8 / 72

第8話 彼のマンション

 俊の住んでいる場所はすぐに分かった。  桐谷は矢も楯もたまらず、彼のマンションへ来てしまった。  腕時計に視線を落とすと、夜の九時を少し回ったところである。  マンションは、質素な佇まいで、アパートと呼んだほうがしっくりきそうだ。  俊の部屋は301号室で、几帳面な字で書かれた安西というプレートがかかっていた。その筆跡が懐かしい。  プレートの下にインターホンがあり、桐谷は細く長い指でそれを押した。  軽やかな音が部屋の中で響いているのがかすかに聞こえているが、しばらく待っても応答はなかった。  ……留守か。  桐谷は小さく溜息をつくと、いったんマンションの外に出た。  もう一度、腕時計に視線を投じる。  ……日付が変わるまで待って帰って来なかったら、出直すことにしよう。  マンションの前で待つことは躊躇われたので、桐谷は来たばかりの道を戻り始める。  最寄りの駅から俊のマンションまでは、賑やかな大通りを渡り、一つ目の道を右に曲がると、あとは一本道である。  一本道は緩やかな上りの坂道で、途中から階段へと変わり、その階段を上りきったところに彼のマンションはあった。  桐谷は階段と坂道の境の場所で俊の帰りを待つことにした。

ともだちにシェアしよう!