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漆黒の人11

「なんだ、お前さん。まだまるっきり白紙というわけか。ホテル代だってバカにならねえだろうが」 「ええ、まあ……。でもじいちゃんが貯蓄を残してくれたんで、当座の生活費は何とかなります。とにかくどんな仕事でもいいんで、職を探そうと思ってます」  と、ここで金の話が出たことで、(ひょう)は思い出したように(ジォウ)を見つめた。 「そういえば大事なことを忘れてました……! あの、これを……」  (ひょう)は抱えていた鞄から通帳を取り出すと、(ジォウ)の前へとそれを差し出した。 「――これは?」 「じいちゃんから預かった通帳と印鑑です。(ジォウ)さんがずっと援助してくださっていたお金と聞きました」  むろんのこと、(ジォウ)には身に覚えのある話だ。(ひょう)の養育費として、(ウォン)老人の口座へ欠かすことなく振り込んできたものだからだ。 「あの……じいちゃんはこのお金には手をつけていないと言っていました。それで、これを(ジォウ)さんにお返ししようと思って、俺……」  (ひょう)が丁寧に両手で通帳の向きを(ジォウ)の方へと向けて差し出す。まるで茶道を嗜んだ者のように流麗な仕草が美しい。 「(ジォウ)さんのご厚情は忘れません。本当に今まで……こんなに気に掛けてくださっていたなんて、俺は何も知らないで……。本当にありがとうございます」 「――おい」  深々と頭を下げる(ひょう)に、(ジォウ)はわずかに眉根を寄せてみせた。 「お前、これを返すってのか?」 「……は、いえ、あの、(ジォウ)さんにはお世話になって……心から感謝でいっぱいです。ですが、こんな大金、俺にはどうしていいか……。やはりお返しするべきかと思いまして……」  だが、(ジォウ)の表情は先程までの親しげな感じとはわずかながら違っている。気分を害したというわけでもなさそうだが、やわらかな笑みは消えていて固い無表情なのだ。(ひょう)はまたしてもハッとしたように硬直してしまった。(ジォウ)が厚意で支援してくれていたものを返すと言えば、それはそれで失礼だったろうかと思い至ったからだ。むろん、(ひょう)に悪気はこれっぽっちもなかったのだが、(ジォウ)の立場で考えるならば、やはり失礼に当たるのかも知れない。  (ひょう)は今更ながら焦ってしまい、それこそどうしていいやら目の前が真っ白になってしまいそうだった。 「も、申し訳ありません……! ご気分を害されてしまったなら謝ります……。ですが、その……俺は」  しどろもどろで言葉にならない。全身は冷や汗でびっしょりといった具合のまま、(ひょう)は垂れた頭を上げることさえできなかった。 「――ふ、正直なヤツだな」  見ずともそれが決して機嫌の悪い声音でないことが分かった。(ジォウ)の低めの声が笑みを帯びているように感じられたからだ。 「いいから頭を上げろ。怒っちゃいねえよ」 「(ジォウ)……さん」  ようやくと(ひょう)は顔を上げ、おそるおそるといった調子で対面(といめん)(ジォウ)を見上げた。

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