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数日前――。 那音は高級外国車の後部座席に座り、窓に流れる景色をぼんやりと見つめていた。 レヴィの店をあとにした那音は、さっき自分が抱いた感情を上手く消化出来ずにいた。 一瞬でも彼を欲しいと思った自分がいたことは否定できない。でも、それを素直に受け入れずにいた。 「――那音様」 運転席から聞こえた落ち付いた声にふと顔を向ける。 「このような事を申し上げるのはおこがましいと思いますが……。先程“誰にも迷惑はかけない”と仰られましたが、まさかご自分で命を絶つおつもりですか?」 ルームミラー越しに那音を見るアーバンの優しい瞳が心配そうに揺れる。 ハンドルを握っていたノリスの言葉は、那音の心の内を見透かしているように聞こえて唇を噛んだ。 那音は、真剣に考えて自分なりに出した答えをいきなり否定されたような気がして、少しイラついた声で返した。 「――他にどうしろと言うんですか?」 那音のあまりにも短絡的な決意にノリスは小さく吐息した。 前方を見据えながらも、後部座席に座る那音にも気を配る。ここでレヴィに許可を得ることなく核心に触れていいものだろうか……とノリスの中では葛藤が繰り返されていた。 しかし、自らそういった話をすることを嫌うレヴィの想いを察すれば、影の存在として生きる自分が那音の自殺をくい止めなければならない。 ハンドルを握る手が白い手袋の中で汗ばんでいる。これほど神経を使った事が今まであっただろうか。 「もしも、あなたが命を絶てばこの国の均衡は崩れます」 「――え?」 自分の命を絶つことはあくまでも個人的な思いからだ。それがなぜこの国に関係してくるのか。 那音は率直に質問を投げかけた。 「俺の命がこの国にどう関わってくるんですか?」 ノリスは巧みにハンドルを切りながら、自分を落ち着ける意味も含めて、努めて柔らかい口調で話し始めた。 「――これから耳にすることは私の独り言だと思って下さい。このJ・イーストは急激な高度成長の結果、大きな財政破綻を招いたんです。それを資金援助と統治を条件にヨーロッパでも由緒ある魔族が莫大な資産を提供し、その危機的状況を救いました。一つはバンパイア一族アルフォード公爵家、一つはミラード伯爵家、そしてもう一つは狼一族ダウエル家。その三家がこの街を水面下で救い、統治しています。その中でも最も広い地域を統治し資金提供をしたのがレヴィ様です。しかし、古くからミラード家とは折り合いが悪く揉め事が絶えなかったのは事実です。今回、このような事もあり那音様を巻き込む様な形にはなってしまったことをお詫びいたします」 「レヴィから大体の事は聞いた……けど。あれはネットで出回っている噂だったんじゃ……」 「混乱を避けるために一般の方々には知られないよう水面下で行われたことです。これを知る者はほんの一握りの人間にすぎません」 ノリスは道路沿いのパーキングを見つけると、そこに入り車を停めた。 そして、後ろにいる那音を振り返るでもなく、前を向いたまま淡々と続けた。 「あの更生施設を国に依頼して作らせたのはレヴィ様だとお聞きに?」 「はい…。杏美さんも…」 「ええ。その杏美様からあなたを保護するようにご依頼を受けました。あなたの持つ特殊な血をミラード卿に悪用させないように……と。しかし、あなたは狙われてしまった。杏美様も……。今はまだ意識は戻ってはいませんが眠っておられます。ミラードの動きに危機感を覚えたレヴィ様はあなたを守るために契約を交わしました。あなたの承諾もなく強引な手段だったことは申し訳なかったと思っています。――ここで先の話に戻ります。その契約はレヴィ様と那音様を繋げるものです。ですから……那音様がもし命を絶つことがあればレヴィ様もまた無事ではいられません。契約の性質上、レヴィ様は今、あなたの血以外の物を口にすることは出来ません。あなたがいなくなればどうなるか……お分かりですよね?」 那音は息をすることすら忘れそうになるほど彼の話すことに集中していた。 彼にとってはわけも分からずに交わされた契約だったが、レヴィもまたリスクを負っているというのは初耳だった。 そのリスクは那音の何倍も高く、もしもこのまま那音に会えなくなるとしたら、レヴィの命は確実に削られていくことになる。 契約は互いの承認合意があって成り立つもの。しかし、急を要したとはいえ那音には納得のいかない事ばかりだった。 それでも、ノリスの話を信じようと思ったのは、主でありこの国の一部を統治する支配者であるレヴィのいない場所でこれほどまで事の詳細を語るなど、執事として決してあってはならない行為だと思うからだ。 本人があえて口に出さなかった秘密を、那音に告げることが許されるわけがない。 だから“独り言”として聞いてほしいと前置きしたのだ。 「レヴィ様の力が減衰すればミラード卿の思うがままの世界になっていくでしょう。それはいずれ人間界だけでなくバンパイア一族にも影響を及ぼします。現皇帝は過去にあったような卑劣な争いをなくし人間との共存を望まれてここまできました。体はあなた個人のものですが、それだけは分かって欲しいのです」 そっと目を閉じたノリスはわずかに頭を下げた。 ミラー越しに見る彼の表情は苦しそうだ。口に出すことも阻まれていたであろう真実を那音に告げることは、ノリスにとって苦渋の決断だったようだ。 ノリスのレヴィを思う気持ちの重さに、那音は砂を噛むような思いで声を発した。 「――少し、考えさせてください」 俯いたままの那音に、ノリスは再びエンジンを始動させ車を発進させた。 その後は互いに何も話すことはなかった。 それはおそらく、プレッシャーにもなりうる事実を知った那音への思いやりだったのだと今なら分かる。 自分はどうしたい? どうすれば、いい? 答えはもう……出ているはずだ。

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