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「――お前、やっぱり彼に惚れてるだろ?」
那音とノリスが部屋を出ていき、この建物内に二人の気配を感じなくなった頃、静まり返った部屋に垢抜けた声が響いた。
レヴィは銀色の髪を気怠げにかきあげながら、部屋の奥にあったドアの方を見やった。
オフィスルームへと続く木製のドアがゆっくりと開き、その枠に背を持たせかけたままニヤリと笑ったのはルークだった。
「立ち聞きとは悪趣味だな」
「聞きたくて聞いてたわけじゃない。静かにしていたら勝手に耳に入ってきただけだ。――お前、アイツの意思が読めないのか?」
細身のスラックスのポケットに片手を入れたまま、ゆったりとした足取りでレヴィの前に立った。
「相手は人間だぞ?」
「――今日気付いたことじゃない。この前も、そう……だった」
「あり得ない話じゃないよ。やっぱり血が特別なら、体質も特殊なんだろ?――ってか、お前は一体どういうつもりで彼を所有物にした?今の話聞いてると、ただあの血をセロンに渡したくないって躍起になってる感じじゃないよなぁ~。それに杏美に頼まれたからって、お前ほどの地位を持つ奴が安易に人間を“隷属”になんかしないだろ?それに……」
ルークは勢いをつけてレヴィの隣に腰掛けると、視線を伏せたままの彼を覗き込んだ。
視線から逃れるように顔をそむけたレヴィの表情は、わずかに落ちた髪のせいでハッキリ見ることは出来ない。
それでもルークはお構いなしに話を続けた。
傲岸で無類のオレ様であるレヴィが見せた態度に違和感を感じたからだ。
「――さっきの女たち、どういうつもりでこの部屋に呼んだ?いつもの食事だっていうんなら、なぜ血の匂いがしない?狼の嗅覚をナメんなよ。この部屋に入った時にすぐに気付いた。あいつらの香水の匂いで誤魔化そうとしても無駄だ。本当は、彼が来るって分かってて女を侍(はべ)らせたのか?一体、何のために?――彼女たちの記憶は消しておいたから。今は店に戻ってる」
矢継ぎ早に話すルークとは裏腹に、レヴィは黙ったままだ。
時折、長く伸びた爪を自分の腕に食い込ませるような仕草を繰り返している。
「――なぁ、女を見せつけることで彼の気持ちを試したのか?嫉妬するかどうかって……。最低だな、お前」
ルークは相手がどんな地位や権力の持ち主でであろうと歯に衣着せない物言いをする。
それはレヴィが幼い頃からずっとそうだった。自分を隠すことが苦手……と言うよりも嫌いなのだろう。
ありのままの自分を見せる表現の一つとして、思った事や感じた事はストレートに口にする。
レヴィは、そんな彼が疎ましく、時に羨ましく感じていた。
裏社会での交流は常に相手を敵とみなすところから始まる。一瞬の気の緩みから足元をすくわれるからだ。
J・イーストに資金を援助して、ただ領地を得ただけではない。それを維持し続けなければ意味がないのだ。
いつから周囲との接触を拒むようになったのだろう。父から継承した公爵位を武器にルークと無茶な遊びをした頃もあった。毎日が刺激的で楽しく、何も怖いものはないと信じていた。
――しかし、今は違う。
隙あらばセロンが自分の失脚を狙っている。そしてもう一つ、その脅威から守らなければならない存在がある。
「――今頃、気がついたのか?」
「常日頃から女も男もとっかえひっかえで遊んできたお前を最低だと思わない日はなかったよ。食事だけじゃなく性欲も満たしてくれる相手なら誰でも良かったんだろ?まったく……バンパイアって種族は自由奔放なクセにプライドだけは高い。だから同族同士の諍いが絶えない。ホント、メンドクセーよ」
ルークは上着の内ポケットから煙草を取り出すと、唇の端に咥えて火をつけた。
柔らかい紫煙が立ち上り、甘い香りが広がる。
「まさか……誘えば誰にでも足を開く連中と一緒の感覚で彼を所有したわけじゃないよなぁ?もしそうだとしたらお前の感覚疑うわっ!彼はまっとうな人間だぞ。杏美だってそう言ってただろう?そんな彼の人生を狂わせて、弄ぶだけだって言うんなら、俺はお前との縁を切る」
「――お前に何が分かる」
低く呻くように呟いたレヴィは、両手で顔を覆いながら項垂れた。
強気な彼が泣いているとは思わなかったが、これほど思いつめたような彼を見たことがなかったルークは少し戸惑った。
「那音を助けたのは杏美に頼まれ、彼の持つ特殊な血がセロンの手に渡るのが癪だったからだ。たったそれだけの事――のはずだった」
「――だった?」
「あの日、屋敷で初めて那音に会った時、なぜか胸がざわついた。決して餓えていたわけではないのに無性に欲情した。怯えれば薄まり、気持ちが落ち着けば甘く香る那音の血は彼の感情を顕著に露わしていた。これほどまでに素直な感情を持つ人間がいるのかと……。裏の世界では互いの腹の探り合いだ。隙を見せれば負ける。そんな日常の繰り返しで正常な感覚を失い始めていたのかもしれない。疑うことばかりで受け入れることはなかった」
レヴィはゆっくりと顔を上げるとルークに向き直った。
その表情は苦しそうで、同時に哀しげでもあった。
幼い頃から彼を知るルークが初めて見るその顔に息を呑んだ。
「レヴィ……」
「あの純粋な感情を宿す血を持つ彼を誰にも渡したくない……そう思った。俺が守るべきは血じゃない。那音自身だと気付いた。だが、それを伝えるには時間がなさすぎた。だから俺は……っ」
ルークは短く吐息すると、レヴィの肩に手をポンと置くと、短くなった煙草をテーブルの上の灰皿に投げた。
「ダイヤのピアスは護符がわり。そして……お前が交わした契約は”隷属”の契約じゃない。――そうだろう?」
やけに落ち着いているルークの言葉に、今度はレヴィが瞠目し息を呑んだ。
今まで誰にも明かしたことがなかった那音への想いをなぜルークが知っているのだろうか。
一番近くにいるノリスにさえ、この事は秘めていたというのに……。
ルークは、そんなレヴィを見ながら呆れたようにわざとらしく大きなため息をついてみせる。
「――ったく。何年親友やってると思ってんの?そんなことぐらいとっくにバレてるよ」
無造作にセットされた金色の髪をかきあげながらルークが微笑む。
深海を思わせる青い瞳が眇められ、妖しく光った。
「そうじゃなきゃ、この超多忙なオレ様がノリスと一緒に彼のこと見張ってたりしないって。いつセロンが狙ってくるか分からないし。当のお前は自分から動くことなんて絶対にしないし……」
そう言いながら立ち上がった彼は、緩んだネクタイとシャツの襟元を直しながらレヴィを見つめた。
光沢のある黒いスーツに身を包んだその体は、ホストにしておくのも勿体ないほど完璧に仕上がっている。
「あのさぁ、いつまで格好つけてんだよ。お前が常に気ぃ抜けないでいることは分かってるけど、ちょっとだけ肩の力抜いて周りを見てみることも大事なんじゃなの?それに、彼だったら分かってくれると思うんだよね。さっきもまんざらな雰囲気じゃなかったし……。お前が今必要なのは甘えられる存在だと思うわけ。そろそろ自分を閉じ込めてる牢獄から脱出を試みてもいい頃じゃないの?そうじゃなきゃ彼は守れないよ」
決して格好をつけて話すわけじゃない。かといって説教臭いわけでもない。何気ない世間話の延長のような、ごく自然な雰囲気で話すルークに、レヴィは自嘲気味に唇を綻ばせた。
「そうだな……」
「言っておくけど!俺はお前を格好いいなんてこれっぽっちも思ったことないからっ。今更じゃね?それに……何の解決もしないまま、お前に飢え死にされても困るしっ」
野性味のある表情で軽くウィンクしたルークは、両腕を頭上に突き上げて大きく伸びをすると、メインのドアの方へ歩き出した。
「さーて、お仕事でもしましょうかっ!」
柔らかなムスクの残り香がソファに残っている。
レヴィは、まるで眩しい物でも見るように紫色の目をすっと細めて、綺麗な唇を綻ばせた。
「――お前には勝てないな」
ボソリと呟いた低い声に勢いよく振り返ったルークは片方の口角を上げて挑戦的に笑った。
「それ――お前が言ったらヤバいだろ?」
国を動かし、裏社会を統べる男が安易に口に出して言い言葉ではない。
ルークとて、この国を支援したロニー・ダルトンの一人息子なのだ。幼馴染とはいえ、いつ何時敵に回すことになるか分からない相手に、早々に敗北を認めるような発言は迂闊には出来ない。
ルークは、肩を揺らして声をあげながら笑って部屋を出ていった。
彼の事はなぜか今まで一度も疑ったことはない。互いに腹を割って話し合える親友だと思っているからだ。
それに、根っからの楽観主義者であるルークが、いきなりキナ臭い国盗り合戦に口を挟んでくることもないだろう。
彼がこの国を治めることに関して何かしらの助言をするようになったら、彼の父であるロニー・ダルトンに何かが起きた時だ。そうなれば国内の均衡は崩れ、いろいろな面で面倒なことが起きてくる。
しかし、今はそこまでの深読みは不要だろう。
レヴィは、ルークの後ろ姿を見送りながら長い脚を組み直すと、じわじわとこみあげてくる笑いに耐えきれず肩を揺らして笑った。
誰もいない広いVIPルームに彼の笑い声だけが響いていた。
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