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周焔編(氷川編)38

「だってあんなにカッコイイし、まだ若いのにこんな大会社の社長だもん。お金持ちだし、あんな人と腕組んで街を歩けたらいいなって思うじゃない? なんてね。こんな言い方すると、アタシもあのホストの人のことをどうこう言えた義理じゃないって思われるかも知れないけどさ」  苦笑しながらも彼女は続けた。 「あれは――入社してすぐの頃だったな。新入社員の歓迎パーティーの時に、宴会場でアタシ、社長のすぐ側で立ってたことがあってね。立食パーティーだったから皆自由に動き回ってたんだけど、たまたま社長がお偉いさんと挨拶してた時にアタシはその隣のテーブルにいたのよ。間近で見た瞬間に心臓射貫かれちゃったのよねぇ。ほんと、言葉にならないくらいすっごいカッコ良くて! それ以来、一目惚れしちゃったっていうか」  だから余計にそのしつこいホストに対して対抗心が湧いてしまったのだと彼女は言った。 「でもさ、今の彼に出会って思ったの。アタシにとって社長は……恋人になりたいとか好きな人っていうより、芸能人に憧れるような感覚だったんだなって。それに気付かせてくれたのも今の彼だし、好きっていうのはこういう感覚なんだってはっきり分かったのよね。だから彼とのこと大事にしたいなって」  頬を染める彼女は女性らしく、初対面のあの日に見た高飛車な面影は微塵もない。もちろん勝ち気なところが皆無ともいえないが、それが彼女の長所なのだと思えるし、何事も思ったままを言ってのける素直さが冰には可愛らしく、また羨ましくも思えたのだった。 「あ、もうこんな時間! 長々と引き留めちゃってごめんね。でも会えて良かった。あなたには悪いことしちゃったって、ずっと気になってたから……」 「俺も会えて嬉しかったよ。話せて良かった」 「じゃあ、もう行くね。あなたも社長の秘書がんばって!」  笑顔で言うと、手を振りながら彼女は自らの営業部へと戻っていった。 ◇    ◇    ◇  彼女と別れた後、冰は何だか不思議な心持ちに陥ってしまっていた。  第一印象がお互いにあまり良くなかった相手と、思い掛けず打ち解けることができた嬉しさ――というのもあった。日本へ来て初めてできた同僚というか、友人とまではいえないにしろ、それに近い感覚の知り合いができたようで素直に嬉しく思えたのだ。  それとはまた別に、彼女から聞かされた周への気持ちなどを知ったことによる心の揺れも感じていた。揺れといってもナイーブな意味ばかりというわけではない。  間近で周を見て心臓を射貫かれるくらいドキドキしたという彼女の言葉がさざ波のように心を震わせる。彼女だけではない。何度も訪ねて来たというホストという男も、周に気があるようだったと彼女は言っていた。  男だろうが女だろうが関係なく、誰から見ても周は魅力あふれる男なのだろう。例えばこの社内にだって、言葉にせずとも密かに周に憧れている社員がどれほどいるだろうか。そう考えると、何とも心ざわめくような不思議な気持ちが込み上げてくるのだ。

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