。
あの子の兄貴はそれに色を付けて生き返らせ…愛した。
…どうやったって、敵わない…
俺は明言する事なく依冬と分かれて家に帰った。
部屋に戻って電気をつける。
あの子がいつも座っていたソファに腰掛ける。
「シロ…ただいま。今日はどうだった?俺は仕事頑張ったよ…一緒にシャワー入ろう…おいで」
見えないシロと会話して正気を保つ。
ベッドの上に横になって隣に彼がいる事を想像して正気を保つ…
覆いかぶさって俺に甘える彼を思い出す。
今はいない…
現実に引き戻されそうになって堪える。
「シロ…眠れないの…?おいで」
彼を抱いてるつもりで布団を抱きしめる。
ここでの彼との思い出が多すぎて…彼のいない空間を耐えることができない…
下手すると俺も潰れそうだ…いや、もうゆっくりと潰れていってる気がする。
明日は土曜日…朝から勇吾を連れて病院へ行く予定だ。本当は明日ロンドンに戻る予定だったが来週末に延期したそうだ。
シロがああなって、はじめての対面に勇吾が耐えられるのか…と言う不安と、もしかしたらシロが戻るかもしれないと言う期待の半々だ。
俺じゃなくあいつの存在で彼が元に戻ったとしても嫉妬したりしない…
あの子を助けてくれるなら…
誰でも、なんでも…良いんだ…
「シロ、兄ちゃんと遊びに行こう」
「…ん」
まだ小さいオレを連れて兄ちゃんはひたすら歩いた。疲れて足がもつれて転ぶと兄ちゃんがおぶってくれた。
「にいちゃ、あれ」
背中に負ぶされる幼い自分を上から見下ろす。
目の前の公園の遊具に興味があるのか、小さな手を兄ちゃんの頭の横から出して行きたいと伝える。
かわいいな…
「あれ、乗りたいの?」
「ん」
兄ちゃんは小さなオレを遊具に乗せると落ちない様に中腰になって体を支えて遊具を足で揺らした。
「シロ、ちゃんと掴んで無いと落ちちゃうよ!」
そう言ってオレの手を掴んで遊具の持ち手に乗せると、上からギュッと握ってオレに教えた。
兄ちゃんが頑張って揺らしてくれてるのに、笑いもしないで揺られる不自然な幼児…。
それでも兄ちゃんには笑い声が聞こえるみたいで、笑顔で遊具を揺らしてる。
「面白かったの?良かったね」
そう言うとオレを抱っこして違う遊具に乗せる。
周りの子供と違う…笑わない子。
そんなオレに笑いかけて遊ばせる兄ちゃん。
兄ちゃん…
「シロ、今日は何食べたい?」
「…カレー」
「おい、こっちに来いよ」
嫌な記憶だ…こんなの思い出したく無いのに…
記憶にしては鮮明に映る。
「今からご飯だから…やめて下さい」
「っるせんだよっ!」
兄ちゃんが男の影に入った瞬間引っ叩かれた音がして横に吹っ飛んだ。
「やめて…やめて…」
兄ちゃんを守りたくてオレは男の手を握った。
ふすま一枚隔てた奥で幼いオレは男の相手をする。
兄ちゃんは正座したまま震えてその声を聞いてる…硬く結んだ手の甲にいくつも涙を落として、丸まった背中に憤りと悲しさが見えた。
オレはそばに行って兄ちゃんを抱きしめて揺らす。誰かがしてくれたみたいに大丈夫と小さくつぶやきながら優しく包む。
男がふすまの向こうからズボンを上げながら出てきて、兄ちゃんを蹴飛ばして家から出ていった。
兄ちゃんはすぐに奥で震えるオレに駆け寄って風呂場に連れて行く。
「にいちゃん…打たれたの…?痛い?」
小さなオレが兄ちゃんの頬を撫でる。
嗚咽を漏らして泣きながらオレの下半身にシャワーをあてる後ろ姿に自分の頬に涙が伝うのを感じた。
兄ちゃん
「シロ、宿題見てあげるよ」
「にいちゃんがやって?」
「ふふ、それじゃダメじゃない。シロがやらないと意味がないだろ?」
「オレ高校出たら働くもん。勉強しても役に立たないよ?それよりさ、もっと楽しいことしたい」
「…シロ、ダメだよ…良くないよ」
「なんで?にいちゃんも気持ちよかったでしょ?」
…兄ちゃん
兄ちゃんの股間をさすって大きくさせてる自分の後ろに立って兄ちゃんを見る。
「あ…シロ…ダメだよ…やめて…はぁはぁ」
「舐めたいよ…にいちゃん…舐めても良い?」
兄ちゃんのズボンを下げて口で咥えて扱き始める。どんどん兄ちゃんの息が荒くなっていってスイッチが入った様にオレの体を求め始める。
「あははは、だから言ったじゃん。楽しいことしようって!どうして最初嫌がるの?分からないよ、オレの事…抱きたい癖にさ」
そのまま絡みつく様に愛し合う2つの体を眺める。
兄ちゃんの揺れる背中にキスして頬をつける。
あんたが大好きだった…今でも…
兄ちゃん…
橋の上に兄ちゃんと知らない女がいる。
…あの時だ……
兄ちゃんと女がキスしている。
あの時のオレの姿はない。
今のオレは兄ちゃんに近付いて行って、スッと背中に触れて声をかけた。
「にいちゃん…帰ろう」
「シロ……うん、帰ろう」
そう言って驚いた顔をする兄ちゃんを女から離して並んで家路を歩く。
「にいちゃん、今日のご飯は何?」
俺が聞くと兄ちゃんは笑って、カレー。と言って、買い物袋を持ち上げてオレに見せた。
「オレらっきょ嫌い!」
オレがそう言うと兄ちゃんが笑って、らっきょ買ってないよ。と言った。
そのまま団地について階段を上り、兄ちゃんがポケットから鍵を出す音がいつものタイミングでジャラッと鳴った。
部屋の鍵を開けて中に入る。
テーブルに袋を置いてオレにキスするとすぐご飯の支度を始める。
「兄ちゃん…卵焼き食べたいよ。作って?」
「ん?良いよ、ちょっと待ってね。」
卵焼きを作る音がする。
卵を3つ割って…ボールの中をかき混ぜる。
フライパンを火にかけて卵を流し入れる。
3,4回それを繰り返してじっくり外側を焼いていく…
兄ちゃんの後ろ姿が誰かと重なる…
コトンと置かれた皿の上に卵焼きが4つ並んでいて、渡された箸で掴んで口に運ぶ。
「シロ…美味しい?」
「ん?なんか違うな…兄ちゃんいつもの卵焼きじゃないよ?これは少し、甘い…」
「兄ちゃんはいつも通り作ったよ?」
そうなんだ…なんか思ってたのと違う…
きっと……と兄ちゃんが洗い物しながら言う。
「桜二くんの方が料理がうまいんだよ。」
桜二…
「誰だっけ」
オレがそう呟くと兄ちゃんが後ろを軽く振り返りながら話す。
「兄ちゃんより大切な人だろ」
そうだっけ…
あぁ…思い出した
「桜二はもう居ないんだ…オレが他の男に惚れたから…居なくなっちゃったんだ」
手元の卵焼きを見ながら兄ちゃんに教えた。
「そうなの?そんなはず無いけど…」
兄ちゃんはカレーの材料を下ごしらえしながら話し続ける。
「兄ちゃんが連れてったんじゃないの?」
笑いながらオレが聞くと、振り向いてこう言った。
「シロを悲しませる事なんて俺は絶対しないよ」
死んだじゃ無いか…首を吊って…
オレの前から突然居なくなったじゃ無いか!!
呼吸が苦しくなる…
兄ちゃん…
こちらを見て笑うと兄ちゃんは、また反対を向いてカレーの下ごしらえを続けた。
まな板の音がトントンと耳の奥で鳴り続けた。
「おうじ…」
自分の声が上手く出せなくて驚く。
舌が麻痺してるみたいに動かしづらい…
目の前に卵焼きが置かれていて、オレはそれを摘まんで口に入れた。
「あっ…この味だよ!やっぱり桜二は兄ちゃんより料理が上手なんだ!」
唇もカサカサだし、体に力が入らない…頭が重くて最悪だ…
周りを見ると、どうも病院にいるみたいだし…
目の前の桜二に聞く。
「オレなんでこんなとこに居るの?」
オレが聞くと桜二は顔を歪めて、笑ってるのか泣いてるのか分からない顔でオレを凝視してくる。
「あはは!すっげぇブスだな!」
オレが言うとオレを抱きしめて泣き喚く。
耳に響いて煩くて体を退かしたいけど力が入らなくて…なすがままにした。
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