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重厚なマホガニーの執務机の向こう側で、黒い革張りの椅子に腰かけた男が低い声で唸るように口を開いた。 「――これは面白い」 手に持った書類を眺めながらゆっくりと椅子を回転させたのは、静寂の中にも野望を抱く鋭い眼光の持ち主――セロン・ミラードだ。 年齢は三十三歳と公言しているがそれは定かではない。目を惹く長身とがっしりとした体躯、それに加えて落ち着いた端正な顔立ちはそれ以上にも見える威厳を放っている。 街の中心部にある高層ビルが立ち並ぶオフィス街に自社ビルを持つミラード製薬のCEOであり、このJ・イーストの経済危機を救った人物の一人だ。 そう――彼はバンパイア一族なのだ。イギリスを拠点に企業を立ち上げ、今や世界経済の核ともなりうる存在。 中世から続く由緒正しき家柄も、爵位もない彼は、いわば成り上がりの一族と言っても過言ではない。 多種多様なジャンルの企業展開の中で、彼が今もっとも力を入れている事業が製薬の開発・製造だ。 若者を中心に手軽にバンパイアの擬似体験が出来ると、ミラード社が発売したドラッグは大々的な広告を出すことなく口コミだけで拡散し、今では品薄状態が続き、一部では高値で取引されている。 しかし、そのドラッグはあくまで快楽を得るためのもの……という嗜好品レベルではなかった。 少しずつではあるが成分を変え、今に至っては依存性が高く、人間が服用することでその理性を破壊する。 各地で起きている連続殺人の引き金となっているもの――それは紛れもなくミラード社が開発したものだ。 それほど問題のある薬を売り出して、なぜお咎めがないのか。 理由は実に簡単なことで、この製薬会社が製造したことが公にされていないからだ。 財政破綻を救済したということで国側としてはセロンに頭が上がらない。それを逆手に取ったともいえる。 「――こんな夢のような話の出所はどこだ?彼一人でどれだけのモノが作れる?」 机を挟んだ対面に立つスーツ姿の男を上目づかいで見上げる。 その眼光は鋭く、見据えられれば決して逃げられない。まるで猛禽類のそれだ。 しかし、そんなセロンの視線に慄く事もなく男は淡々と答えた。 「当社開発部研究員からの調査で浮上した話です。どうやらその該当者というのが東都総合病院に勤務する者のようです。あそこの薬剤部は国から委託されて更生施設に薬を入れていますから。生産量ですか?――成分を抽出して保存することが出来れば無限に製作は可能です。これほど貴重なものを無駄に使いたくありませんから、わずかな量で量産出来れば、彼が生きている間はいくらでも……。ただ、今の薬と併用した時の副作用がどうなるか……」 「そんなもの、その辺の若造で試せばいいことだろう?幸い、あいつも実験段階だがまだ捕獲はされていないようだし」 「その件ですが……どうも公安の方が騒ぎ始めているようです。あれだけ被害者が出れば躍起になるのも無理はありませんが……。それに、こちらでもコントロールが難しくなっています。ここはいっそ見切られた方がよいかと…。新たな手法を試すには失敗作の排除も大事なことでは?」 ゆっくりとした動作で書類を机に置きながらセロンの様子を伺うようにわずかに首を傾けた。 セロンはちらっと男を見上げて、顎に手を当てて少しの間考えていたが、掠れた声で「そうだな」と微笑んだ。 「人間への被害を危惧したとして、同族が制裁を下しても皇帝からの罰則はないだろう。人間との共存を打ち立てている方だからな……。それに国家上層部も文句は言うまい。この俺が直接手を下すんだからな。――アルフ、ヤツを消せ。用済みだ」 「――分かりました。至急手配いたします」 胸に手を当てて深く頭を下げた男――アルフ・メイシーはセロンの秘書を務めている。 実際のところ、秘書という小さな括りだけではなく、セロンの専属執事としてミラード家に仕えている。  艶のある綺麗な茶色の髪は嫌みなくセットされ、誠実そうな目はまるで闇のように黒い。 獰猛な雰囲気を持つセロンとは対照的に、穏やかで物静かな印象を受ける。まるで猛獣使いだ。 ふとセロンは何かを思い出したかのように書類から顔を上げると、薄い唇を歪ませた。 「アルフ、アイツにだけは気付かれないようにしろ。いろいろと面倒なことになるからな」 ビルの最上階にある社長室を出ようとしたアルフはその声に振り返ると、肩越しに優雅に微笑んで見せた。 「分かっていますよ」 その笑みはまるで恋を仕掛ける相手を見定めるかのように楽しげで、また艶を含みながら誘っているようにも見える。アルフの微笑みには男女問わず虜にする力を秘めている。 その表情に満足したのかセロンもまた口端を片方だけ上げて微笑む。 「その顔、俺以外の誰に見せる気だ?」 「どなたにも――ですよ」 クスッと笑って見せたアルフはドアの向こうに消えた。 その後ろ姿を見送りながら、セロンはゆっくりと渇いた唇を舐めた。

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