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第56話 危機③
俊の瞳が虚ろに彷徨い、弱々しい声が唇から零れる。
「……お父さんが……」
「俊?」
「お父さんが来てくれた……、先輩……」
「おい、俊っ?」
「あ、お母さんもいる、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、みんな……」
意識が混濁し始めているのか、俊が虚空を見つめて微笑みかけている。
……いや、もしかして本当に俊の家族がそこに来ているのか?
一瞬、桐谷はそんなふうに考えてしまい、戦慄した。このまま彼が家族の元へ行ってしまいそうな気がして……。
「俊っ! しっかりしろ! 俊っ」
俊の瞳は誰もいない空間に向けられたままだ。
「先輩……、僕、もう帰らなきゃ、家へ……」
「だめだ! 俊っ……俊っ……!」
桐谷の縋るような叫びが届いたのか、俊の瞳に光が戻ってきた。桐谷を見つめて、薄っすらと微笑む。
「……桐谷先輩……」
「俊……、俊……」
「先輩、好きです……。大好き。……ありがとう……」
大きな瞳から一滴の涙が零れ落ち、やがて、ゆっくりとまぶたが閉じられていく。
「俊? 俊っ、俊っ!!」
――そのとき、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた……。
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