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――いい加減、その気障な眼鏡を外したらどうだ?」 薄暗い部屋のソファに腰掛けたまま足を組みかえたレヴィが、あからさまに嫌悪感を示して、苦笑いをしながらテーブルを挟んだ向かいに座る男に言った。 「意外と似合ってない?自分ではイケてると思うんだけど……」 悪びれることなく、軽い口調で言い返した青年は眼鏡のブリッジを中指で押し上げて、ワックスで固めた金色の髪をぐしゃりと指で解いた。 帰宅ラッシュで混雑する駅のホームで倒れ、あわや入線した列車に轢かれそうになった那音を間一髪のところで助けたのは彼――ルーク・ダルトンだった。 周囲の人々の好奇な目に晒されることを避けながら彼を救うことが出来たのは人外である彼の成せる技だろう。 彼の瞬発力と運動神経は持って生まれた狼一族の能力だ。 万能と言われるバンパイアには劣るが、聴力も嗅覚も、そして並はずれた身体能力はまさしく狼のそれだ。 ホームに倒れ込んだ那音を抱き、間一髪のところで列車の眩いライトの光に紛れてその姿を消した。 そして――ここ、レヴィ・アルフォードの邸へと運んだのだ。 レヴィは、形のいい薄い唇に挟んだ煙草から上がる紫煙に目を細めながら、まんざらでもないという表情のルークを見つめた。 「――そう思っているのはお前だけだ」 なかば呆れ顔で大袈裟にため息をついたレヴィにムッとした表情を見せたルークは、渋々銀縁の眼鏡を外した。 「たまにはさぁ、お世辞でも人を褒めるとかしないの?褒めたことないよね?どんだけ自分が完璧だと思ってるわけ?まったく――ノリスが可哀想になってくる」 「褒める要素がなければ、ただの慣れ合いだ。俺は好きじゃない」 「俺はともかくとして、ノリスぐらいはさぁ、時に褒めてあげなよ。お前みたいな偏屈男に三〇〇年以上も付き合ってるんだから。俺だったら絶対に耐えられない……」 「お前にこの邸を任せるつもりはないし、俺の世話をしろと頼む気もない」 忌々し気に口元を緩めたレヴィに、ルークは「やれやれ」と両手を上げてみせた。 これほど傲岸でオレ様な彼に長年付き合っているノリスに同情しつつも、密かに感謝していた。 ノリスがいなかったら。今頃この男は権力をただ振りかざし、暴虐の限りを尽くしていただろう。 まして、財政が破綻したこのJ・イーストを自己資産を使って救済しようなどとは思わなかったはずだ。 ルークはソファに体を預けて、手にしていた眼鏡をテーブルに投げた。 「――しかし、敵も随分と思いきった行動に出たもんだね。再検査と称していきなり五〇〇ccも血液を抜き取るなんて……。そりゃあ、いくら健康体だって貧血を起こさないわけがない。ノリスが教えてくれなかったら間に合わなかった……」 「抜き取られた血液は?」 「ご心配なく。今、ノリスに頼んで彼に還元中。もちろん使った機器も全部処分した」  言動には少々問題はあるが、信頼のおけるルークに見張らせておいて正解だった。  もしも、ほんの少し動くのが遅れていれば、この国は滅亡の道を辿っていたかもしれない――というのは、遺伝子学研究の第一人者である中沢(なかざわ)杏美(あみ)の言葉だ。  数日前、早朝にかかってきた電話にレヴィは正直困惑した。  “奥山那音という薬剤師を保護して欲しい”  その理由は多くは語らなかったが、レヴィならばすぐに分かるとはぐらかされた。  彼女の言い分は、彼の血が国家を揺るがす力を持っていて、国家救済者の一人であるセロン・ミラードがそれを狙っている可能性があるというものだった。 二十五歳の青年薬剤師が一体どんな血を持っているのかは分からなかったが、狙っている相手がセロンとなればレヴィも黙って見過ごすわけにはいかなかった。 この国の財政破綻を救済したのはセロン、狼一族のロニー、そしてレヴィだ。 金と権力を振りかざして、前々から悪い噂しか聞かないセロンが、また何かを企んでいることは薄々感じていた。 彼の目的は同じバンパイア一族であるレヴィの失脚。そうすれば狼一族のロニーと、この国を二分する勢力を持つことが出来る。 国内で現在経済的な面で優位に立っているのはレヴィの方だ。セロンにとってそんな彼は目の上のタンコブでしかない。早々に排除して、国の中枢機関と深く関わることが出来れば、ほぼ彼の支配下になるも同然だ。 「国の機関である東都総合病院にこんなチャラい医者がいると分かったら客足は遠のくだろうな」 「あのね~!言っとくけどっ!意外とバレないもんだよ。それに可愛い看護師としっかり合コンの約束取り付けてきたし。医者って結構イケるかも!――って、そんな話してる場合じゃないだろーが。彼が杏美が言ってた血の持ち主だってことはもう相手にはバレてるわけ。このまま放っておいたら、あいつらに血ぃ抜かれて飼い殺しだぞ。あんな美人ちゃん、滅多にお目にかかれないよなぁ。杏美が言ってた通りだっ」  那音を助けたことで、テンションが上がったルークが声を弾ませて話すのを、唇に挟んでいた煙草を灰皿に押しつけながら聞いていたレヴィは薄っすらと口元を緩ませた――が、目は笑っていなかった。 ルークは東都総合病院の医師を装っていた時の黒いコンタクトレンズを外すと、金色混じりの深海を思わせる青い瞳を彼の前に晒した。 狼一族の中でも高貴な血統の証だ。 「――セロンの奴、自分の血を使ったドラッグだけじゃ飽き足らず、今度は何をする気なんだ?杏美の言っている国家を滅亡させるかもしれないっていう彼の血を使って、また新たなドラッグをバラ撒くつもりでいるんなら、放ってはおけないだろ?今みたいな中途半端なドラッグ中毒者じゃなくて、人間を完全なバンパイアに仕立てるつもりなんじゃないのか?原料に使っているバンパイアであるセロンの血の含有量を増やせば、ドラッグ愛好者はおのずと奴の“隷属”として主に従う。兵隊が増えれば人間を制圧し、今は水面下で動いている魔物の存在を世に知らしめる。そうなれば暗にこの街を支配している三人のポジションにも大きく影響してくるだろうなぁ。まぁ、俺の親父はあくまでも中立を崩す気はないから、問題はお前だな、レヴィ……」 そう――ルークの父親であるロニー・ダルトンは狼一族の長であり、このJ・イーストを救った三人目の資産家だ。 といっても、彼は人間との共存を望むバンパイア一族皇帝に賛同し、あくまでも中立的な立場での資金援助を申し出たにすぎない。もしも、昔から何かと諍いの絶えないアルフォード家とミラード家との間に抗争が起きたとしても、自分の出資した領分は譲る気もないし、どちらかに加担するという事もないと、ハッキリ言い切っている。 しかし、息子であるルークはレヴィと幼馴染みであり、唯一無二の親友ということもあり、何かにつけてこの邸に出入りしている。実権を握っているのは父親であるロニーであり、ルーク自身はJ・イーストの財源援助などという面倒な話は関係ないと言い張ってはいるが、権力者の一人息子となれば逃げきるのは難しい。 「お前もここに出入りしていることが知れれば面倒な事になるぞ。相手はすでにアクションを起こしているんだからな」 「いざって時はお前が何とかしてくれるんだろ?お前の店の看板娘……もとい、ナンバーワンホストの身に何かあったら売り上げは今の半分以下だぞ」 レヴィは額に手を当てて大きなため息をついた。 (この男、どこまでお気楽なんだ……) ルークの楽観主義は今に始まったことではない。レヴィが父親であるセルディ・アルフォードから公爵の爵位を継承した頃――今から一〇〇年ほど前からはより顕著に、今に至っては完全なる楽観主義者になってしまった。 大型ワンコ(本人は狼なのだが)のように懐いてくる彼に対して、何かとレヴィが甘やかしていたせいもあるが、原因はそれだけではないようだ。 知的で何事においても冷静な判断力を持った父、ロニーの存在がルークに”ゆとり“を与えてしまっているようでならない。一族の統治に関与するでもなく、ロニーが経営する企業で社員として働くこともしていない。 その代わりに、なぜかレヴィが経営するホストクラブの店長兼ホストとして働いているのだから、ロニーとしては親の声に聴く耳を持たない道楽息子に半ば呆れ気味なのだ。 「――そう思っているのなら、それなりの働きをしろ。ったく……お前と話していると疲れる」 レヴィはゆっくりと立ち上がると、どこまでが本気でどこまでが冗談なのか分からないルークの相手を切りあげた。 「おい、どこに行くんだよ?」 「――お前が言う“美人ちゃん”とやらに挨拶でもしてこようか」 ルークはテーブルに置かれたワイングラスを掴んで一気に仰ぐと、野性味を帯びた鋭い瞳でレヴィを見上げた。 「惚れるなよ……」 ニヤリと笑う彼をレヴィは冷めた目で睨みつけると、それまで抑え込んでいた魔力を解き放った。 緩くウェーブのかかった銀色の髪が微かに揺れ、妖艶なアメジストの瞳が妖しく光った。 広いリビングには背筋を凍らせる冷たい空気が流れ、ピンと張りつめたような緊張感が漂う。 「――お前も面倒な女には気をつけるんだな」 細身の黒いボタンダウンシャツの襟元に添えたレヴィの指先には、鋭く研ぎ澄まされた長い爪が伸びている。 まるで西洋絵画から抜け出してきたかのような神々しささえ感じる悪しき者……その姿がそこにあった。 「はいはい。重々承知しておりますっ」 クッションに背中を預け、完全にリラックスモードに入っているルークは、敬礼を真似てこめかみに揃えた指先を押し当てた。 その様子を目の端に捉えながらレヴィは部屋を後にした。

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