10 / 14

(10) 男のプライド

「ただいま! 和希、今帰ったぞ」  先輩の声が聞こえてきて、オレはようやく朝になったことを知った。 オレがフラッと寝室を出て玄関が立つと、先輩のいつもと変わらない笑顔がそこに有った。 「なんだよ。いるんだったら返事ぐらい。ほら、これ、お土産だ!」 先輩が差し出した紙袋を受け取ると、オレはそのまま先輩の胸にしがみついた。 「おいおい、どうした? 和希」 「先輩、うっ、うううう」 溜まっていたものが溢れた。 オレは先輩の胸の中で叫ぶ。 「オレ、先輩の重荷になっていませんか?」 「オレの事、嫌いになったりしていませんか?」 「オレ、先輩の事、先輩の事、うっ、ううう」 オレは、子供のように泣きじゃくる。 先輩は、最初、驚いたようだったが、やがてオレを優しく抱いた。 「おいおい、落ち着けって。どうした、和希? 何があったのか話してみろよ」 先輩の大きな手がオレの頭を撫でた。 「あははは、俺が、和希に愛想を尽かしたって? どうしてまたそんな事を」 「だって、先輩……最近、オレの事を求めてくれないから……」 場所をソファに移した。 先輩は、心配して損をした、とでも言いたそうな顔をした。 そして笑いながら言った。 「そんな事あるかよ。出張前だって散々しただろ?」 「そうっすけど……オレが一方的に求めたっていうか……」 先輩は、オレの頬に手を当てて言った。 「バカいうなって。俺だって和希の事が欲しくてたまらなかったんだぞ」 「でも……」 「何も心配することはない。第一、俺と和希は結婚も同然じゃなかったのか? 全くバカなやつだな」 先輩は、オレの頭をシャカシャカ撫でた。 オレはあの事をぶつけてみた。 「でも、カオルさんは全然違う事を言ってました」 「カオルさん? 何だ、お前、ムーランルージュに行ったのか?」 「はい。で、先輩はオレのことなんか話さず大森の事ばっかり話すって」 先輩は口をつぐんだ。 オレは追い打ちをかけるように続ける。 「そもそも、ムーランルージュへ行った事もオレに隠していた……どうしてですか? オレに秘密にしたいことがあった。違いますか?」 「い、いや、別に隠していたわけじゃない。ほら、お前、葬儀にでるとかで家を空けただろ? あの時だ。一人で家にいると寂しくてな、つい……」 オレは黙って先輩の言い訳の続きを待った。 先輩は、はぁーとため息をついて言った。 「で、お前の話をしなかったのはな……お前の話をするとお前の事を思い出して性欲が抑えきれなくなるからだ。だから、まぁ、話のネタに大森の事をな……」 「そんな言い訳、オレには信じられません!」 オレは叫んだ。 拳をギュッと握りしめ、先輩の目をじっと見つめる。 嘘を付いているとしか思えないのだ。 「性欲って先輩は言いますけど、会社では全然、オレを求めてくれないじゃないですか!」 先輩は一瞬ひるんだ。 そして、目を泳がす。 オレはその一瞬の仕草で、ああ、やぱっり図星なんだ、と悟った。 言い逃れの為の方便。 悲しさが込み上げてくる。 これ以上先輩を責めたとしても、どうにもならない。 それは分かっている。 分かっているんだ。 でも、止まらない……。 先輩がオレに嘘をつくなんて悲しすぎる。 そして、先輩に嘘をつかしてしまったオレにも原因があるのだ。 オレは口を閉ざした先輩へ続けて言った。 「前だったら、会社だろうが構わずにオレを求めてくれました。会議室で散々エッチしたじゃ無いですか? それこそ、のべつまくなしでした」 「確かに、そうだったが……」 「それに、今回の出張だって前の先輩だったらオレを連れて行ったと思います。宿を二人分とって……」 「まぁ、そうかもな……」 歯切れの悪い先輩に、本当に先輩とはこれっきりなのかもしれない。 オレはそう直感した。 今なら、先輩に泣きついて、 「お願いします! 愛して下さい! 悪いところは何でも直します! だから、別れないでください!」 と追いすがることもできる。 でも、それが叶ったとしても、先輩の気持ちがオレから離れてしまったと知った今、それは同情にしかならない。 愛とは違うものだ。 オレにはそれが分かる。 だから、口が裂けても言えない。 言えるのはこれだけ。 「先輩、別れましょう……オレ、自分が先輩が求めるような男になれなかったのがとても悔しいです……」 オレは、そう言って泣き崩れた。 先輩は、突然叫んだ。 「ちょ、ちょっと待て! 待て待て! 和希。お前な、早まるなよ!」 先輩は慌てふためいている。 何をいまさら、と思うのだが、先輩のあまりの必死さにちょっと違和感を覚えた。 オレは涙をぬぐい、先輩の顔を見た。 何故か顔を真っ赤にして恥ずかしそうな顔をしている。 オレは訳が分からずに先輩の言葉を待った。 「なぁ、和希。お前の言いたいことは分かった。だがな、さっき言ったように、何も心配することない。俺はお前を愛している。信じてほしい」 まだそんな苦しい言い訳を……。 オレは、だんだん腹が立ってきた。 だから、オレは意地の悪い言い方で言い放った。 「だったら先輩、証拠を見せてください。オレをまだ愛しているって証拠を!」 愛に証拠など有りようがない。 先輩は答えようがないのだ。 これで本当に終わりだ。 オレは、こうべを垂れた。 しかし、先輩は小声で返してきた。 「わかった……見せるよ。お前の事を愛しているという証拠……」 「えっ?」 オレは顔を上げた。 先輩は一体何を言い出すのだろう。 愛に証拠などあるのだろうか? 「まったく、しょうがないな……恥ずかしいのだが、まぁ、仕方ない。これを見てくれ」 先輩は、出張カバンからあるものを取り出した。 それを見たオレは、驚きの余り口をあんぐりと開けた。 それはあまりにも意外な物だった。 オレは、やっとのことで声を出した。 「ディルド?」 「ああ……そうだ……」 言わずと知れた、男根を模した大人のオモチャである。 リアルな形で、色が白でなければ本物と見まごうかという程の出来。 「何でこんなものを……」 オレの問いに先輩は恥ずかしそうに頭を掻きながら言った。 「俺はな、お前のが欲しくて疼くと仕事が手につかなくなる。だから、仕事中にこいつでアナニーをするんだよ」 「えっ!?」 「驚いたか? 和希に求めてばっかりじゃ、お前の仕事に支障をきたすからな」 「ななな……」 オレは驚きの連続で頭が混乱した。 先輩は、オレとしたくてしょうがなかった。 それをディルドで誤魔化していた、というのだ。 「まぁ、正直言うとな……昨晩も使ったわけだけどな……」 つまり、これこそが先輩が提示した証拠。 オレの事を求め、愛しているという証拠。 先輩は尚も恥ずかしそうにディルドを隠すように手にもっている。 しかも、そのディルドは、心無しかオレのペニスの大きさ、形が似ている気がする。 オレは、わなわなと全身の力が抜けていった。 同時に、すっと疑念やらわだかまりやらが消えていくのを感じた。 代わりに、嬉しさが込み上げてくる。 先輩と別れないで済む。 そして、これ以上ないという程の先輩の愛を感じる事ができたのだ。 よかった……。 オレと先輩は相思相愛のままだ。 オレは喜びを噛み占める。 そんなオレに先輩は言った。 「……と言う訳だ。信じてくれるだろ? 和希」 先輩は、火照った顔を手で仰いだ。 恥ずかしくてしょうがないって様子。 オレだって正直言って恥ずかしい。 オレのペニス似のディルドでアナニーしていた、なんて聞かされたのだから。 オレは照れ隠しに怒り口調で言った。 「もう! 先輩は、どうしてオレに相談してくれなかったのですか?」 「バカ、んなの恥ずかしいからに決まっているだろ? お前と一緒に暮らせば、この性欲も収まると思ったのだが、余計に高まってしまうし。特に会社にいる時はな……」 「もう! 先輩は!」 「な、なんだよ……しょうがないだろ?」 オレに責められ逆ギレする先輩。 なんて可愛い人なんだ……先輩って。 オレは思いっきり先輩に抱きついた。 「嬉しいです!」 先輩も一転して笑顔になり、オレの事をギュッと抱きしめてくれた。 先輩はオレを抱きながら、しみじみと話し出した。 「和希は、俺の下から独り立ちして、生き生きと仕事をしている。俺はそれが嬉しくてな……ちょっと前のお前だったらすぐに失敗して『先輩! 助けて下さい!』って俺を頼っていた。そんな日々が懐かしい。早いものだな……お前はやはり俺が見込んだ男だ。お前に体を預けたのは正解だった。そう思うよ」 「そんな、まだまだ俺なんて……」 先輩のお褒めの言葉にオレは体を熱くした。 先輩は、はにかみながら続ける。 「謙遜するな。だから、俺だってお前に捨てられない様に頑張ろう、そう思っているんだ。だから見栄だって張るさ」 先輩はディルドをチラッと見た。 ディルドで我慢するのも男のプライドがあってこその事なのだ。 オレはそれを分かった上で言い張る。 「何を言っているんですか! 先輩! どうしてオレが先輩を捨てるなんて……」 オレは、そう言って途中で言葉を詰まらせた。 先輩は先輩で一生懸命に色々と考えている。 オレと真剣に向き合おうとしている。 それが分かって嬉しい。 本当に心から嬉しい。 でも、こんなのは嫌だ。 心配し過ぎて死にそうなくらい辛かったのだ。 オレは先輩の胸を叩いた。 「先輩! もう、そんな事はやめて下さい! オレに秘密はなしです!」 オレの必死な訴えに先輩は笑いながら答えた。 「あははは。そうだな。秘密にしたせいで、和希に嫌われたんじゃもともこうも無いもんな」 「そうです! これからは秘密はなしです!」 「ああ、分かったよ。和希」 先輩はオレをひしっと抱きしめた。

ともだちにシェアしよう!